도모토 쯔요시 20121013 堂本剛とFashion & Music Book
堂本剛とFashion & Music Book
bayfmをお聴きの皆さん、こんばんは。堂本剛です。
さぁ、堂本剛とFashion & Music Book 始まりましたが。
え~、とうこさんからいただきました。ね、メールいただきました。
「剛君のラジオ大好きです。」と1行目から始めていただいております。
ありがとうございます。
「2010年の4月ぐらいからほぼ毎週聞いていますよ。」と。
「ラジオは1週間の中で他のことを考えずに剛君の話だけを聴く癒しの時間です。
私は9月4日で15歳になってしまいました。」と。
10代の方が癒しと言ってくれている、この33歳のおっさんのこのテンションの話をね。
「どんどんおばさんになっていくと思うと恐ろしいです」というね(笑)
この子は10代にしてそれを今危機感として持っていますね。
「15歳の今のうちにやっておいた方がいいよなんてことありますか?」と。
「私が剛君ぐらいの年齢になっても今みたいなカッコよくて可愛くて素敵な剛君でいてくださいね。愛しています。」というふうに言って下さっていますが。
え~と、この子だからあと15年後?48。なかなか難しいね。
48、50でカッコよくては目指せたとしても、その可愛さっていうのはね、老けていくとなかなか至難の業ですよね。
何をもって可愛いかというところを考えていかなきゃいけないね。
いやでも、15歳の子がこんなこと言ってくれる人生になってるって、僕思ってないからね。
自分が30過ぎた時に。ん~不思議なこともあるよね。
15歳ぐらいの時にまあ、やっておいたほうが‥、今の子たちは、すごく僕進化してると思うんでね。
あの、もちろん退化してる部分もあると思います。
それは教育の違いがすごく大きいと思いますが。
進化してる部分がすごくあって、やっぱりその何て言うんですかね、と言うのはテレビを見ても、雑誌、ラジオでも何でもそうですけれども、あまり自分というものを出さずして適切なコメントを言うっていう知恵っていうものがすごくあると思います。若い子たちは。
だから大人にこう言っとくと大丈夫とか、こういう風に言えばこの大人コントロールできるというような、ちょっとその知恵というものがすごく僕は成長してると思うんです。
本当にテレビ見ていても本当のコメントを言っている人が一切出てこない、っていうぐらいの時代がありましたよね。
今、ようやくですけれども、ようやくご飯を食べて「俺、あんまり美味しいと思わへん」というような空気感ってまた戻って来てますが、いっとき誰もが「美味しい」「美味しい」「すごい」「うまい」何なの?このグルメレポートみたいな。
それをだからグルメレポーターっていう仕事じゃない域に入っていたりとかですね。
音楽もそうですよ。ね、音楽売れなくなってきたっていう話もいろいろありますけれども、やっぱり誰もが知ってるような言葉を並べりゃいいというものではないと解釈の人も出て来ましたよね。
うん、そういう風に批判する人達も出て来たし。
「いや、それの方がいいんだ」と賛成する人も出て来た。
これはある種、その新時代なんですよ。
やっぱり日本人の言葉、日本語、現代語ではなくて誰もがわかる言葉、という風に教える教師側がわかりやすい誰もが解ける問題を出してもしゃーないですよね。
うん、だからこれはどういう事を言ってるんだろうという歌詞を書くべきだと僕は思っているんですけれども。
で、たくさんの人に「あぁ、いいよね、あの歌共感できるよね」って言う事だけを得るのであれば簡単な言葉の方がいいし、テーマは恋愛でいいと思います。誰もがホントに共感できるから。
でも、何かこう想像させることを楽しませたり、音を楽しむというものが音楽ですから、わかりやすいものではなくて音を楽しむものであり、楽しませるものであるから、ということであれば歌詞もメロディーというものも構成というものもやっぱり独創的なものになりすぎない独創的なものを目指す人、独創的なもので終わっていく人、といろいろありますけれども。
逆に言えば色々な曲を作れる人生でいいわけじゃないですか。
くそわかりやすいものも書けるし、すごく難解なものも書けるし、中間もわかってるし、みたいな。
あるいは提供曲してもらえるものも自分のものにできるしとか。
あるいは人が作ったものも人が歌ってきたものも自分歌に変えれるとか。っていうのがたぶん音を楽しむ、音を楽しませるっていうことだと思うんですよね。
だから、何か、何がいいたいかというと、何か、10代、今生きてる人が、飲み込まれているその空気感ってあると思うんですよ。
それをすごく客観視しながら、飲み込まれて欲しいなと思いますね。
それはその時代にしかないものなんで、空気感なんで。批判する、反発するっていう必要性は絶対僕はないと思います。
今の若い人の感覚って言うのはそれはそれで僕面白いと思うんですよね。
その年その年にある空気というのがあると思いますけれども、今の僕、そうですね、若い世代の人達が持っている空気感と言うのは将来危険なものになるとは僕は思いますよね、正直。
それはもしかしたらこの国だったり故郷というものを大きく大きく揺るがす空気感だと僕はちょっと思います。
だからその、もう少し心の知恵っていうんですかね、そういったものを何かつけてもらえるようなことを大人たちは商品として出していくべきだと思うんですよね。
でもその大人が心を使わず、頭を使って、知恵を使って商品開発して、利益を儲けようと、するような空気がすごく多い今だから、だから心が育たない。
だからそういった若い世代の人達が育っていくのは僕ら大人の仕業でもあると思って僕は生きています。
だから、そこをね、何か気付ける人っていうのは少なからずいると思うんですよね。
で、このハガキ頂いた、というかメール頂いたというのもありますんで、何かこう今の空気感に飲まれ過ぎずに客観的に何か生きるっていうことをするとやっぱり15歳にしか見えないことっていっぱいあるんですよね。
まあ、ベタに言うと、ホント勉強しといたほうがいいよとは思いますよ。
めっちゃ勉強しといて損はないですから。
ホントに、これは友達をも救い、家族をも救いって、自分をも救うっていう。
うん、勉強ってホントすごい大事だと思います。
でも、心の勉強っていうのもやっぱ大事なんで。その辺はうまくこう見定めながら。
僕のこのラジオにちょっとしたヒントもあるかもしれないから、何かこう何となくこう聴いてもらってね、「ああ、30代の人ってこういう考えで生きてんのか。」っていうのを目の当たりにするラジオでもあると思うんですよね。
だからそういう風にも聴いていただければいいなあと。客観視に繋がるコメントヒントって何かあるような気もしますしね。
でもホントその10代の人から教わることっていうのも我々もあるし。
だから逆にあなたしか知らない空気感というのかな、何かそういったものもまたねメールで頂けるとすごく嬉しいなと思う。
何か自分は今こんなことに不安があるとか、
大人をこんな風に見てる、
自分の国、故郷というものをこういう風に見てる、
ここを期待している、こんなことは一切期待していない、
そんなことを何か10代の人から僕はいただけるようなラジオになってもいいなと思うしね。うん。
さあ、ということでございまして、
今日はね、「SUNK you」という曲をかけますけれども。
まあ、この曲もホントに「shamanippon歌おう、踊ろう」みたいな歌詞しか出てきませんが。
何かホントにさっき知恵って話してましたけれども、さっき心の知恵を付けて欲しいってshamanっていう言葉もその「心」っていう、「想い」っていうキーワードから僕はshaman っていう言葉を引っ張ってきたんですけれども。
本来ならばね、神のお告げを言う人という何かありますけれども、そういうわけではなくて、誰もがshaman っていうか、誰もが心っていうものを使うことができて、生きることができると、そういうような日本、そういう日本が昔にあったと僕は思うんだという想いも込めてね、
こちら「SUNK you」を聴いていただきながら今日はスタートしたいと思います。それではどうぞ。
♪SUNK you
さぁ、堂本剛とFashion & Music Book
ここではリスナーの皆さんにいただきましたメールをご紹介しますが。
今日はひよさんなんですけれども
「先日は東京に遊びに来ていたのでラジオを聴くことができました。」と1行目から。
そして「すごくまじめに話をしていて、このラジオが全国で聴けないのが悲しくなりました。」と。
確かにそうですね。真面目な話が多いですからね。
さっきもちょっといろいろ話をさせてもらいましたけれども。
こういう話をしてるという印象はホント少ないでしょうね。世間の人からすると。
でもこれがラジオの僕はいい影響力だと思うんですよ。一人の心の中にホント奥深く入っていくものだと。
一対一の感覚になりますよね。
スピーカーから聴こえてくる、大体ラジオ聴く時には皆で「聴こうぜ」って30人ぐらいで聴くってなかなかないじゃないですか。
まぁ、オリンピックとか、まあ、わかんないですけど競馬とかちょっとやったことないんでわからないですけれども。
何か大勢で聴くっていう瞬間はあるにせよ、テレビってこう大衆向けに作られたものだと思うんですよね。
でもラジオっていうものは昔はそうだったんだけれども今何かこうマンツーマンな空気感っていうものを産みやすいものではあると思います。
そういう線を描いてると思うんですね。
だからたまたま聴いた人が僕の話に耳を傾けてくれるっていう率は高いはずですよね。
テレビの流し見ではなくて。
そういう何かラジオにある可能性っていうか、光っていうかそういうものは何か僕はやっぱり好きだなってところでやらさせて頂きたいなってずっと思って生活してたんですけれども。
こう何年もいろいろラジオさせてもらってる中でこういう何ていうのかな、コメント?をいただいたりすると今も言いましたけれども、ラジオやってていいなとは思いますね。
「今回メールが読まれた方達は若い子でしたけれども自分の人生を真剣に生きてるなと感じました。」と。
その時僕が相談に乗っていた方が若い方でその方のメールの文章にそういう風に感じたと。「人生の先輩として人生に悩んでいる若い子達にアドバイスしてる剛君に何か感動しました。」と。
「自分の人生とちゃんと向きあって常に真剣に生きているからできることですよね。今の剛君は自分の未来をどんな風に描いていますか?」と。
「私は自分の未来が想像できません。この先どうなりたいとか、何をしたいとかそういう希望が持てません。というか努力をしたくないんだ」と。
「何をするのも面倒臭いなと思ってしまいます。今が楽しければいいや、と楽な道ばかり進んでいます。いつもいなくなってしまいたいと思っていても自分で全てを終わりにしてしまうほど人生に絶望しているわけでもないし、実際そんなことする勇気もありません」と。
「ただなんとなく毎日をやりすごしています。剛君から見るとこんな私は腹立たしく思うかもしれませんがこれが私です。」と。
「今まで剛くんからたくさんの言の葉を受け取ってきたのにその時は、色々考えたりするけど、結局その時だけなんですよね。いろんなことに甘えているんですよね。とラジオを聴いて何となく剛君に自分のことを伝えたくなってメールしました。ごめんなさい。」という風に言って下さっています。
本当にね、僕自身が生み出しているというか自分から発している物体とかメッセージは、音楽にせよ、言葉にせよ、笑いにせよ、何でもそうですけれども、そのホント一瞬でも光を与えるっていう仕事から、本気で救うっていうものにどんどん変わってきたんですよね。
ホントにその人に光をあてる気持ちで、どんなにその人が暗闇であろうが。
だから、あの~、人間どうしても、その光が、暗闇の中に光が差すと、「あ、光ってる」って思いますよね。
虫が光に吸い込まれるように生き物っていうものは光に進んでいく習性があるんです。
山道、夜道を歩いていることを想像してください。
月が山の間を抜けて浮かびました。
見ますよね。
月明かりを辿って道を歩きますよね。
そうすると何キロか歩いていくと湖に出て、その水面に月が映り、そこに生物が何か生きているような気配もありながら、それをまた辿っていくと、家が見えてきて。
そうすると家の中にほんの少しの明かりがついていると。
そこ入っていくじゃないですか。「すみません」って。そこで出会っていく。
この道中の中でも、水が出てくると人間また安心するんですよね。
光と水。その水の集まる所には生き物が絶対いますから。
また人間ではない生き物を見て、恐怖を覚えるけれどもそれが出て来た物が例えば馬であったりとか鹿であったりすると、まあ攻撃的ではないと、だから安心する。
でもこれが熊とか蛇とかになるとちょっと怖くなる。
でも最終的に人が住んでるってわかるものに出会うとものすごく安心する。
その人がいい人であれば本当にラッキー。ってことだと思うんですね。
だからいわゆる、その、最終的な光、というか明かりのようなものですよね。
僕がたぶん作りたいものって。
だからその月の光とかっていう、その神々しいものをあてるっていう感覚はもちろんあるんですけど、たぶん本当に与えたいものって、ともし火のような明りって言うんですかね。
だから暗闇の中に、ポッとさく光ですね。
照らすってことでなくポッとさく光っていうものを見せたい。
でも、そういう時に、「あ、あそこに人がいるかも」と思って家の中に入って行こうとしてノックする人と、それでも怖いから通り過ぎる人いると思うんですよ。
で、通り過ぎるとどうなりますか?ってなった時にまた月明かりに戻っていきますよね。暗闇にも戻っていくし。
たぶん僕はそんな感じで存在してるだけなんだと思うんですよ。
月の明かりのようにそんなに親切ではないと思うんです。
月の明かりというのは本当に常に照らしてくれてるし、太陽の光も常に照らしてくれます、僕達を。
でもいわゆる僕っていうのは、そこにいるんですよね。
だからみんなからたまたま巡り会ってもらうようなともし火、明かり、光であって常に皆がどこに移動しても照らしててあげるよっていうようなことではないんだと最近感じてます。
だからそれはいわゆる何をいいたいかというと、僕の曲を聴いていただいても、僕のライブ見ていただいても、こういうラジオのコメント聴いていただいても、とにかく最後は自分の足で出かけたい所に出かけてほしい。だと思うんですよね。
ずっとそこに座る、居座る、ではなくて。
これは僕のファンを離れてくださいという話をしているわけではなくて。
自分の人生、何かこう道に迷った時に、ポッとさくともし火に寄って来てもらえればよくて、そこでもしかしたら家の中で話をすれば何かその人を救うヒントがあるかもしれない。
家の中に入って焚き木をしているそのともし火に手をあてて少し暖をとる、「ああ体が温まりました、ありがとうございます」ってよく絵本でも何でもありますけれども。
そんなものだと思います。
で、温まったりすると元気が出てきます、人間ね。
で、元気が出れば、じゃあちょっともう少し歩いてみます。
まぁ、なんかあったら、また戻ってくれば、みたいな。
いつもその心の中にはその暖を取った時の焚き木のともし火であったり、ランプのともし火であったりというなにかこう温もりとして残ってる。
でもその人の人生、その人の道というものがあるからその人はまた旅に出る、
で、何かあった時に思い出す、
で、何かあった時にまたそこに戻る。
何かそんなことで良くないですか?って。
そういう関係で良くないですか?と。
だから本当ファンの人達と何ていうのかな、昔は本当にその月の光、太陽の光というものになろうというか、そういうような想いが強かったんだと思うんですけども。
何かこう本気で救うっていうか、その人が選んでその光に入ってくるっていうのかな、何かそういうよな流れの関係性がいいなっていう風に思ったんだと思います。
だから求めるようで求めない関係がいいってずって言ってましたけれども、
僕はただただそこにいますよ。
で、皆さんがそこに来る。
で、皆さんがまたそこから出かけはる。
で、また帰ってきはる。
っていうような何かそんなんでよくないですかね。
これは僕の仲間ミュージシャンとかも、何でも映像だなんだいろんな人達、友達、皆そうですけど。ホントそんな感じなんですよね。だからすごくいいお付き合いができますよね、仲間と。
だからファンの人達ともすごくいいお付き合いができる為には何かそういうような感覚かな。
だからこの、ひよちゃんもね、「ごめんなさい」と最後に書いてるけど、謝ることではないよね。
だって面倒臭いものは面倒臭いよね。正直、嫌いなものは嫌いだよね。
それは素直やからいいよね。
でもそういう自分が違うと、嫌だと思うなら自分の力で変えればいい。
変えれないならそれまで。変えれない。
でもこれが例えば恋をするとか何か違う新境地に入った時に人は変わろうとするからそういう所に自分を持って行く、恋じゃなくても変わろうとする自分ていうものは作れるから。
ただ、ホントに自分が嫌だなと思ったら、そういった自分にさようならバイバイと手を振るべきですよね。
でも僕はどんな人生でもどんな人でも今っていうものをその人なりに一生懸命生きているから、僕はいいと思いますよ。
すごく最後ざっくりまとめちゃったけど、すごくいいと思いますよ。
だから「ごめんなさい」ということでもなくて、僕のラジオでよければ、音楽でよければ、触れてもらえたらすごく嬉しいなと思います。
そして、いつかひよさんの心の中に、少しでも1秒でも1分でも多く残るようなそんなともし火、光でありたいなと思うし、そんな時がくればいいなという風な思いも込めてこちら「きみがいま」という曲を聴いていただきましょう。どうぞ。
♪きみがいま
堂本剛とFashion & Music Book
今夜の放送いかがだったでしょうか?
皆さんから真面目なメールもしょうもないメールも何でもいいです、送ってください。
メールの方は tsuyoshi@bayfm.co.jp
FAXの方は043-351-8011
はがきの方は〒261―7127 bayfmまで
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
さあ、そして私堂本剛の近況、
「大阪の陣。平成24年 第24回 堂本剛独演会 『小喜利の私』」が終了しました。
「どんだけやんねん!」っていうスケジュールでしたけれども、おっちゃんが「これやってくれ」ということでね。「わかりましたよ」と。
そしてこれから迫っております、待っておりますのが東北三小喜利というのが。
これは私が「東北に次何か笑いというものをね、こいつホンにしょーもないなという空気感を伝えに行きたい」ということで、ずっと言っていたらですね、東北三小喜利というものも実現するということになっております。
そしてこれまたびっくりしたんですけれども、「もうちょっとやってくれへんか」と。
あの、なんでしょうね。あの、試食コーナーみたいな感じですかね。
一つ食べたらおいしかったからもう二個ぐらい食べたいみたいな感じをおっちゃんが思ってるんでしょうかね。
あの、大阪のね、松竹座特別公演っていうね、すごいもんが入ってきました。
「第24回 堂本剛独演会 『小喜利の私』 三日間だけよ」っていうね。
んふふ(笑)ホントにふざけててごめんなさい。
本当にね、「タイトルなんかないか」って言われて、うん、『「三日間だけよ」でいいんじゃない』って言ったら、本気でプリントされてますね。
「三日間だけよ」の「よ」は、夜にするとかいろいろ思ってたんですけれども。「いや、2回公演やってもらったりせんと困るし」とかいろいろな話になって平仮名になりましたっていう。
雑でしょ、その感じが。
11月の7日が18時半で
11月の8日だけが14時半と18時半ですね。
で、11月の9日が14時っていう・・。
これまたややこしいねんっていうね。
何か上手いこと、上手いこと揃えたらいいんちゃうん?思いながら。
これまた詳しい詳細はメールとかあのHPとか様々に載ると思いますけれども。
お伝えしますんでね、ぜひ皆さんチェックしていただければなと思いますが。
まぁ(笑)いろいろなことが決まっていってね、まぁ、自分がやりたいことではありますからね。お笑いっていうものはすごく好きで、ホントにいろいろね、この世界、そのトークっていう部分でもお笑いいっぱいみて勉強しましたからね。
さぁ、ということでございましてですね。
今日は、未来、どんな風に考えてますか?とか、そんな話も多かったと思うんですけれども。
今日はですね、「未来への忘れ物」という曲を聴きながらお別れしたいと思います。
と、いうことでございまして 堂本剛とFashion & Music Book お相手は堂本剛でした。
それでは皆さんまた来週お会いしましょう。おやすみなさい。
♪未来への忘れ物
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book
bayfm을 듣고 여러분, 안녕하세요. 도모토 쯔요시입니다.
자, 도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book 시작 했는데요.
네, 후지코 씨로부터 받았습니다. 네, 메일 받았습니다.
"쯔요시 군의 라디오 사랑 해요."라고 첫 번째 행에서 시작하여 드리고 있습니다.
감사합니다.
"2010 년 4 월 정도부터 거의 매주 듣고 있어요."라고.
"라디오는 1 주일에서 다른 것을 생각하지 않고 쯔요시 군의 이야기를 들으 치유의 시간이다.
나는 9 월 4 일에 15 세가되어 버렸습니다."라고.
10 대 분들이 치유 말해줘있는이 33 세의 아저씨의 텐션의 이야기를하네요.
"점점 아줌마가되어 간다고 생각하면 끔찍하다"라고 (웃음)
이 아이는 10 대에하고 그것을 지금 위기감으로 가지고 있군요.
"15 세의 늦기 전에 해 두는 것이 좋아 맙소사 있습니까?」라고.
"내가 쯔요시 군 정도의 나이가 되어도 지금 같은 멋지고 귀엽고 멋진 쯔요시 군에있어주세요. 사랑합니다."라는 식으로 말하고 계십니다 만.
음 ~이 자식 이니까 앞으로 15 년 후? 48. 힘들군요.
48,50 멋지게은 목표하더라도 그 귀여움이라고하는 것은 요, 늙어가는 좀처럼 어려운 일 이죠.
무엇을 가지고 귀여운 있는가하는 점을 생각해 가지 않으면 안하네요.
싫어도 15 세의 아이가 이런 것을 말해주는 인생이 있다고, 나는 생각 없으니까.
자신이 30 지났을 때에. 응 ~ 이상하게도 있지요.
15 세 정도의 때 글쎄, 해 두는 편이 ‥ 지금의 아이들은 몹시 나는 진화하고 있다고 생각하기 때문에 네요.
그 물론 퇴보하고있는 부분도 있다고 생각합니다.
그것은 교육의 차이가 너무 크다고 생각 합니다만.
진화하고있는 부분이 몹시 있고, 역시 그 뭐라고 걸까요,이란 TV를 봐도, 잡지, 라디오에서도 무엇이든 그렇습니다 만, 너무 자신이라는 것을 내지 않고 적절한 의견 말할라고 지혜라는 것이 굉장히 있다고 생각합니다. 젊은 애들은.
그래서 성인에게 이렇게 말해 두지하면 괜찮 라든지, 이런 식으로 말하면이 성인 컨트롤 할 수 있다는 같은 조금 그 지혜라는 것이 몹시 나는 성장하고 있다고 생각합니다.
정말 텔레비전보고 있어도 진정한 의견을 말하는 사람이 전혀 나오지 않는다,라는 정도의 시대가 있었군요.
이제 겨우입니다 만, 간신히 밥을 먹고 "나는, 너무 맛있다고 생각 안했어」같은 분위기라고 다시 돌아오고 있지만, 한때 모두가 「맛있다」 「맛있다」 「대단해」 「능숙하다 "뭐야? 이 음식 보고서 같은.
그것을 그래서 음식 리포터라는 직업이 아니다 경지에 들어가서 이라든가
음악도 그래요. 네, 음악 팔리지 않게되었다라는 이야기도 여러 가지 있습니다 만, 역시 모두가 알고있는 것 같은 말을並べりゃ좋다는 것은 아니라고 해석하는 사람도 나오고 있었군요.
그래, 그렇게 비판하는 사람들도 나오고 요.
"아니, 그것으로 좋다」라고 찬성 사람도 나왔다.
이것은 일종의 그 새로운 시대 랍니다.
역시 일본인의 말, 일본어, 현대어가 아니라 모두가 아는 단어라는 식으로 가르치는 교사 측이 설명하는 사람이 풀 수있는 문제를 내도 샤 없지요.
그래, 그래서 이것은 어떤 것을 말하는 것일까라는 가사를 써야한다고 저는 생각합니다 그러나.
그리고, 많은 사람들이 "아, 좋지요, 그 노래 공감할 수 있지요"라고 말하는 것만 얻는다면 간단한 단어가 더 좋고, 주제는 연애 좋다고 생각합니다. 모두가 정말 공감할 수 있으니까.
그렇지만, 뭔가 이렇게 상상하는 것을 즐겁게하거나 소리를 즐긴다는 것이 음악이기 때문에 의미있는 것이 아니라 소리를 즐길 것이며, 즐겁게 것이기 때문에,라고하는 것이면 가사도 멜로디라는 것 도 구성이라는 것도 역시 독창적 인 것에 지나지 않는 독창적 인 것을 목표로하는 사람 독창적 인 것으로 끝나가는 사람, 그리고 여러 가지 그러나.
반대로 말하면 여러 곡을 만들 인생에서 변명 잖아요.
똥 알기 쉬운 것도 쓸 수 있고, 굉장히 난해한 것도 쓸 수 있고, 중간도 알고 있고, 같은.
또는 제공 노래 해 줄 것을도 자신의 것으로 할 수 있고 든가.
또는 사람이 만든 것도 사람이 부른 것도 자신 노래로 개조되거나. 라고하는 것이 아마도 소리를 즐길 소리를 즐겁게이라는 것을 생각 이예요.
그래서 뭔가 어떻게해야합니까 싶은가하면, 뭔가 10 대, 지금 살아있는 사람이 삼켜있는 그 분위기라고 있다고 생각합니다.
그것을 굉장히 객관적 삼으면서 삼 으면 좋겠다라고 생각합니다.
그것은 그 시대 밖에없는 거니까, 공기 감 이니까. 비판하는 반발한다고하는 필요성은 절대적 나는 없다고 생각합니다.
지금의 젊은 사람들의 감각라고 말하는 것은 그것으로 나는 재미 있다고 생각하는 거죠.
그해 그해에있는 공기라는 것이 있다고 생각합니다 그러나, 지금의 나는, 그렇지 젊은 세대의 사람들이 가지고있는 분위기라고는 미래 위험한 일이 될 것이라고 나는 생각 하죠 정직 .
그것은 어쩌면이 나라이기도 고향이라는 것을 크게 크게 흔들 공기 감이라고 나는 조금 생각합니다.
그래서 그 좀 더 마음의 지혜라는 걸까요 그런 것 무언가 붙여 줄 수있는 것을 어른들은 상품으로 내놓을한다고 생각 이예요.
하지만 그 성인이 마음을 쓰지 않고 머리를 사용하여 지혜를 사용하여 제품 개발 이익을 벌려고하면 같은 공기가 너무 많은 지금 이니까, 그래서 마음이 성장하지 않는다.
그래서 그런 젊은 세대의 사람들이 자라가는 것은 우리 어른의 소행이기도하다고 생각 나는 살아 있습니다.
그래서 거기 네요, 뭔가 깨달을 수있는 사람이라는 것은 종종 있다고 생각 이예요.
그리고,이 엽서 받고했다는 나 메일 주신 것도 높으니까, 뭔가 이렇게 지금의 분위기에 휩쓸려 지나지 않고 객관적으로 뭔가 살이라는 것을하면 역시 15 세 밖에 안 보인다 안돼요て가득하네요.
글쎄, 베타 말하면, 정말로 공부라는 것이 좋아는 생각 해요.
굉장히 공부 두어 손해는 없으니까.
정말로,이 친구도 구하고 가족도 구원하여 그들도 구원라고.
그래, 공부이란 정말 대단한 중요하다고 생각합니다.
하지만 마음 공부라는 것도 역시 중요 하니까. 그 근처는 잘 이렇게 확정하면서.
나는이 라디오에 약간의 팁도 있을지도 모르니까, 뭔가 이렇게 어쩐지 이렇게 듣게주세요 "아, 30 대의 사람은 이런 생각으로 살아 건가."라고하는 것을 목격 라디오이기도하다 생각 이예요.
그래서 그렇게도 듣고 주시면 좋다라고. 객관시에 연결 코멘트 팁이란 무엇인가있는 것 같기도 하구요.
하지만 정말 그 10 대 남자에게서 배우는 것을 말하는 것도 우리도 있고.
그래서 반대로 당신 밖에 모르는 분위기는 것일까 뭔가 그런 것도 또 만나요 메일로 주시면 몹시 기쁘다 고 생각합니다.
뭔가 자신이 지금 이런 불안이 있거나,
성인을 이렇게보고 있으면,
자신의 나라 고향이라는 것을 이런 식으로보고 있으면,
여기를 기대하고있다, 이런 것은 전혀 기대하지 않은 ,
그런 것을 무언가 10 대 남자에서 나는 주실 수있는 라디오가 되어도 좋다고 생각하고. 응.
자,라고하는 것이어서,
오늘 은요, "SUNK you '라는 곡을 넣으더라도.
글쎄,이 곡도 정말로 "shamanippon 부르 자, 춤추 자」같은 가사 밖에 나오지 않지만.
뭔가 정말 아까 지혜라고 이야기하고있었습니다 만, 조금 마음의 지혜를 붙여 주었으면라고 shaman라는 말도 그 "마음"이라는 "마음"이라는 키워드에서 나는 shaman라는 말을 이끌어온 했습니다만.
본래라면 요, 하나님의 말씀을 말하는 사람이라는 뭔가 있습니다 만, 그런 것은 아니고, 모두가 shaman 할까 모두가 마음이라는 것을 사용할 수 있고, 살 수 있고, 그러한 같은 일본, 그런 일본이 옛날에 있었다고 나는 생각한다라는 생각도 담아주세요,
여기 "SUNK you"를 들어 주시면서 오늘 시작하고 싶다고 생각합니다. 그러면 바랍니다.
♪ SUNK you
자, 도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book
여기에서는 청취자 여러분에게 주신 편지를 소개하고 있지만.
오늘은ひよ씨입니다 그러나
"얼마 전 도쿄에 놀러 있었기 때문에 라디오를들을 수있었습니다."라고 첫 번째 줄에서.
그리고 "굉장히 진지하게 이야기를하고이 라디오가 전국에서들을 수없는 것이 슬퍼졌습니다."라고.
확실히 그렇네요. 성실한 이야기가 많으니까요.
아까도 조금 여러 가지 이야기를 해주었습니다더라도.
이런 이야기를하고있는 인상은 정말 적은 지요. 세상의 사람으로부터하면.
하지만 이것이 라디오 나는 좋은 영향력이라고 생각합니다. 한 사람의 마음에 정말 깊이 들어갈 것이라고.
일대일 감각 되는군요.
스피커에서 들려오는 대체로 라디오 청취시에는 모두가 "듣자거야」라고 30 명 정도에서 듣는 좀처럼 없지 않습니까?
아무튼, 올림픽 이라든지, 글쎄, 잘 모르겠지만 경마 라든지 조금 해본 적이 없어서 모르더라도.
뭔가 대세 듣고 말하는 순간은 있다고해도, TV라고 이렇게 대중을 위해 만들어진 것이라고 생각 이예요.
하지만 라디오라는 것은 예전에는 그랬다 았지만 지금 뭔가 이렇게 맨투맨 공기 감이라는 것을 낳고 쉬운 것이 있다고 생각합니다.
그런 선을 그리고 있다고 생각합니다.
그래서 우연히들은 사람이 내 이야기에 귀를 기울여 준다라는 비율은 높은 것이군요.
텔레비전 훑어보다가 아니라.
그런 일 라디오에있을 랄까 빛 이랄까 그런 무엇인가 나는 역시 좋아지고 곳에 당해서하겠습니다 싶다 쭉 생각하고 살고 있지 했습니다만.
이렇게 몇 년 동안 여러 라디오시켜주고있는 가운데 이런 뭐랄까 것일까 코멘트? 를 받거나하면 지금도 말했습니다 만, 라디오하고있어 좋다고는 생각합니다.
"이번 메일이 읽은 분들은 어린 아이였습니다 그러나 자신의 삶을 진지하게 살아 있구나 느꼈다"고.
그때 내가 상담을했던 사람이 젊은 사람에서 그 분의 편지 글에 그렇게 느꼈다. "인생의 선배로서 인생을 앓고있는 어린 아이들에게 조언하고있는 쯔요시 군에게 뭔가 감동했습니다."라고.
"자신의 삶과 제대로 정면으로 항상 진지하게 사니까있는 것이군요. 지금 쯔요시 군은 자신의 미래를 어떤 식으로 묘사하고 있습니까?"라고.
"내 미래가 상상할 수 없습니다. 앞으로 어떻게되고 싶다 든가, 무엇을하고 싶거나 그런 희망을 가질 수 없습니다. 이랄까 노력을하고 싶지 않아"라고.
"무엇을하는 것도 귀찮다라고 생각하게됩니다. 지금이 즐거우면 됐어, 그리고 편한 방법 만 진행되고 있습니다. 항상 없어져 버리고 싶은 생각도 스스로 모든 것을 끝내고 만다 정도 인생에 절망하고있는 것도 아니다, 실제로 그런 짓을 할 용기도 없습니다 "라고.
"그냥 왠지 매일을 적당히 모면 있습니다. 쯔요시 군에서 보면 이런 내가腹立たしく생각할지도 모르지만 이것이 내입니다."라고.
"지금까지 쯔요시 군에서 많은言の葉을 받아 왔는데 그때는 여러가지 생각하거나하지만, 결국 그때 뿐이 네요. 여러가지 일로 응석있는 거죠. 그리고 라디오를 듣고 어쩐지 쯔요시 군에 자신을 전하고 싶어 편지했습니다. 죄송합니다. "라는 식으로 말하고 계십니다.
정말 이군요, 나 자신이 낳고 있다고 할까 스스로 발하고있는 물체 라든지 메시지는 음악이든 말에도, 웃음이든, 뭐든지 그렇습니다 그러나 그 정말로 한순간이라도 빛을 준다라는 일에서 진심으로 구원이라는 것이 점점 변해 왔군요.
정말로 그 사람에게 빛을 비추는 마음으로 아무리 그 사람이 어둠 이겠지만.
그래서 그 ~ 인간 아무래도 그 빛이 어둠 속에서 빛이 바르는하면 "아, 빛나고있는」라고 생각 하죠.
벌레가 빛에 빨려 들어가는듯한 생물이라는 것은 빛에 나가는 습성이 있습니다.
산길, 밤길을 걷고 있다고 상상하십시오.
달이 산 사이를 빠져 떠 올랐습니다.
보고 있지요.
달빛을 더듬어 길을 걷고 있지요.
그러면 몇 킬로인가 걸어 가면 호수에 나오고, 그 수면에 달이 비쳐, 거기에 생물이 뭔가 살아있는 것 같은 기색도 있으면서, 그것을 다시 더듬어 가면 집이 보여오고.
그러면 집안 일본의 작은 불이 들어와 있다고.
거기 들어가는 잖아요. "죄송합니다"라고. 거기서 만난 간다.
이 길 중에서도 물이 나오는 사람도 안심 이예요.
빛과 물. 그 물이 모인 곳에는 생물이 절대 있으니까요.
또한 인간이 아닌 생물을보고 두려움을 느끼는 그러나 그것이 나온 것이 예를 들어 말이었다 든가 사슴이거나하면 뭐 공격이지 않으면 그래서 안심한다.
하지만 이것이 곰이나 뱀이나되면 좀 무서워서된다.
하지만 결국 사람이 살고라고 알 수있는 것을 만나면 굉장히 안심한다.
그 사람이 좋은 사람이라면 정말 운. 라는 것이라고 생각합니다.
그래서 소위 그 최종적인 빛 이랄까 불 같은 것이군요.
내가 아마 만들고 싶은 물건은.
그래서 그 달빛 라든지라고 그 거룩한 것을 충당이라는 감각은 물론 있습니다 만, 아마 정말주고 싶은 물건은, 그리고 만약 불 같은 불빛라고 말하는 걸까요.
그래서 어둠 속에서 팝과 피는 광 네요.
조명이란 것을 아니라 팝과 울타리 빛이라는 것을 보여주고 싶다.
하지만 그럴 때 "아, 저기 사람이 있을지도」라고 생각하고 집에 들어 가자로 노크하는 사람과 그래도 무섭기 때문에 지나가는 사람 있다고 생각합니다.
그리고, 통과하면 어떻게됩니까? 라고되었을 때 또한 달빛에 다시 가고 있지요. 어둠에 돌아가는하고.
아마 나는 그런 느낌으로 존재하고있는 것 뿐이야라고 생각합니다.
달빛처럼 그렇게 친절하지 않다고 생각합니다.
달빛이라는 것은 정말 항상 비추어줍니다 있고 햇빛도 항상 비추어줍니다 우리들을.
하지만 소위 나라는 것은 거기에있는 거죠.
그래서 모두에서 우연히巡り会っ달라고 같은 등불 등불 빛이고 항상 모두가 어디로 이동도주고 비춰 줄게라고 같은 일이 아니에요하면 최신 느끼고 있습니다.
그래서 소위 무엇을 말하고 싶은인가하면, 내 노래를 듣고 하셔도 내 라이브 봐주고도 이런 라디오의 의견 듣고 하셔도 어쨌든 마지막은 자신의 다리에 나가고 싶은 곳 에 나가고 싶어요. 생각 이예요.
계속 거기 앉아, 눌러 앉는,하지 않아.
이것은 나의 팬을 데려가는 말을하고있는 것은 아니고.
자신의 인생, 뭔가 이렇게 타락했을 때에, 팝과 울타리와 등불로 다가오고 주면 좋아서, 그래서 혹시 집에서 이야기를하면 뭔가 그 사람을 구원 팁이있을 수 있습니다 없다.
집안에 들어 장작을하고있는 그 등불에 손을 대고 약간 몸을 덥히는 "아 몸이 따뜻해습니다, 감사합니다"라고 자주 그림책이든 뭐든입니다 그러나.
그런 것이라고 생각합니다.
그리고, 따뜻하거나하면 기운이 나옵니다 인간 네요.
에서 기운이 나오면 그럼 조금 조금 걸어 봅니다.
아무튼, 뭔가 있으면, 또 다시 오면, 같은.
항상 그 마음에 그 몸을 가지고 갈 때의 장작 등불이거나 램프의 등불이었다거나하는 뭔가 이렇게 온기로 남아있다.
하지만 그 사람의 인생 그 사람의 길이라는 것이 있으니까 그 사람은 다시 여행을 떠나,
그리고, 무엇인가 잘못되었을 때 기억,
그리고, 무엇인가 잘못되었을 때 또 거기에 돌아온다.
뭔가 그런 것 잘 않습니까? 라고.
그런 관계로 좋지 않습니까? 와.
그래서 진짜 팬의 사람들과 뭐랄까 것일까 옛날 정말 그 달빛 햇빛이라는 것에 되려고 할까, 그러한 같은 생각이 강했다 거라고 생각 합니다만.
뭔가 이렇게 진심으로 구원 할까 그 사람이 선택 그 빛에 들어오는 거냐 뭐, 뭔가 그런 요 흐름의 관계가 좋다고 말하는 식으로 생각라고 생각합니다.
그래서 요구하는 것처럼 요구하지 않는 관계가 좋다고 줄곧 말해있었습니다 만,
나는 그저 거기에 있어요.
그리고, 여러분이 거기에 온다.
그리고, 여러분이 또한 거기에서 나가고는る.
그리고, 다시 돌아오고는る.
라는 식으로 뭔가 그런 건 좋지 않다니까.
이것은 내 동료 뮤지션 이라든지도 무엇이든 영상이다 뭐야 여러 사람들, 친구, 모두 것 같지만. 정말 그런 느낌 이예요. 그래서 정말 좋은 교제 수 있지요 동료와.
그래서 팬 분들도 정말 좋은 교제가있는 위해 뭔가 그런 느낌 일까.
그래서이,ひよ짱 이네요 "미안 해요"라고 마지막으로 쓰고 있지만, 사과는 없지요.
왜냐하면 귀찮다 것은 귀찮다군요. 솔직히 싫은 것은 싫다 네요.
그것은 솔직 이니까 좋지요.
하지만 그런 자신이 다르면 싫다고 생각한다면 자신의 힘으로 바꾸면 좋다.
변화되지 않는다면 그때까지. 변화되지 않는다.
하지만 이것이 예를 들어 사랑을하거나 뭔가 다른 새로운 경지에 들어갔을 때 사람은 바뀌려고하기 때문에 그런 곳에 자신을 가지고가는 사랑이 아니라도 바뀌 려하는 자신이라고 말하는 것은 만들테니까.
단, 정말로 자신이 싫다라고 생각하면, 그런 자신에게 안녕 안녕 손을 흔드는군요.
하지만 나는 어떤 인생도 어떤 사람도 지금이라는 것을 그 사람 나름대로 열심히 살아 있기 때문에, 나는 좋다고 생각 해요.
정말 마지막 싹둑 정리 버렸지 만, 굉장히 좋다고 생각 해요.
그래서 「미안 해요」라고하는 것도 아니고, 나 라디오에서 좋으면 음악 좋으면 만져 주시면 몹시 기쁘다 고 생각합니다.
그리고 언젠가ひよ씨의 마음에 조금이라도 1 초라도 1 분이라도 더 남는 그런 등불 빛이고 싶다고 생각하고, 그런 때가 오면 좋겠다는 바람의 생각도 담아て여기 "네가 지금 '이라는 곡을 들어 주셔서합시다. 바랍니다.
♪ 그대가 지금
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book
오늘의 방송 어땠습니까?
여러분의 성실한 메일도 시시한 메일도 뭐든지 좋은, 보내 주시기 바랍니다.
이메일 분은 tsuyoshi@bayfm.co.jp
FAX 분은 043-351-8011
엽서 분은 〒261-7127 bayfm까지
잘 부탁드립니다.
자, 그리고 도모토 쯔요시의 근황,
"오사카의 진 헤이 세이 24 년 제 24 회 도모토 쯔요시 독 연회 「소 희 이익의 나 '"가 종료되었습니다.
"응만 잖아군요!"라고 일정이었습니다 만, 아저씨가 "이것은 해줘」라고하는군요. "알겠습니다"라고.
그리고 앞으로 다가온 있습니다 기다리고 있습니다 것이 동북 세 작은 끝이라는 것이.
이것은 나가 "동북에 다음 뭔가 웃음이라는 것을 말이죠, 녀석 홍 쇼도 없다라고 분위기를 전했다에 가고 싶다」라고하는 것으로, 계속 말을하면 말이죠, 동북 세 소 키리라는 것도 실현하는 것으로되어 있습니다.
그리고 이것은 또한 깜짝 했습니다만, "좀 해줘 안했어?"라고.
저, 무엇 이지요. 저, 시식 코너 같은 느낌입니까.
하나 먹으면 맛있었 때문에 이미 두 개 정도 먹고 싶은 것 같은 느낌을 아저씨가 생각하고있는 것일까 요.
그 오사카군요, 쇼치쿠 좌 특별 공연이라는군요, 와우 걸 들어 왔습니다.
「제 24 회 도모토 쯔요시 독 연회 「소 희 이익의 나 '사흘 뿐이야 "라고하네요.
んふふ(웃음) 정말 장난있어 미안 해요.
정말 네요 '제목 따위 아닌가 "라고 말해, 응" "사흘 뿐이야'에서 좋지 않을까"라고 말하면 진심으로 프린트되어 있네요.
"사흘 뿐이야" "좋아"밤에한다 든가 여러가지 생각 했습니다만. "아니, 2 회 공연 해 주거나 천도 곤란하고"라든지 여러가지 이야기가되어 히라가나되었습니다라고.
잡 것, 그 느낌이.
11 월 7 일 18시 반에서
11 월 8 일 만 14 시반 18 시반 이네요.
에서 11 월 9 일 14시라는 ··.
이것은 또한 까다로운군요라고하네요.
뭔가 잘하는 것, 능숙한 정렬하면 좋은 잖아 응? 생각하면서.
이것은 또한 전체 자세한 내용은 이메일이나 그 HP 라든지 여러 실리 생각합니다 그러나.
전하겠습니다 이니까 말이야, 꼭 여러분 체크해 주시면라고 생각 합니다만.
아무튼 (웃음) 여러가지가 정해져 가고 네요, 아무튼 자신이하고 싶은 일이 있으니까요. 코미디라는 것은 무척 좋아해서, 정말로 여러가지 요,이 세상 그 토크라는 부분에서도 웃음 가득보고 공부 했으니까요.
자,라는 것이 었군요.
오늘, 미래, 어떤 식으로 생각하고 있습니까? 라든지, 그런 이야기도 많았다 고 생각합니다 그러나.
오늘 은요, "미래의 분실물 '라는 곡을 들으면서 작별하고 싶습니다.
라고 말하는 것이 었하여 도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book 상대는 도모토 쯔요시였습니다.
그러면 여러분 또 다음 주에 뵙겠습니다. 안녕히 주무세요.
♪ 미래의 분실물
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