도모토 쯔요시 20121027 堂本剛とFashion & Music Book
bay-fmをお聴きのみなさん、こんばんは。堂本剛です。
さあ、「堂本剛とFashion&Music Book」はじまりました。
えー、今日はですねぇ、まず、メールご紹介しますが…、えー、ベリーさんという方からいただきました。
えー『私はラジオを通して、剛くんの人柄や思ったり感じてることを聴いてファンになりました。』
というふうに言って下さってるんですね。うん。ま、以前にもお伝えしましたけれども、ね、あのテレビだったり、ま、ペーパーというか、雑誌から、んー伝えられるものの、ま、限界をなんか僕は感じてたりしたのもあったり、その言葉の力というものがね、あのー今、特に日本の中でも大事かなと思ったりしますが…。なにかその、言葉の力というものを、何か自分の中で信じてた部分がありましてね。ま、ラジオやりたいなーななんてずっとお話しながら、ラジオさせていただける機会を設けていただいて今日に至るわけですけれども。
『十数年ぶりにですね、CDというものを買いました。』ということで、「縁を結いて」を購入してくださいました。
で、『今は、過去のCDも聴いたり見たりしていますよ。』ということなんですけれども、『私の中では今の剛くんが、過去より一番素敵です。』と言って下さってまして、『今では、ご縁があれば、ライブを拝見しています。私も生きていくということ、いろいろ考えてしまいます。辛いときも正直あります。でも少しでも、剛くんと同じ時間を過ごせることに感謝をして日々がんばっています。』と。
『剛くん、楽しさや幸せを感じさせてくれて、ありがとうございます。剛くんが無理なく笑顔で日々送れるよう祈っております。』というふうに、おたよりいただきました。
ま、あの、なんでしょうね、こう人生、そうですね、まあ、んーま、今ね、例えば、こう世間さまから見ると、趣味が多そうとか、あとはやりたい仕事だけやってるみたいなイメージたぶんあると思うんですけれども。えー。
なんか、こう、世の中ってね、映ってることとだいたい逆じゃないですか?あのっていうのもちょっと語弊があるか、あれですけど、んー、やりたいことだけやれるわけでもないし、ま、なんか、いろいろな、大人の人たちの、ま、僕も大人ですけれども、大人の人達のま、なんかいろんな事情とか立場とかの中で、仕事とか、舞い込んできますから。自分自身は、あの、いわゆる、いかなるどんな時でもですね、自分はこうであるから、こう思うとか、こう思わないとか、そういう意志を持って仕事をするようにしてるんです。これは、ホントに音楽と出逢ってずいぶんたってからなんですけどもね。うん。やっぱこの自分の言葉で、自分の思いでお仕事をすることが、あればいいなと思って、切り替えて行き始めたんですよね。
そうするとまあ、、ライブもそうですし、ライブももちろん箱の中でやるライブとですね、たとえば、ま、平安神宮、神社だったり、お寺さんだったり、リアルライブというものも、違うので自分の中ではね、また表現を変えてみたりとかですね、んー、ま、ラジオでも自分の思ってることを伝えることが、今の日本、あるいは日本人には大切なことだと思うのでね、自分が日々こういうふうな想いで生きていますと。でなるべく、まー、んー言葉っていうのは、言葉だけで、先行していってしまいますから、気をつけてしゃべろうとはするんですけど、気をつけてしゃべりすぎると自分の言葉じゃなくなるしね、んーだからなるべく人を傷つける言葉を選ばないような、努力はするんですが、でも何かこう、自分の想いと反する方向に行ってしまう言葉は、言わないようにしたいな、なんて思って、ラジオを務めさせてもらってるんですね。でー、ま、あのーこうやってあのー自分の素直な想いとか、素直な今の自分っていうんですかね、そういったものが世間の人々にラジオを通して、少しずつ伝わっている感もありますし、えーまだまだこの何か伝わってない感もありますが、あー今の自分のなんていうか、本当の自分っていうものが、伝わるためにラジオをやってるわけでもないんですよね…。自分が今こうして生きているっていうことを、ただ 述べたいだけというか、それが少しでも、誰かを救えればいいと思ったりね、自分の意見を持ってない人たちが、何かこう、EXCUSEできる何かものになれればいいなとかですね、えーそんな風な想いです。
みなさんに少しでも何かこう少しでもですね、何か、、んーま、僕の独り言のような、訴えのような、何か、力になればいいなあと思ってこれからもラジオ務めさせていただきたいなというふうに思っております。
それではですね、この『10年ぶりに、10数年ぶりにCD買いましたよ。』というふうに、そのCDとして選んでくださった、この「縁を結いて」 こちらを聴いていただきながら、今日はスタートしたいと思います。それでは、「縁を結いて」聴いて下さい。どうぞ。
♪「縁を結いて」
「堂本剛とFashion&Music Book」
さ、ここでリスナーのみなさんから届いたメールをご紹介しますが。
今日はあれですね、十三夜。昔の人々は、あー月を見て、娯楽として楽しんだり、まー月を見ながら詩を詠んだりしたというのが、ありますけれども、まーこの時代2012年ですからね、そういう意識っていうのは、あの減って当たり前でしょうし、ま、僕たちの月の見方っていうのも変わりましたからね、今は、ネットで月をみたりとかですね、実際に肉眼で見てみたりとかですね、えーそういうこともありますよね。
あるいは、心で見るという見方もありますし、様々な、方法論があっていいと思うんですよね。価値観生き方が様々あるようにね。
でも何か、こう、昔の人々が何かこう月にまー見とれた、あー想いというか、理由というかそういっものって何か勉強しても楽しんじゃないかな、なんていうふうにこういう日にたつと、より思いますね、そんな中で今日は月を見上げながらね、いろいろ将来について考えてみたり、過去を振り返ってみる、そんな時間を少しね、あー少し過ごすっていうのもなんかいいんじゃないかなと思います。
メールをね、読まさせていただきますが。
10代の方ですね、かおりちゃん。
『初メールです』とのことで…。
『突然ですが、私は父親を好きになれません。私が生まれたこと、育ててもらったことには感謝しきれませんが、自分勝手過ぎる父親がどうしても好きになれない。と。で、父親の言うことに対して、こちらからは求めずうまく交わしているのですが、他人ではない父親にこのような態度で接していること、愛せないことに対してとても悲しくなります。父親のこと、好きになれるように努力したいですが、どうすればいいかわかりません。何かいい方法はあるのでしょうか』というふうな10代の女の子がですね、こんなことを胸に秘めて生きているという。…で、ま、あのーんーそうですね、やっぱりあの、育った環境とかですね、えーんーっていうものが、大きく影響してきますよね。だからあの、好きになれないっていう気持ちもやっぱり尊重できるし、あのー好きになれないからダメっていうわけでもないような気はするんですよね。あの、ただ、「感謝」っていう気持ちはずっと持ってたらいいと僕は思うんですけれども。
たとえば、もしここで自分が途切れてしまったときに、んー未来に命を繋ぐことができないっていうこともあるじゃないですか、だから、その、いわゆる、昔のその日本でいうと、ご先祖様っていう表現ありますけども、そのご先祖さまが、あーいろいろなドラマがあったけれども、結果、僕まで繋いでくれたことがあって、で、それをまた未来たくしていく、っていうことを自分は生きなければいけない。と、ほんとに僕は顔も知らない人たちがたくさんいて、でもそういう人たちがあっての自分なわけだから、そこにはやっぱり感謝しなくてはいけないなと思いますよね。うん。だから例えばその、自分が嫌いな人、嫌な人が出たときにね、本当にね、苦しくなりますよね。僕もいろいろな経験ありますから。あの、芸能界に入ってですね、本当に卑劣な人間というものたくさん見ました。だからこそ、ま、自分の素直な想いで生きようっていうふうに思った自分が生まれたんだろうなと、いうことで感謝をすればいいかなというような、切り替えでやってるんですけれども、だから、もうなんて言うんでしょうね、自分はこうなんでっていう生き方が、あの、傲慢な形でなく、とても優しくできるように、ちょっと今目指してるんですよね。うん。自分の意見を主張をすることはちょっと傲慢なことがあるじゃないですか、ただただ優しくありたいだけなんですよね、でもちょっと、そうすると、「なに正義ぶってんねん!」とか「アホちゃうおまえ?」っていう人もいるんですよね。うん。別に正義ぶってるっていうことではないですよ。世の中の言葉を借りれば、先人の人たちの行動をとれば、正義ぶってるってことかもしれへんけど、自分なんで仕方ないっていうことだけなんですよね。
だから、もう少しそのなんていうかね、視野を広げる。目で見ることもそう。心で見ることもそうですけれども。視野を広げることによって、自分の今納得できないものっていうものが納得できるようになる、そういう時につなげていくっていうのが大切だと思うんですよね。
だからあの、震災のときもそうでしたけれども。急にね、親が自分のそばから離れていってしまった小さなお子さんたちだってたくさんいるしね、ま、ラジオでもいろいろメールを読まさせていただいてますけれどもね、福島からいただいた、あの幼稚園のあのーお子さんたちの話しとか何かいろいろ、子どもの自由っていうのかな?未来っていうのかな、そういう大人の視点からみていろいろあるっていうメールをいろいろ読まさせていただきましたけれども、あのーんー僕なんか、やっぱ親がいるからここまで、親を想う気持ち、親に想ってもらう気持ちだったりいろいろ学べるけれども、でも急に親が、自分のそばから、離れていってしまったり、あるいはその逆もあったりね、そうなってくると、んーほんとことばでは言い表せない、ほんとに心の中でうごめく、なんかこう、んー行き場のないものっていうのかな、そういうもの生まれていく、それをいかにどういうふうにして生きていくかっていうことは、その人が決めていくことだし、他者が決めれることじゃない、でも他者が想うことはできるから、思うようにする、それを直接伝えることができないのであれば、こういう場所でなにか僕はこう想ったりするんだっていうことを伝えることが大事だったり、あるいは、音楽を通して、残された人たち、あるいは旅立っていった人たちに対して、こんなふうな歌を、僕は今生きている精一杯の中で作りたいなと思って作ってる曲もたくさんあって。うん。だから、ほんとにあのー命はね、あのー争おうが争うことをしなかろうが、消えていくものだから、あのーほんとになんていうのかな、大切に考えてたいなと思うんですよね、僕はね。うん。だから、
ま、これから10代なんでね、20代になって30代になってあの想いはどんどん変わっていくと思うんですけれども、感謝っていう想いの果てに、何かこう、お父さんだったり、家族っていう大切な人たちを、想いながら生きて欲しいなというふうに思っております。
最後にもう1枚読まさせていただきたいのですけれども。
秋桜さんがですね、
『実は、えー先月なんですけれども、50代の熊本のつよ友さんが、天に召されました』ということで、えー『同じ熊本のお友だちが知らせてくれて、とても悲しかったです。』ということなんですが。『6月のShamanippon Shipのチケットをですね、二人に譲ってあげられたので、彼女は4年ぶりに生の剛くんを見れ、歌を堪能でき、奈良を満喫し何度も何度もお礼を言われたとのことだったので、最後に素晴らしい思い出のお手伝いができたことがせめてもの救いです』とこの方はおっしゃってくださっております。
えーお通夜、お葬式で息子さんがですね、NIPPONの「ソメイヨシノ」と「縁を結いて」を流したということです。2曲とも剛くんがお母さんを思って歌った歌だからということで、息子さんたちは流してくださったとのことで。
この「NIPPON」というアルバムがヨーロッパ圏で発売したんですけれども、その中に、「ソメイヨシノ」って曲を収録してまして、この「ソメイヨシノ」は仙台で以前僕がライブを行なったときに歌わせていただいた、ま、テイクなんですけれども、それをあのーんーあのアルバムの中に収録させていただきまして、この「ソメイヨシノ」っていう楽曲もその家族との時間がすごく増えまして、春は桜を見に行くっていうことを、何かこう、イベントとしてやってたんですよね。で、まー、そんな中でそういうことを始めてから2回目くらいにですね、あのふた年目くらいだったと思うんですけれども、母がその、「あんたとこの桜あと何回くらい見れんのかなぁ」っていわはったんですよね。それが、もう苦しくてですね、であの、背中を見るような形でその言葉を受け止めたんでね、それで桜がほんとにね風にばぁーーっとさらわれるような形で花びらが舞っていきましてね、で、ま、なんかその、「何いってんねん」くらいしか言えなかったんですけれども、親にそういうふうに言われる日が来るとはあまり想像してなかったもんですから、心の準備できてなくて、でもその言葉を言ったと同時に、何かこう、僕という子供を想う気持ちと同時に何か天に昇っていった両親のことを想ったりしてるんだろうな、っていうような、何分間だったんですよね。で、ほんとにその、お母さんもやっぱ子供ですしね、おじいちゃんおばあちゃん、僕でいう、おじいちゃん、おばあちゃんの子供ですから、んー何かこうやはりお母さんなりの命っていう意識をしてるんだろうな…っていう、ま、時間がありましてね。だからほんとにだから、どうしてもどうしても、んーなんかこう行き場がない感情っていうんですかね、これを音楽にしようっていうことで「ソメイヨシノ」っていう曲を作ったんですけれども、あの、いろいろな心の痛みもそうですけれども、体の痛みともほんとに闘いながら過ごされてる中でライブに来てくれはって、えー僕のま、僕のというか、僕の仲間だったりのいろいろなものを聴いてもらえた、体感してもらえたのかなと想うと、いろいろな気持ちにもなってしまいますけれども、このShamanippon Shipもね、あのーやるって言われてたのに、えーっと当初、4月の頭にですね、始まるということで、桜並木を見てもらいながら、会場に入ってきてもらえたらいいな、なんて主催の方は言ってましたよね。で、まその主催の方もですよね、ちょっとお体を壊されたんですよね。で、僕も打ち合わせは全部病室だったんですよ、で、あのー、その人のことを思うと、なしにするという決断もあったでしょうし、でもファンの方のことを考えると、やってあげたいっていう気持ちもあったり、あるいは、バンドメンバーもそうですけれども、ずっとフィックスの状態でやるのかやらないのかわからないっていう状態が続いていたのでね、で、いろいろなドラマがありましてね、で、ほんとにそのー最初、病室に会いにいった時もそうでしたけれども、あんだけ、元気やった人が全然しゃべられへんねんや。という状態だったんで、あのーんー僕がしっかりしなきゃなって思ってね、で、ま、そういうときの優しさの配分っていう言い方もあれなんですけど、すごい難しくてね。誰に対して優しさを投げることが大事なのかすごく難しくて、その時っていうのは、立場っていうのを気にする人もいれば、ほんとにその人の体のことを気にしてくれる人もいれば、ほんと、人間ってほんとそれぞれですから、そういうものもまた勉強させてもらってね、それで、ま、最終的に、やるってその人が決断してくれたんですよ。で、じゃあ、もうやるからには、あの僕が責任もって、じゃあ、やりますと、で、そういう状況の中で始まってたんですよね。ま、事務所の方とか、そうでしたけれども、
「奈良なんかに、ね、そんなに毎日やって人がくるわけない」っていう発言もありましたよ。でも僕はなんか、たくさん来てくれるだろうなっていう確信は、あったので、んーやるっていうね。うん。でもまでも。主催者の方もおっしゃいましたけれども、やめろっていわれへんねんから、大したもんやよな、って話しはしてましたよね。結果、やめろとはいわへんから、結果好きにしてください。っていうことばでもやめろっていわれへんからすごいことだなって。
でもこれって、あの、平安神宮さんで3年やらせてもらったのもそうなんですけれど。ファンの方々のその行動とか想いってものがダイレクトに伝わってなくてもなんか伝わってるから、やめろって言わないんでしょうね、って僕は、すごく思ったんですよね、3年連続で平安神宮さんでやらせてもらいましたけれども、神主さんや行司さん、さまざまな方が「ファンの方のマナーがものすごくいいですよね」って言ってくださるんですよね。たぶん、そういうことも見てくれてはって、で、うん、得た3年間なんだと想うんですよね。だから、あのなんでしょうね、うん、Shipっていうのもいろいろなことがあって大変ではありましたけれどもね、うん、あのこういうエピソードをこういう物語を改めてね伝えてもらうとやっぱりやってよかったなっと思うし、またこういったことをできたらなとやっぱり思いますしね、あの期間の中に様々なドラマがあったんだな、って改めて感じますし…。ま、これからも何かこうイベントしたりライブしたり、CD出したり、このラジオの放送もそうですけれども、たくさんの人たちがたくさんのドラマの中で生きていながら、自分という人生に少しでもこう触れてくれてるんだな、ということを、肝に銘じて生活をしていきたいなというふうに思います、。そのことをまた改めて想わせてくれる物語をメールで送っていただきありがとうございました。
さ、少し長くなってしまいましたが、えー堂本剛の近況。えー松竹座。大阪の松竹座さんの方でですね、特別公演。えーまーお笑いさんでいう、「大喜利」なんですけれども、えー、ま、ちょっと、笑いの方も僕ちょっと好きなんで、ま、悲しい中にも笑いあり、笑いの中にも悲しみあり、笑いってものが何か僕の中には魅力的なもののひとつとしてあるんですが。まそれをそれを、当初は、年末だけ大喜利みたいなお笑いやったらいいなあ、なんて言ってたんですけれども、その主催のさっきお話した方がですね、お笑い好きで。こんだけ、なんかファンの人が楽しそうに笑ってんのもええなあ、って、あのファンのこと考えてくれてる人のうちの一人なんでね、こういうのやったらええやんっていう松竹座でも追加でやったらええやん。っていことで、7,8,9日と大阪の松竹座さんの方で小喜利というものをやらせていただくことになりましたので、ぜひチケット当たった方はですね、笑いをお約束しますので、ぜひ、楽しみに来ていただきたいなというふうに思っております。
今、お話にもありましたけれども、「ソメイヨシノ」という曲を聴いていただきながら、お別れしたいなと思っております。ぜひみなさまこれからもさまざまなメールいただきたいと思っております。
これからもこのラジオ応援していただけたらなと思っております。
それでは、「堂本剛とFashion&Music Book」お相手は堂本剛でした。また来週お会いしましょう、おやすみなさい。
♪「ソメイヨシノ」 NIPPON ver.
bay-fm을 듣고 여러분, 안녕하세요. 도모토 쯔요시입니다.
자, "도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book"시작되었습니다.
어, 오늘 이군요 먼저 편지 소개하지만 ... 어, 베리 씨라는 분에서 받았습니다.
어 "나는 라디오를 통해 강훈의 인품과 생각하거나 느끼고있는 것을 듣고 팬이되었습니다. "
라는 식으로 말해 주신 있어요. 응. 뭐, 이전에도 말씀 드렸습니다 만, 요, 그 텔레비전이거나, 또는 종이라고하는지, 잡지에서 응 전해지지만, 뭐, 한계를 어쩐지 나는 기분거나 한 것도 있고, 그 말 힘이라는 것이군요 그 자 지금 특히 일본 중에서도 중요한 하나라고 생각하기도하지만 .... 뭔가 그 말의 힘이라는 것을 뭔가 내 안에서 믿었던 부분이있었습니다주세요. 뭐, 라디오 원하는구나 마라 니 계속 이야기하면서 라디오시켜 주실 기회를 마련 해주고 오늘에 이르기 것입니다 그러나.
"수십 년 만에 말이죠, CD라는 것을 샀다. "라고하는 것으로, 「인연을 두레"를 구입하여 주셨습니다.
에서 "지금은 과거의 CD도 듣거나 보거나하고 있어요. "라고하는 것입니다 만,"내 안에 지금 쯔요시 군이 과거보다 가장 멋집니다. "라고 주시고해서,"지금은 인연이 있으면 라이브를 배견하고 있습니다. 나도 살아 간다는 것, 여러가지 생각하게됩니다. 매운 때도 정직합니다. 하지만 조금이라도 쯔요시 군과 같은 시간을 보낼 것에 감사하고 매일 노력하고 있습니다. "와.
"강훈 즐거움과 행복을 느끼게 해주고, 감사합니다. 쯔요시 군이 무리없이 웃는 얼굴로 매일 보낼 수 있도록기도하고 있습니다. "라는 식으로 편지 받았습니다.
뭐, 저, 무엇 이지요 이렇게 삶, 음, 음,んま지금군요, 예를 들어, 이렇게 세상 님에서 보면 취미가 많은 것 이라든지, 앞으로하고 싶은 일만하고있는 것 같은 이미지 어쩌면 있으면 생각합니다 그러나. 어.
어쩐지 이렇게 세상 라고요, 비치고 것으로 대체로 반대 잖아요? 그 말하는 것도 좀 어폐가 있는지, 있다면이지만, 응,하고 싶은 것만 야레 것도없고, 뭐, 어쩐지 여러가지 어른의 사람들, 뭐, 나도 어른입니다 만, 어른의 사람들 노마, 어쩐지 여러가지 사정이나 입장 이라든지에서 일하거나, 날아 오기 때문에. 자신은 그 소위 어떤 어떤 때라도군요, 자신은 이렇게이기 때문에, 이렇게 생각 다든가, 이렇게 생각하지 않는다 든가, 그런 의지를 갖고 일을하게하고 있어요. 이것은 정말로 음악과 만나 한참 지난 뒤입니다 만하네요. 응. 역시이 자신의 말로 자신의 생각으로 일을하는 것이 있으면 좋겠다고 생각하고 전환 가기 시작했다 네요.
그러면 뭐 ,, 라이브도 그렇고, 라이브도 물론 상자 속에서하는 라이브 및군요, 예, 뭐, 헤이안 신궁, 신사이거나, 사찰 씨이거나, 리얼 라이브라는 것도 다르므로 자신의 속 는군요, 또한 표현을 바꾸어 보거나 이라든가, 응, 뭐, 라디오에서도 자신이 생각하고있는 것을 알 수 지금 일본이나 일본인에게는 중요한 일이라고 생각하기 때문에 네요 자신 이 매일 이런 식의 생각으로 살고 있습니다 때. 에서 가급적 마, 응 조치 말씀이라는 것은 그냥 혼자 선행 버립니다 때문에 조심しゃべろ려고 합니다만, 조심 말투 너무 자신의 말로 없어지는 말이야, 응 이니까 가능한 사람을 다치게 말을 가리지 않는 같은 노력은 합니다만, 그래도 뭔가 이렇게 자신의 생각과 반대되는 방향으로 가버 말은 말하지 않도록 싶다,라고 생각 밖으로 라디오를 맡았주고 있어요. 데이, 뭐, 그 - 이렇게 그 - 자신의 솔직한 마음 이라든지, 솔직한 지금의 자신 말하는 걸까요 그런 것이 세상 사람들에게 라디오를 통해 조금씩 전해지고있다 느낌도 있고, 어 아직 이 뭔가 전해지지 않는 느낌도 있지만, 아 지금 자신의 무엇 랄까, 진짜 자신이라는 것이 전해지 위해 라디오를하고있는 것도 아니다 지요 .... 자신이 지금 이렇게 살아 있다고하는 것을 그냥 언급하고 만 이랄까, 그것이 조금이라도 누군가를救えれ좋다고 생각하고 있군요, 자신의 의견을 가지지 않은 사람들이 뭔가 이렇게, EXCUSE 있는 무언가 물건이 될 수 있으면 좋겠다 라든가, 어 그렇게 한 마음입니다.
여러분에게 조금이라도 뭔가 이렇게 조금이라도 말이죠, 뭔가 ,,んま, 내 혼잣말처럼 고소 같은 뭔가 힘이되면 좋겠다라고 생각하고 앞으로도 라디오 맡았 싶다고 말하는 식으로 생각하고 있습니다.
그럼 네요이 "10 년 만에 10여 년 만에 CD 샀어요. "라는 식으로이 CD로 선택해 주셔서이 '인연을 두레하고"여기를 들어 주시면서 오늘 시작하고 싶다고 생각합니다. 그럼 '인연을 두레하고 "들어주세요. 바랍니다.
♪ 「인연을 두레하고 "
"도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book "
자, 여기 청취자 여러분으로부터받은 편지를 소개하고 있지만.
오늘은있는군요,十三夜. 옛날 사람들은 아 달을보고, 오락으로 즐기거나ま月을 보면서시를 읊기도했다라는 것이 있습니다 만, 마르코의 시대 2012 년니까요, 그러한 의식이라고하는 것은, 그 줄어들고 당연 하겠지요하고, 뭐, 우리들 달의 견해라는 것도 바뀌었기 때문에 지금은 인터넷에서 달을 보거나 이라든가 실제로 육안으로보고하거나 이라든가, 어 그런 것도 있지요.
또는 마음에서 본다는 견해도 있고 다양한 방법론이있어 좋다고 생각하네요. 가치관 삶이 다양한있는 것 같은데.
하지만 뭔가 이렇게 옛날 사람들이 뭔가 이렇게 달에 마 정신없이 한 아 마음 이랄까 이유라고 할까 그렇게 말하며 물건은 무엇인가 공부해도 즐기고 않을까,라고하는 식으로 이런 날에 용인 더 생각 해요, 그런 가운데 오늘은 달을 바라보며 네요 여러가지 미래에 대해 생각해보고, 과거를 돌이켜 보면, 그런 시간을 조금 요, 아 조금 지출라는 것도 왠지 좋지 않아 하나라고 생각합니다.
편지 네요 읽지하겠습니다 만.
10 대 분이군요, 카오리 짱.
"첫 편지입니다"라는 것으로 ....
"갑작 스럽지만, 나는 아버지를 좋아하게 될 수 없습니다. 내가 태어난 키워 준 것에 감사 할 수 없지만, 제멋대로 너무 아버지가 아무래도 좋아하게 될 수 없다. 와. 에서 아버지의 말에 여기에서 구하지 않고 잘 나누고 있는데 다른 사람이 아닌 아버지에게 이런 태도로 있는지, 사랑할 수없는 것에 대해 굉장히 슬퍼집니다. 아버지의 것, 좋아할 수 있도록 노력하고 싶습니다. 어떻게해야할지 모르겠습니다. 어떤 좋은 방법은있는 것입니까? "라는 식의 10 대 소녀가 말이죠, 이런 일을 가슴에 품고 살아 있다고한다. ...이어야하며, あのん 음, 역시 그 자란 환경 이라든가, えん -라고하는 것이 크게 영향을주고군요. 그래서 저, 좋아하게 될 수 없다고 말하는 기분도 역시 존중 있으며, 그 조치 좋아하게 수 없기 때문 안된다고 말하는 것도 아니다 같은 생각은 않 지요. 그, 그냥 "감사"라는 기분은 계속 가지고 있으면 좋다고 나는 생각합니다 그러나.
예를 들어, 만약 여기에 자신이 끊겨 버린 때 응 조치 미래에 생명을 이어 줄 수 없다고 말하는 경우도있다 잖아요, 그래서 그 소위 옛날의 그 일본에서 말하면, 조상 님이라는 표현입니다 만, 그 조상 님이 아 다양한 드라마가 있었더라도, 결과 나까지 이어 준 수 있고, 그리고, 그것을 또한 미래 걷어 간다,라는 것을 자신 이 살아야 말라. 와, 정말 나는 얼굴도 모르는 사람들이 많이 있고, 그렇지만 그러한 사람들이 있고 자신의 것이니까, 거기에는 역시 감사하지 않으면 안된다고 생각 하죠. 응. 그래서 예를 들면 그 자신이 싫어하는 사람 싫은 사람이 나왔을 때에 네요 정말 네요 힘들어 지죠. 저도 여러가지 경험있을테니까. 그 연예계에 들어군요, 정말 비열한 인간이라는 것을 많이 보았습니다. 그래서 뭐, 자신의 솔직한 마음으로 살자라는 식으로 생각 자신이 태어난 것일까라고 말하는 것으로 감사를하면 좋을까라고하는 전환 뭐하는거야 그러나, 그래서 다른 뭐라고 지요 자신은 이렇게 이니까라고 삶이 그 오만한 형태가 아니라 매우 상냥 수 있도록 조금 지금 목표로하고있는 거죠. 응. 자신의 의견을 주장하는 것은 조금 오만한 수 있잖아요하거나 그저 부드럽게 바라는 뿐이군요, 그렇지만 조금, 그러면 "무엇 정의 불전군요!」라고 「바보 아냐 너?" 라고하는 사람도있다 네요. 응. 별도로 정의 체 있다고 말하는 것은 없어요. 세상의 말을 빌리면, 선인의 사람들의 행동을 취하면 정의 체 있다고 할 수있다 거치지 만, 자신 이니까 어쩔 수 없다라는 것 뿐이군요.
그래서 좀 더 그 뭐랄까니까 시야를 넓힌다. 눈으로 보는 것도 그렇고. 마음으로 보는 것도 그렇습니다 그러나. 시야를 넓힘으로써 자신의 지금 납득할 수없는 것들이라는 것이 납득할 수있을 때, 그런 때 이어갈라는 것이 중요하다고 생각 이예요.
그래서 그 지진 때도 그랬다하더라도. 갑자기 네요 부모가 자신의 곁을 떠나 버렸다 어린 아이들도 많이있다 말이야, 뭐, 라디오에서도 여러 편지를 읽어 해주고 거지 만요 후쿠시마으로부터받은 그 유치원의 그 조치 자녀 우리의 이야기 라든지 뭔가 여러가지 아이의 자유라고하는 것일까? 미래라는 것일까, 그런 어른의 관점에서 볼 때 여러 가지라는 편지 여러가지 읽어 드렸습니다 만,あのん저 같은 사람, 역시 부모가 있으니까 여기까지 부모를 생각하는 기분 부모에 생각하고 받는 기분이었다거나 여러가지 배울 수 있지만,하지만 갑자기 부모가 자신의 옆에서 멀어 버리거나, 혹은 그 반대의 경우도 있고 말이죠, 이렇게되어지면, 응 정말 말로 표현할 수없는, 정말 마음 에서 꿈틀 거리는, 어쩐지 이렇게, 응 조치 갈 곳없는 것을 말하는 것일까 그런것 태어난가는 그것을 어떻게 어떤 식으로 살아 갈까라는 것은 그 사람이 결정 해가는 것이고, 다른 자가 결정되는 것이 아닌,하지만 다른 사람이 생각하는 것은 가능하기 때문에, 생각하게하는 그것을 직접 말할 수없는のであ 당신은 이런 곳에서 무엇인가 나는 이렇게 그리워 할거야라고 말할 것이 중요이거나, 또는 음악을 통해 남겨진 사람들, 혹은 여행을 떠나 간 사람들에 대해 이런 식의 노래 를 나는 지금 살아있는 한껏에서 만들고 싶다고 생각하고 만들고있는 곡도 많이있어. 응. 그래서 정말 그 조치 목숨 은요, 그 - 싸우자하지만 다툼을했을 것입니다 만, 사라져가는 것이니까, 그 - 정말 뭐라고 일까 소중히 생각하고 싶다고 생각 이예요, 나는군요. 응. 그래서,
뭐, 앞으로 10 대 이니까 말이죠, 20 대가 30 대가 돼서 그 마음은 점점 변해 간다고 생각합니다 그러나 감사라고 생각 끝에 뭔가 이렇게, 아빠이거나, 가족이라는 소중한 같은 사람들을 생각하면서 살아 주었으면하는 식으로 생각하고 있습니다.
마지막으로 또 하나 읽어 드리겠습니다 싶습니다 그러나.
코스모스 씨가 말이죠,
"사실, 어 지난달입니다 그러나 50 대 구마모토의 강함 친구 씨가 하늘로 부름을 받았다」라고하는 것으로, 어"같은 구마모토의 친구가 알려 줘서 매우 슬펐습니다. "라고하는 데요. "6 월의 Shamanippon Ship 티켓 네요 두 사람에게 양보 해 줄 수 있었으므로, 그녀는 4 년 만에 원시 쯔요시 군을 보면 노래를 즐길 수, 나라를 만끽 몇번이나 몇번이나 답례를 말씀 하셨다과 이었기 때문에 마지막으로 좋은 추억을 도울 수있는 것이 그나마 구원입니다 "라고 그분은 말씀 하신다 있습니다.
어 밤샘 장례식에서 아들이 말이죠, NIPPON의 '왕 벚나무'와 '인연을 두레'를 흘렸다는 것입니다. 2 곡 모두 쯔요시 군이 엄마를 생각 부른 노래니까 것으로, 아들들은 흘려 주신라는 것.
이 「NIPPON」라는 앨범이 유럽권에서 발매 했습니다만, 그 중에 '왕 벚나무'라는 곡을수록하고있어서,이 '왕 벚나무'는 센다이에서 이전 내가 라이브를 행했을 때에 불러 준 또는 테이크입니다 그러나 그것을 あのん 그 앨범에수록 해 주셔서,이 '왕 벚나무'라는 곡도 그 가족과의 시간이 너무 증가해서, 봄에는 벚꽃을보고 가는라는 것을, 뭔가 이렇게 이벤트로 겨우 있었던 거죠. 그리고, 머 그런 중에 그런 것을 시작하고 나서 2 번째 정도 말이죠, 그 뚜껑 년 째 정도 였다고 생각합니다 그러나 어머니가 "너와이 벚꽃 앞으로 몇 회 정도보고 벽돌 걸까"ㅅて이라고 はっ 한 거죠. 그것이 또 괴로워 요,로 그 허리를 보는듯한 형태로 그 말을 받아 들여 졌기 때문에 말이죠, 그래서 벚꽃이 정말 네요 바람에 바ァ 조치 활짝 납치 된 형태로 꽃잎이 흩날리고 것 하물며군요, 그리고, 뭐, 어쩐지 그 '무엇 뭐니거야군요」정도 밖에 말하지 못 했습니다만, 부모에게 그런 식으로 말하는 날이 올 줄은별로 상상하지 않았던 걸 때문에 마음의 준비되지 않고 밖으로,하지만 그 말을 말하는 때, 뭔가 이렇게, 저라는 아이를 생각하는 기분과 동시에 뭔가 하늘에 올라 갔다 부모를 생각하거나하고있는 것일까,라고 같은 몇 분 이었어요 군요. 그리고, 정말 그 어머니도 역시 아이 하구요, 할아버지 할머니, 제가 말하는, 할아버지, 할머니의 자녀이기 때문에 응 조치 뭔가 이렇게 역시 엄마 나름의 생명이라는 의식을하고있는 것일까 ...라고, 뭐, 시간이있었습니다주세요. 그래서 정말 이니 아무래도 아무래도 응 어쩐지 이렇게 갈 곳이없는 감정이라는 걸까요이를 음악하자라는 것으로 '왕 벚나무'라는 곡을 만들어 했습니다만, 그 다양한 마음의 고통도 그렇습니다 만, 몸의 통증도 정말 싸우면서 지나가고있는 가운데 라이브에 와주 はっ하고, 어 내 뭐, 내라고 할까, 내 동료이거나 여러가지 물건을 듣고 받을 수 있었다 체감 해달라고했는지라고 생각하면 여러가지 기분이되어 버립니다 그러나,이 Shamanippon Ship 도요, 그 - 할거야라고 말했는데, 말하자면 당초 4 월초 말이죠, 시작하는 것으로, 벚꽃길을 봐 주면서 회장에 들어와 주시면 좋겠다,라고 주최 쪽은 말을 했군요. 그리고, まその 주최 쪽도군요, 조금 몸을 끊은 거에요. 그리고, 나도 협의는 전부 병실이었다거든요, 그리고, 그 - 그 사람을 생각하면, 아니하겠다는 결정도 있었다 것이고,하지만 팬 분들을 생각하면 해줄 원하는라는 기분도 있고, 또는 밴드 멤버도 그렇습니다 만, 계속 수정 상태로 할 것인가하지 않는 것인지 모르겠다라는 상태가 계속되고 있었기 때문에 말이죠, 그리고, 다양한 드라마가있었습니다주세요, 그리고, 정말 그 자 처음 병실을 만나러 갔다 때도 그랬더라도, あんだけ, 건강했던 사람이 전혀 말하지되어 거치지 않는군요 や. 라는 상태였던 것으로, あのん 내가 제대로하지 않으면라고 생각주세요, 그리고, 뭐, 그런 때의 부드러움 배급라는 말투도 있고 인데요, 와우 어려워주세요. 누구에게 친절을 던질 수 중요한가 굉장히 어렵고 그 때라고는 입장이라는 것을 걱정하는 사람도 있고, 정말 그 사람의 몸을 걱정 해주는 사람도 있으면, 정말 인간은 정말 각각이기 때문에, 그런 것도 또한 공부시켜주고 요, 그래서 뭐, 결국, 할 말야 그 사람이 결정 해 준 거죠. 그리고, 그럼 이제하는 이상, 그 내가 책임 가지고, 그럼하겠습니다 때에, 그러한 상황 속에서 시작했던 거죠. 뭐, 사무실 분들 이라든지, 그랬더라도, Ship 도요, 그 - 할거야라고 말했는데, 말하자면 당초 4 월초에 말이죠, 시작하는 것으로, 벚꽃길을 봐 주면서 회장에 들어와 주시면 좋겠다,라고 주최 쪽은 말을 했군요. 그리고, まその 주최 쪽도군요, 조금 몸을 끊은 거에요. 그리고, 나도 협의는 전부 병실이었다거든요, 그리고, 그 - 그 사람을 생각하면, 아니하겠다는 결정도 있었다 것이고,하지만 팬 분들을 생각하면 해줄 원하는라는 기분도 있고, 또는 밴드 멤버도 그렇습니다 만, 계속 수정 상태로 할 것인가하지 않는 것인지 모르겠다라는 상태가 계속되고 있었기 때문에 말이죠, 그리고, 다양한 드라마가있었습니다주세요, 그리고, 정말 그 자 처음 병실을 만나러 갔다 때도 그랬더라도, あんだけ, 건강했던 사람이 전혀 말하지되어 거치지 않는군요 や. 라는 상태였던 것으로, あのん 내가 제대로하지 않으면라고 생각주세요, 그리고, 뭐, 그런 때의 부드러움 배급라는 말투도 있고 인데요, 와우 어려워주세요. 누구에게 친절을 던질 수 중요한가 굉장히 어렵고 그 때라고는 입장이라는 것을 걱정하는 사람도 있고, 정말 그 사람의 몸을 걱정 해주는 사람도 있으면, 정말 인간은 정말 각각이기 때문에, 그런 것도 또한 공부시켜주고 요, 그래서 뭐, 결국, 할 말야 그 사람이 결정 해 준 거죠. 그리고, 그럼 이제하는 이상, 그 내가 책임 가지고, 그럼하겠습니다 때에, 그러한 상황 속에서 시작했던 거죠. 뭐, 사무실 분들 이라든지, 그랬더라도, Ship 도요, 그 - 할거야라고 말했는데, 말하자면 당초 4 월초에 말이죠, 시작하는 것으로, 벚꽃길을 봐 주면서 회장에 들어와 주시면 좋겠다,라고 주최 쪽은 말을 했군요. 그리고, まその 주최 쪽도군요, 조금 몸을 끊은 거에요. 그리고, 나도 협의는 전부 병실이었다거든요, 그리고, 그 - 그 사람을 생각하면, 아니하겠다는 결정도 있었다 것이고,하지만 팬 분들을 생각하면 해줄 원하는라는 기분도 있고, 또는 밴드 멤버도 그렇습니다 만, 계속 수정 상태로 할 것인가하지 않는 것인지 모르겠다라는 상태가 계속되고 있었기 때문에 말이죠, 그리고, 다양한 드라마가있었습니다주세요, 그리고, 정말 그 자 처음 병실을 만나러 갔다 때도 그랬더라도, あんだけ, 건강했던 사람이 전혀 말하지되어 거치지 않는군요 や. 라는 상태였던 것으로, あのん 내가 제대로하지 않으면라고 생각주세요, 그리고, 뭐, 그런 때의 부드러움 배급라는 말투도 있고 인데요, 와우 어려워주세요. 누구에게 친절을 던질 수 중요한가 굉장히 어렵고 그 때라고는 입장이라는 것을 걱정하는 사람도 있고, 정말 그 사람의 몸을 걱정 해주는 사람도 있으면, 정말 인간은 정말 각각이기 때문에, 그런 것도 또한 공부시켜주고 요, 그래서 뭐, 결국, 할 말야 그 사람이 결정 해 준 거죠. 그리고, 그럼 이제하는 이상, 그 내가 책임 가지고, 그럼하겠습니다 때에, 그러한 상황 속에서 시작했던 거죠. 뭐, 사무실 분들 이라든지, 그랬더라도, 없는 모르겠어요라는 상태가 계속되고 있었기 때문에 말이죠, 그리고, 다양한 드라마가있었습니다주세요, 그리고, 정말 그 자 처음 병실을 만나러 갔다 때도 그랬더라도, あんだけ, 건강했던 사람이 전혀 말하지되어 거치지 않는군요 や. 라는 상태였던 것으로, あのん 내가 제대로하지 않으면라고 생각주세요, 그리고, 뭐, 그런 때의 부드러움 배급라는 말투도 있고 인데요, 와우 어려워주세요. 누구에게 친절을 던질 수 중요한가 굉장히 어렵고 그 때라고는 입장이라는 것을 걱정하는 사람도 있고, 정말 그 사람의 몸을 걱정 해주는 사람도 있으면, 정말 인간은 정말 각각이기 때문에, 그런 것도 또한 공부시켜주고 요, 그래서 뭐, 결국, 할 말야 그 사람이 결정 해 준 거죠. 그리고, 그럼 이제하는 이상, 그 내가 책임 가지고, 그럼하겠습니다 때에, 그러한 상황 속에서 시작했던 거죠. 뭐, 사무실 분들 이라든지, 그랬더라도, 없는 모르겠어요라는 상태가 계속되고 있었기 때문에 말이죠, 그리고, 다양한 드라마가있었습니다주세요, 그리고, 정말 그 자 처음 병실을 만나러 갔다 때도 그랬더라도, あんだけ, 건강했던 사람이 전혀 말하지되어 거치지 않는군요 や. 라는 상태였던 것으로, あのん 내가 제대로하지 않으면라고 생각주세요, 그리고, 뭐, 그런 때의 부드러움 배급라는 말투도 있고 인데요, 와우 어려워주세요. 누구에게 친절을 던질 수 중요한가 굉장히 어렵고 그 때라고는 입장이라는 것을 걱정하는 사람도 있고, 정말 그 사람의 몸을 걱정 해주는 사람도 있으면, 정말 인간은 정말 각각이기 때문에, 그런 것도 또한 공부시켜주고 요, 그래서 뭐, 결국, 할 말야 그 사람이 결정 해 준 거죠. 그리고, 그럼 이제하는 이상, 그 내가 책임 가지고, 그럼하겠습니다 때에, 그러한 상황 속에서 시작했던 거죠. 뭐, 사무실 분들 이라든지, 그랬더라도,
"나라 따위에, 네, 그렇게 매일하고 사람이 오는 것은 없다"라는 발언도 있었어요. 하지만 나는 어쩐지 많이 와주 겠지라는 확신이 있었기 때문에 응 조치한다고하는군요. 응. 하지만までも. 주최 쪽도 말씀하셨습니다 만, 그만둬라고 알려져 거치지ねんから, 대단한 걸や구나,라는 이야기는하고 있었군요. 결과 그만이라고는 안했어 때문에, 결과 좋아합니다. 라는 말씀도 그만이라고 알려져 거치지 때문 대단한 것이구나라고.
하지만 이것은, 그 평안 신궁 씨 3 년시켜 준 것도 그렇거든요. 팬 분들의 그 행동이나 마음이란 것이 직접 전해져 없어도 왠지 전해져 하니까 그만둬라고 말하지 않는 지요,라고 나는 무척 궁금하네요, 3 년 연속 헤이안 진구 씨시켜주었습니다 만, 제주 씨와行司씨, 다양한 것이 "팬 분들의 매너가 엄청 좋네요"라고 말해 주시 지요. 아마 그런 것도 봐주고 겨, 그리고, 그래, 얻은 3 년간 야라고 생각하는 거죠. 그래서 그 무엇 이지요, 응, Ship라는 것도 여러가지가있어 힘들지있었습니다 만 말이야, 그래, 그 이런 에피소드를 이런 이야기를 다시군요 전해달라고하면 역시하고 좋았다 계속 생각하고 또한 이러한 일을 할 수 있으면라고 역시 생각 하구요, 그 기간 안에 다양한 드라마가 있었구나,하고 새삼 있으며 ... 뭐, 앞으로도 뭔가 이렇게 이벤트 또는 라이브하거나 CD 내거나이 라디오 방송도 그렇습니다 만, 많은 사람들이 많은 드라마 속에서 살면서 자신이라는 인생에 조금이라도 이렇게 만져 준구나라는 것을 명심하고 생활을 해 나가고 싶다고 말하는 식으로 생각합니다. 그 것을 다시 한번 잊을수시켜주는 이야기를 이메일로 보내 주셔서 감사합니다.
자, 조금 길어져 버렸 습니다만, 어 도모토 쯔요시의 근황. 어 쇼치쿠 자리. 오사카 쇼치쿠 좌 씨에게 말이죠 특별 공연. 어 머 코메디 씨에서 말하는 '다이 키리」입니다 만, 어, 뭐, 조금 웃음 분도 내가 좀 좋아해서, 뭐, 슬픈 중에도 웃음, 웃음 속에도 슬픔 있고, 웃음って것이 무엇인가 내 안에 매력적인 것 중 하나로 있는데요. まそれ그것을 당초 연말 만 다이 키리 같은 웃음 였으면 좋겠다,라고 말 했습니다만, 그 주최 아까 이야기하는 것이군요, 웃음을 좋아하고. 감색 만, 어쩐지 팬의 사람이 즐거운 듯이 웃고ん것도 좋아구나,라는 그 팬의 수 생각해주고있는 사람 중 한 사람 이니까 말이죠, 이런 짓하면 좋 잖아라고 쇼치쿠 좌에서 추가로 어떻게하면 좋 잖아. っ있다하여 7, 8, 9 일과 오사카 쇼치쿠 좌 씨 쪽에서 작은 희 이익이라는 것을시켜주게 했으므로, 꼭 티켓 맞아 버렸군요 웃음을 약속 때문에, 꼭 기대와 주셨으면하는 식으로 생각하고 있습니다.
이제 이야기도있었습니다 만, '왕 벚나무'라는 곡을 들어 주면서, 작별하고 싶다고 생각하고 있습니다. 꼭 여러분 앞으로도 다양한 이메일 주셨으면한다고 생각합니다.
앞으로도이 라디오 응원 해 주실 수 있으면라고 생각합니다.
그러면, "도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book"상대는 도모토 쯔요시였습니다. 또한 다음 주에 만납시다, 안녕히 주무세요.
♪ "왕 벚나무"NIPPON ver.
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