도모토 쯔요시20190209 堂本剛とFashion&MusicBook
bayFMをお聞きのみなさん、こんばんは。堂本剛です。
堂本剛とFashion & Music Bookはじまりました。えーと今夜はですね
あにたろすさんなんですけど
「『one more purple funk』購入しました」というメールをいただいてですね
「わたしは『神機械』がだいすきなんで毎日リピートして聞いていますが、気になったことがあるんですけど
『funkyレジ袋』のイントロで指パッチンのような音がずれているのはどうしてですか」
とすごいシンプルな質問があったんで、まああのーこれを機会になんとなく答えといてもいいかなぁみたいなことで、あのー
たとえばドラムのスネア「ズズタ」の「タ」のやつ(ドラムの音を声で再現)こういう、その、「タ」の部分を、あのー、えーと、スティック2本でハイハットでチチチチて叩いてて、その「タ」のスネアに当たる時に、えー
ハイハットの、右利きの人であればたとえば右手のスティックもスネアに落とすんですけど、そうすると
「タタタラッタタタタラッタ」ってなるんですけど、ま、「タタタタタタ」ではなくて「タタタラッタタタタラッタ」っていう
こういうのでわざとその、レイドバックっていう、うしろのほうに、えっと、3拍目だけとか、あの、それはひとそれぞれいろいろあるんですけど、その、「ツツパツツツパ」の「パ」のときに、ちょっとだけレイドバック、うしろのほうにする、わざと、「ツツタツツツツタ」っていうのを「ツツタツツツタ、ツツツ」、その「タ」のあとの「ツ」がちょっと早くなるっていうんですかね。おそくしちゃうんで、「タ」を、
「ツツタツツツタ、ツツツタツツツ」ってその、というグルーブをわざとレイドバックしたグルーブ、うしろのほうでえーとリズムをとる、ていうのをなんてんですかね、もう、リズムこねてくかんじなんですけど、スクエアにほんとにテンポに忠実にツツタツツツタツツタツってやるのももちろんあるんですけど、なにかひとつの楽器だったりなにがひとつのポジションがレイドバックしてるいうことで、異様なグルーブを生む、っていう方法があるんですよね。だからえーと、たとえばー、競技でも何でもいいんですけど、ちゃんと的確にやるタイプの人と、まあ、ルーズに、その真逆の、「感覚でやります」、みたいな人と、両方をどっちもいけちゃうような人とか、いろんな人がいることで、そのチームの、なんか、こう、
うーーん、空気っていうんですかね、それがこう変わってくるっていうか、もう、ほんとに緻密な人ばかり集めてしまうとほんとにこう、カチカチしたものになるし、うーん、ルーズすぎるひとばかり集めるとめちゃくちゃルーズで自由すぎるものになるっていう、すべてがその、自由になることでいいときもあるけどね、でもやっぱりなんかこう、道筋というか道順がちゃんとみちしるべがある状況の中でだれかがひとりちょっとこう好きなことをしてるみたいなのが、見えるっていう
だからあの、こういう指ならすやつとかも、(指を鳴らす音)ちょっとだけ、ずらす
そうするとあの、よくもたるっていう言い方するんですけど、この一個だけで、やってるとその、おんなじことが羅列てくるっていうのはそれはそれでループで気持ちいいですけど、こういうとこに、こういうのがたまに入るだけで、あの、グルーブがちょっと変わってくるっていうか。で、それはもうなんか、なんていう、ちょっとずれてるカッコよさっていうんですか?うーん、
それがやっぱあの…ブラックミュージックはやっぱ多いかなって言う。うん。で、ブラックミュージックにそれが多いから、それを真似してるていう方法論ではなくて、そのなんていうのかな、ルーズさっていうんですかね、
そのルーズさがファンキーと言われたり、ブラックミュージックって言われるようなものにつながる
だからそういうルーズさだったりちょっとこうなんていう、おおらかとか自由とか適当とか、いろんな言い方あるとおもうんですけど、そういうものがやっぱ日本人には少ないと思うんですよ。
ちゃんとこの仕事やんないと、まじめにここまで合わせないと、みたいなことで音楽つくる傾向があるというか。でもそのファンキーって言われたりファンクって言われたりソウルだねみたいなブラックミュージックみたいなこと言われてるひとつのポイントっていうのは、日本人にはもう到底むずかしい、ナチュラルに自由だったり適当だったり、みたいな感覚だったりみたいな、そういうのがDNAにはナチュラルにはないから、それをこう、めざさなきゃいけない、人もいるだろうし、日本はそういう社会ではそもそもないから、ちゃんとやりましょうみたいな感じになっちゃうから、
だからファンクとかは売れない、とかね、そういうふうなことにつながってるだろうなと僕は思って分析してるんですけど、社会とかやっぱり日本人の考え方として、なんでずれてんの?になってきたり、ずれてるから合わせた方がいいんじゃないですかね、になってちゃうって
ずれてるっていうか、かっこいいやんこれ、っていう、そういう概念が少ない国やから、やっぱり列から乱れてるから、列にちゃんと入ってくださいっていう国やから、なかなかむずかしいですよね、そういうこうファンキーとかブラックミュージックのなかでかっこいいとされるポイントっていうのが、
ドラムのスネアもハイハットも、ジャストタイムではあるけれども、キックだけレイドバックしたりとか、「ド、ドド」ってもうキックだけがすごいうしろ「ツツツツツツツドドっツツツタタ」
キックだけがすごいうしろでもたったりするだけでもまた変わってくるし。それに合わせてベースもちょっともたってたりとか、ベースもこの拍のここの瞬間のこのフレーズだけもたらせるとか、みたいなことをなんかこうやることで、無意識の中で意識的に楽しんで、でも最終的に無意識でそれを楽しむみたいな
音楽を聴く聴き方としてとてもむずかしいことかもしれない、気になることを気にならないようにするていうかね。僕は別に気にならないけど、そういう音楽の聴き方とか作り方とか主張の仕方っていう風に聞いてるだけなんで、すげえずれてんなぁ。っていう聞き方はしたことないですけど、むしろずれてたり、レイドバックしてたりする感じの演奏とか聞くと「おおー、かっこいい」と思っちゃうから。だからそういうところが、たぶん、この国で住んでる人たちがホント少ない感覚なんだろうなとずっと音楽やってて思いますけどね、どっちがいい悪いの話ではなくて、なんでずれてんのかなと思った時にそれを探究心でこうさぐってってみるみたいな。ほかの曲聴いても、あ、この曲もなんかあ、この楽器だけずれてんなとか、あ、こういうわざとずらすことでグルーブってできてんのかみたいなことだったりね。そうすると昔にさかのぼって行って楽曲を聞くとベースが大きい楽曲が多いなってことに気づいてったり。ベース、最近の日本で出てる音楽のベースってめちゃめちゃ小っちゃいねんやってことに気づいたり。ベースもっと聴きたいなって思う人がいたり、いろんなことにつながっていくっていうか。だから音楽を、いまはいろんな形で聴けるから、便利ではあるけれど、それは便利なだけであって、音楽を聴いてるかっていえば聞いてないなって感じるね。自分の過ごしてる空間にただ漂わせてるだけというか。うん。もっとだから音楽と向き合って音楽を聴くっていう状況がまた戻ってくるといいなとは思います。
えー、ということでございまして、『funkyレジ袋』聴いていただきましょう。
♪funkyレジ袋
堂本剛とFashion & Music Book、えーとですね、たまに「1行しtuもん」、というものを募集したりするんですけれども、そちらのほうちょっとご紹介させて頂こうと
えー、いろいろまあありましたけれども、
りゅうゆさんなんですど、ランドセルに着けていたお守りをなくして落ち込んでいる娘にいろいろと言葉をかけても元気を出してくれないと。剛君ならどんな言葉をかけてあげますかってことなんですけど、まああの、もうおかけになったかもしれませんが、ぼくはだいたいこういうときはね、あの、助けてくれたんだねっていうことに、してます。
自分の大切なものが壊れたり、傷ついたり、あるいはなくなったり、あーなんか守ってくれたんやろなって。感謝しないとなとか、気を付けないとな、とか、そんなふうに切り替えるようにしてますね。
だから、うーん、むずかしいとこなんですけどね。ただたんにほんとふつうに、ひもの劣化がすすんで、切れてなくなったっていうだけのはなしでもありますからね。で、あるいは、その工場で、結んだりしてる結び目がそれだけほんとにゆるくなっちゃってて、とか。それでなくなっちゃった、しゃあないな、っていうただそれだけのストーリーもあるやろうし、最初にも話したようになにか、守ってくれたってことがあるかもしれないしっていうところですよね。だから、僕なんかはでもそんな感じできたかなー、ですね、そうすることでもう、プラスに変えてかないと、何も始まらない、進めなかったりするからね。
でもいちばんいいのは、なんかこう、どっちでもあるって言い方へんですけど、ぐらいにしとくと、あのー、たとえばそういうこう、目に見えない話ばかりをしちゃうと、現実がみえなくなっちゃうから。いやきっとこれはこういうことなんだっていうことをずっと言い続けると、現実的になにも動いてないからね。だから、いやもう現実的に考えるとこうだし、そういうちょっとこう夢のような話で考えるとこうなんだろうってていう両方持ってた方が、旅がらくっていうかね。うん。だからこういうものをなにかなくしたりこわれちゃったなのときには守ってくれたんかなーと思いつつ、まあまでも、ちょっと運悪かったのかなぐらいの、せっかくあれやったのにみたいな、でもお守りっていうのはとくに、なんていうのかな、守ってくれたって思えばいいと思いますけどね。
で、なくて不安だったら、また買いに行けばいいかなとも思ったりもしたりしますけれども。うん。ま、どういうふうにゆってはるかわからへんけど、おばあちゃん守ってくれたんちゃうとかおじいちゃん守ってくれたんちゃうとかご先祖様守ってくれたんやろなとか、そういうようなことで、ぼくはなんか、小さいころは、親からなんか、そんなこと言われてたんで、それできもちをちょっと、あ、そうやったんかって、守ってくれたやったらありがとって言わないとって思って、で、夜眠る前に手あわせてありがとっていうたりとか、そんなふうにして小さいころ過ごしてましたけど、いまもそういうふうな感覚をだからもってるかなというところでありますね。
でそして、みゆきさんが手のケアなんかしてるんですか、っていうことで、なんかマイクもつ手の動きとか、ギターとか演奏する手を見るのが好きなんですって。指先とか爪とかきれいだなって思います。なんかしてますかって
とくにしてるかっていうとしてるわけでもないし、あのたとえばじゃ、ネイルサロン行って、みたいな人に指を預けて、ずっとやるみたいなありえへんしそんな、何時間とか何十分も、
で、それで、ぼくはギターをやっぱり弾くから、爪の感覚っていうんですかね、ちょっとだいじはだいじなんですよ。
で、家に爪やすりとか、あとメイクさんが爪やすり持ってたりとか。ていうのんで、テレビみながらしゃーってやってひまつぶしに爪はなんかやって、自分でやって、これぐらいやったらギター弾きやすいなみたいなのを保ってるっていうイメージなんですけど、で、たまに、そろそろやらなな、みたいになったりするんですけど、あのね、なんていうのかな、きれいなカーブ描きたくなるんですよ。で、もうその、ちまちました職人みたいな仕事がすきやから、ほんらい。もうなにかを削る職人になれたらよかったなってさえ思うぐらい、このちまちましたこと好きなんで、テレビとか見たり、しながら、なんかテレビを流してるだけの状態で爪をこうやってぱーーーーって、なんか、けずって、一人の時間過ごしてるみたいな。なんか、このぐらいでえっかってやめるっていうのを、なんかね、ひまーなときにやってますね。指。気ついたら。で、きれいな円を描くみたいな。へんなこだわりが途中から出てきて、もうちょっときれいにせめれんなみたいな。なんか感じになってくるっていう。これは陶芸やってても何やっててもそうなんですけど、けずったり、カタチととのえるみたいなの結構好きみたいで。うん。なんか削る仕事やったらもっと楽しく人生送れたかなとさえおもうぐらい、無心になれて没頭できるっていうね。感じがちょっとあって。
さ、続いてはラジオネームまりあさんなんですが、剛さんの英語が好きなんですけど、また「Say Anything」のようなすべて英語の曲を作ることはお考えですかっていうことあるんですけど、まあ、歌ってもいいなと思うんですけど、英語がね、得意じゃないから、あの、わかんないですよね。なんか、発音いいよとか、いいよ、うまいよって言われても、実感がないからね、
「やあそうなんすよ、おれ、そこそこいいんですよ、発音」って、本気で思えたらいいけど、わからないから。でも「めちゃめちゃうまいね、英語やばいね」、ではないわけやから、作る必要あるかっていう感じなだけで、「いやもう、留学してんのかと思った。」とか、「あれ、英語って話せなかったっけ。」みたいなリアクションやったらやるけど、そういうわけでもないから。全部英語でやる必要性があるかっていう。ところで、うーーーんって感じ。日本語で考えた方がらくだから。当たり前やけど。まあなんかの機会があったらね、いいかなあと思ってるぐらいで。うーーん、ですかねえ。
はい、ということでございまして、今夜はですね、「1行しtuもん」、いろいろ答えさせていただきましたけども、いろんなメールあったんですけれども、その、かよさんがね、つよさん、しあわせですかっていうすごいストレートな質問をいただいたんですけど、
うーん、大きく分けたらどっちかなと思った時に、ま、しあわせというべきなんだろうな、みたいな答えになっちゃうなっていう。うん。なにをもってね、しあわせでふしあわせかっていう、自分で決める幸せ不幸せがあって、第三者が決める幸せ不幸せがあるから、うん。これはもう幸せというべきなんだろうなっていう、のがぼくの人生かなぁうん。
あの、自分のその、これはえと、わがままとか子供っぽいっていうことの話ではなくて、自分は将来こういうことしてみたいなとか、いわゆる社会でるまえに自分がおもうことだったりね、夢ですよね、それを現実にしたいなという、こととか含めてですけど、これがやっぱりかなったかといったら、かなったわけではないのでね、そういう意味ではしあわせというべきなんだろうなということになってちゃうっていうか。
これはやってはいけないっていうことの方が多かったですからね。それを守りながら人間らしくいようっていうことがまずむずかしかったりね、自分の夢とか、かなえることとか、できなかったし、可能性をつぶす毎日、そんなイメージしかないから。でもそんななかでもやらないと人生やってられへんなみたいなところもあったり、それで今があるみたいな。そこには多くの人がかかわり、助けてくれたことによって今があるからね、うん。そこにはとてもとてもとっても感謝しているけれども自分一人の話、自分一人たった一人にピント合わせた時に、ま、しあわせっていうべきなんでしょうねって感じになっちゃうから、
これだけ多くの人々の前に立ちなにかをする人生っていうのが僕がのぞんでたものでも別にないからね。でも、そういう、うーーーん、役割を頂いて、今になる、ま、自分がこれにほんと向いてるなこうだなああだなっていうふうな気持ちを持続させてできてる仕事かっていったら僕はそういうのではないからという意味で、幸せというべきなんでしょうねになっちゃうのかな。でも今言ったみたいにまったく幸せじゃないということではない。けどね。あの日は楽しかったなぁとか、あのときは愛に満ち溢れてた一日やったなとか、そういう日もありますからね。でもそういう日があったということが、とても自分を強くさせたり優しくさせたりもするんですよね、だからそういう日があったということは、ま、幸せだというべきだなって。うん。
みなさんもね、いろいろなみんなのいろんな質問に対して僕がこう答えることによって何か思うことも増えたりするとは思いますけれどもね、うん。なんかこう自分の、思うことそして誰かが思うこと、どっちが正しいのか、正しくないのか、いろんなことをね、当たり前ですが、みんな、ああだこうだやりくりしてね、一日一日過ごしてるんですけど、やっぱりこう自分が、自分らしくいれることが、ひとつ大きいことだと思うんでね、まあ、僕がラジオでこうやっていろいろお話しさせていただいてること、それがすべてではないから、みなさんがなにか考えるきっかけに僕のこういった言葉や思いが使っていただけたらいいななんて思ったりしていつもいろいろ話させてもらっています。みなさんの人生もね、自分らしく、そして幸せだなと少しでもいえるね、そんな人生にもっともっとなっていくべく、このラジオでいろんな話を皆さんと共有できたりすればいいなというふうに思っております。
宛先
さ、それでは「Say Anything」で今日はお別れしたいと思います。堂本剛とFashion & Music Book。お相手は堂本剛でした。それではみなさん、またお会いしましょう。おやすみなさい。
♪Say Anything
bayFM을 듣고 계신 여러분, 안녕하세요. 도모토 쯔요시입니다.
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book 시작되었습니다. 네 - 오늘은 말이죠
あにたろ입니다 씨 인데요
""one more purple funk "구입했습니다"라는 편지를 받고 네요
"저는"하나님 기계 "아주 좋아해서 매일 반복해서 듣고 있습니다 만, 신경 이 적이 있는데요
"funky 비닐 봉지 '의 인트로 손가락 패키지 칭과 같은 소리가 어긋나있는 이유는 무엇입니까"
라고 대단한 간단한 질문이 있었기 때문에, 뭐 그 -이를 계기로 어딘지 모르게 대답 하시길도 좋을까 같은 것으로, 그 -
예를 들어 드럼의 스네어 "즈즈타"의 "변수"녀석 (드럼의 소리를 목소리로 재현) 이런 그 "변수"부분을 그 -, 네 - 스틱 2 개로 하이햇에서 찌찌찌찌 밖으로 두드리고있어, 그 「데이터」의 올무에 해당하는 때, 어
하이햇의 오른 손잡이의 사람이라면 예를 들어 오른손 스틱도 올무에 떨어지 살고 있습니다 만, 그렇다면
'타타 랙 타타타타 랏 "라고됩니다 만, 뭐,"타타타타타타 "가 아니라"타타 랙 타타타타 랏 "라는
이런 일부러 그 레이드 백이라고, 뒤에 쪽에서는 어, 3 박자 만 이라든지 그, 그건 사람마다 각각 여러가지 있습니다 만, 그 "쯔쯔빠쯔쯔쯔빠"의 "파"의 때 조금 여유로운, 뒤에 쪽에서하는 일부러 "쯔쯔타쯔쯔쯔쯔타" 라고하는 것을 "쯔쯔타쯔쯔쯔타, 쯔쯔쯔"그 "데이터"뒤의 "도구"가 조금 빨라진다라는 걸까요. 더디하고 버리기 때문에 "컴퓨터"를
"쯔쯔타쯔쯔쯔타, 쯔쯔쯔타쯔쯔쯔"라고 그라는 그루브를 일부러 한가로운 그루브 뒤에 쪽에서 네 - 리듬을 취하는라고 말을 건 걸까요 다른 리듬こねてく느낌입니다 만, 스퀘어에 정말 템포 에 충실히 도구 아이비 쯔쯔쯔 타트 츠 타트라고하는 것도 물론 있습니다 만, 무엇인가 하나의 악기이기도 뭐가 하나의 포지션이 한가로운있는 말하는 것으로, 괴상한 그루브를 낳는다라는 방법이있다 지요. 그래서 네 -たとえば경기이든 뭐든 좋은데, 제대로 정확하게에하는 유형의 사람과 음, 루즈에 그 정반대의 "감각으로하겠습니다"같은 사람과 모두 어느 쪽도 안 버리는 같은 사람이나 여러 사람이있는 것으로, 그 팀, 어쩐지 이렇게,
うん공기라는 걸까요 그것이 이렇게 달라진다라고하는지, 이제 정말 치밀한 사람 만 모아 버리면 정말 이렇게 똑딱 한 것이되고, 음, 루즈 너무 사람 만 모으면 엄청 루즈에서 자유롭게 너무 것이된다라고 모두가 자유롭게 됨으로써 좋다 때도 있지만요, 그래도 역시 뭔가 이렇게, 이치라고 할까 방향이 제대로 이정표가있는 상황에서 누군가가 혼자 조금 이렇게 좋아하는 일을하고있는 것 같은 것이보고 るていう
그래서 그 이런 손가락 안됩니다 녀석 이라든지도 (손가락 엔진 소리) 조금, 비틀
그러면 그 잘도 한인라는 표현 합니다만,이 한 개만으로하고있는 그, 똑같은 수 나열 온다라고하는 것은 그것이 루프 기분이지만, 이런 곳에 이런 것이 가끔 들어갈뿐, 그 그루브가 조금 달라진다 할까. 그리고, 그것은 또 무슨 던가, 조금 어긋나있는 멋짐이라는 건가요? 음,
그것은 역시 그 ... 흑인 음악은 역시 많을 까라고 말한다. 응. 그리고, 흑인 음악에 그것이 많기 때문에, 그것을 흉내 내고있는 랄까 방법론이 아니라 그 뭐라고 일까 루즈가 말하는 걸까요,
그 루즈가 펑키라고하거나 블랙 뮤직라는 말을 같은 것에 이어질
그래서 그런 루즈에이거나 조금 이렇게 던가, 유유이나 자유 라든지 적당 라든지, 여러가지 말투 있다고 생각한다 만, 그런 것이 역시 일본인은 적다고 생각합니다.
제대로이 일 그치고 않으면 성실하게 여기까지 합쳐 않으면 같은 것으로 음악 만드는 경향이 있다고 할까. 하지만 그 펑키라고 말을하거나 펑크라고 말하거나 서울구나 같은 흑인 음악 같은 걸 말해지고있는 하나의 포인트라고하는 것은 일본인에게는 또 도저히 어렵다 자연 자유롭게이거나 적당했다 나 같은 감각이거나 같은, 그런 것이 DNA는 자연에는 없기 때문에, 그것을 이렇게, 목표로하지 않으면 안 사람도있을 것이고, 일본은 그러한 사회에서는 원래 없기 때문에, 제대로합시다 같은 느낌으로 되버 리니까,
그래서 펑크 라든지 팔리지 않는 이라든지, 그러한 식인로 연결되어있는 것이다라고 나는 생각하고 분석하고 있습니다 만, 사회 라든지 역시 일본인의 사고 방식으로, 왜 차이 텐의? 이 오거나 차이 있으니 맞춘 것이 좋지 않습니까 요,이되어 버린다라고
어긋나있는 랄까, 멋진 잖아 이거라는 그런 개념이 적은 나라 이니까, 역시 열에서 혼란있어 에서 열에 잘 들어주세요라는 나라 이니까 여전히 어렵 네요, 그런 이렇게 펑키이나 흑인 음악 속에서 근사하게되는 포인트라고하는 것이,
드럼의 스네어도 하이햇도 그냥 시간이 있더라도, 킥 만 한가로운 든가 "드 도도 '라고 또 킥 만 대단한 뒤에"도구 쯔쯔쯔 쯔쯔쯔 도도っ쯔쯔쯔타타 "
킥 만 대단한 뒤에도 단하는 것만으로도 또한 달라진다하고. 그에 따라 기반도 좀 안절부절 든가베이스도이 박자 여기 순간이 문구 만 입힌다거나, 같은 것을 어쩐지 이렇게 할 일이다 무의식 속에서 의식적으로 즐기고,하지만 마지막 으로 무의식적으로 그것을 즐기는 것 같은
음악을 듣고 듣는 방법으로 매우 어려운 일이 될 수도 궁금한 것을 신경 쓰지 않도록하는 랄까 네요. 나는별로 신경이 쓰이지 않지만, 그런 음악을 듣는 방법이나 만드는 방법 이라든지 주장의 방법이라는 식으로 듣고있는 것만 같아서, 친구 어긋나거야구나. 라고 듣는 법은 한 적 없습니다 만, 오히려 어긋나거나 한가로운하고하는 느낌의 연주 라든지 묻자 "오오, 멋있다 '라고 생각 하니까. 그래서 그런 부분이 아마이 나라에 살고있는 사람들이 정말 적은 감각 이겠지라고 계속 음악하고 있어도 생각 합니다만, 어느 쪽이 좋다 나쁘다의 이야기가 아니라, 왜 차이 건가라고 생각했을 때 그것을 탐구심에서 이렇게 뒤져 줘 보는 것 같은. 다른 곡 들어도, 아,이 곡도なんかあ이 악기 만 차이거야 라든지, 아, 이런 일부러 쫓아 내기 그루브라고 할 건가 같은 것이었다たり네요. 그러면 옛날에 거슬러 가서 음악을 들으면베이스가 큰 악곡이 많구나라는 것을 모르고 충분 해. 베이스, 최근 일본에서 나오고있는 음악의베이스라고 엄청小っちゃいねんやっ지렛대에주의하고. 베이스 더 듣고 싶다라고 생각하는 사람이 있거나, 여러가지 일로 이어진다 할까. 그래서 음악을 지금은 여러가지 형태로들을 수 때문에 편리하기는하지만, 그것은 편리한 뿐이지 음악을 듣고있다 고요 말하면 듣지 않는구나라고 느끼는군요. 자신의 지내고 공간에 단지 풍기고있을뿐 이랄까. 응. 더 이니까 음악과 마주 음악을 듣고 말하는 상황이 다시 돌아 오면 좋다고 생각합니다.
어,라고하는 것이어서 'funky 비닐 봉지 "들어 주셔서합시다.
♪ funky 비닐 봉지
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book, 얻다 네요 가끔 "한 줄 한 tu 몽 '이라는 것을 보충 할 만, 그쪽 쪽 좀 소개시켜頂こ려고
어, 여러 음있었습니다 만,
りゅうゆ씨예요 등, 가방 입고 있던 부적을 없애 우울 딸에게 여러가지 말을 걸어도 힘내주지 않는다고. 쯔요시 군라면 어떤 말을 해주고 있습니까라는 것입니다 만, 뭐 그 다른 끼쳐이되었을지도 모르지만, 나는 대체로 이럴 때는 요, 저, 도와 준구나라는 것을,하고 있습니다.
자신의 소중한이 깨지거나 손상되거나 또는 없어지거나 아 어쩐지 지켜준 거지지고. 감사하지 않으면 라든지, 조심하지 않으면구나, 라든지, 그런 식으로 바꾸도록하네요.
그래서, 음, 어려운 곳인데 네요. 한낱 정말 보통으로 끈의 열화가 진행되고 끄기 없어진이라고 만의 이야기도 있으니까요. 로, 혹은 그 공장에서 매고하고있는 매듭이 그만큼 정말 느슨하게되어 버려서, 라든지. 그래서 없어 버렸다, 어쩔수구나,라고 그것 뿐이다 스토리도하려고하고, 처음에 말했듯이 뭔가, 지켜준라고 할 수 있을지도 모르고 말하는 되는군요. 그래서 저 같은 사람은하지만 그런 느낌 생긴 않을까 -군요, 그럼으로써 다른 플러스로 바꾸어てか않으면 아무것도 시작되지 않는, 진행 않거나 하니까요.
하지만 가장 좋은 것은, 어쩐지 이렇게, 어느 쪽이라도있다라고 말투로 합니다만, 정도에 푸는하면 그 - 예를 들어 그런 이렇게 눈에 보이지 않는 말만를 버리면 현실이 보이지 않게되어 버리니까. 아니 분명이 이런 것이구나라는 것을 계속 자꾸하면 현실적으로 아무것도 움직이지 않으니까. 그래서, 아니 또 현실적으로 생각하면 이렇다, 그러한 조금 이렇게 꿈 같은 이야기로 생각하면 이렇게 이겠지라고 랄까 모두 가지고 있었던 것이 여행 가락 말하는거야. 응. 그래서 이런 것을 뭔가 없애거나 깨져 버렸다 때 지켜주었습니다 있을까하고 생각하면서, 음까지도 조금 운 나빴던 것일까 정도의 모처럼있는 일했는데 같은,하지만 부적이라는 것은 특히 뭐라고 것인지, 지켜준라고 생각하면 좋다고 생각 합니다만.
에서 없어서는 불안이라면, 또 사러 가면 좋을까라고 생각하기도하고합니다더라도. 응. 뭐, 어떤 식으로 윷 훨씬 거치지 않는하지만 할머니 지켜준 잖아 라든지 할아버지 지켜준 잖아거나 조상님 지켜준 거지 라든지, 그러한 일로, 저는 어쩐지 어릴는 부모로부터 따위, 그런 일 말해지고했기 때문에, 그래서 마음을 조금, 아, 그렇게 했어요 냐고, 지켜준 얏 경우 고마워라고 말하지 않으면이라고 생각하고, 그리고, 밤 잠들기 전에 손 대면て고마워라고 말한다 든가, 그런 식으로하고 어릴 때 보내고있었습니다 만, 지금도 그러한 식인 감각을 그래서 가지고 있을까라는 곳에 있군요.
에서 그리고 미유키 씨가 손 케어 따위거야,라고하는 것으로, 어쩐지 마이크 가진 손의 움직임 이라든지 기타 라든지 연주하는 손을 보는 것을 좋아하는 대요. 손가락이나 손톱이나 예쁘다라고 생각합니다. 뭔가하고 하냐고요
특히하고있는 가라고하고있을 리도없고, 그 예 그럼, 네일 살롱 가서 같은 사람에 손가락을 맡겨 계속 할거야 같은있을 거치지하고 그런 몇 시간이나 몇십 분,
그리고, 그래서 저는 기타 역시 연주 때문에 손톱의 감각이라고 걸까요 조금 소중한 소중한거든요.
그리고, 집에 네일 라든지, 나머지 메이크업 씨가 네일이 든가. 그전의 뭐든지, TV 보면서 셔라고하고 시간 때우기에 손톱 따위하고, 스스로 해,이 정도 얏 경우 기타 연주하기 쉬운구나 같은 것을 유지 한단 이미지 인데요,에, 가끔 이제 안하면 뭐, 같은 거되거나 합니다만, 저기 뭐라고 것일까 깨끗한 곡선 그리고 싶어 져요. 그리고, 이제 그, 아기자기 한 장인 같은 일이 스키야키에서 본래. 다른 무엇인가를 깎는 장인이 될 수 있으면 좋았되어 만 생각하는 정도이 아기자기 한 것을 좋아해서, TV 라든지 보거나하면서 왠지 TV를 흘리고있을뿐 상태에서 손톱을 이렇게 파 매우 ---라고, 어쩐지 , 깎아서 혼자의 시간 보내고있는 것 같은. 어쩐지,이 정도로 어 냐고 종료라고하는 것을, 어쩐지,ひま때하네요. 손가락. 신경 붙으면. 에서 깨끗한 원형 운동 같은. 이상한 고집이 중간에서 나오고, 좀 더 깨끗하게 책임되어 않지 같은. 뭔가 느낌이 온다라고. 이것은 도예를해도 뭐하고도 그렇습니다 만, 깎아서하거나 형태 맞춘다 같은 거 상당히 좋아 같아. 응. 어쩐지 깎는 일 였으면 더 신나게 인생 보낼 수 있었는지 심지어 생각한다 정도로 무심하게 익숙 몰두할 수라고하네요. 느낌이 좀있어서.
자, 계속해서 라디오 네임 마리아 씨입니다 만, 쯔요시 영어를 좋아하는 데요, 또한 'Say Anything'같은 영어 노래를 만드는 것은 생각합니까라는 것이 있는데요, 뭐 노래도 좋다고 생각 합니다만, 영어가군요, 자신이 아니니까, 저, 잘 모르겠군요. 어쩐지, 발음 좋아 라든지, 좋아, 맛있는거야라고 말을해도 실감이 없으니까,
"안녕 조난이에요, 오레 적당히 좋아요, 발음"라고 진심으로 생각하면 좋지만, 모르는 에서. 하지만 "엄청 맛있다 네요 영어 위험 네요"하고는 않을 것이나 때문에 만들 필요 있을지라는 느낌뿐 "아니 벌써 유학 건가 싶었다."라든지 "어, 영어라고 말하지 못했던 었나. "같은 리액션 였으면 하겠지만, 그런 것도 아니니까. 전부 영어로 할 필요가 있는지라고. 그런데 우 배기 거라는 느낌. 일본어로 생각하는 것이 편하다에서. 당연 화상. 그럼 뭔가 기회가 있으면 요, 좋을까라고 생각하고있는 정도로. うん,가요 안녕하세요.
네,라고하는 것이어서 오늘은 말이죠, "한 줄 한 tu 몽"여러 대답하겠습니다 습니다만, 여러 이메일있었습니다 만, 그 카요 씨가 말이야, 강함 씨, 행복입니다 냐고 오히려 대단한 직설적 인 질문을 받고 있었는데,
음, 크게 나누면 어느 쪽 일까라고 생각했을 때, 뭐, 행복이라고해야 겠지 뭐, 같은 대답이되어 버리는구나라고. 응. 무엇을 가지고 네요, 행복하고 불행한 하나라고 스스로 결정 행복 불행이 있고, 다른 사람이 결정하는 행복 불행이 있으니까, 응. 이것은 또 행복이라고해야하는 것일까라고하는, 것이 나의 인생 일까 응.
그 자신의 그 이것은 어 변덕이나 아이 같다고 말하는 것은 이야기가 아니라, 자신은 미래 이런일보고 싶다 든가, 이른바 사회 묻는 전에 자신이 생각한다이었다たり네요 꿈 이죠, 그것을 현실로하고 싶다고라는 것 등등 포함 해입니다 만,이 역시 맞는 그렇다고하면 맞는 것은 아니기 때문에 네요, 그런 의미에서 행복이라고해야 겠지라고하게되어 버리는 할까.
이것은 해선 않는다는 것이 더 많았다니까요. 그것을 지키면서 인간 답게 있자라는 것이 우선 어려웠거나 요, 자신의 꿈 이라든지, 이룰 든가, 못했고 가능성 호감 매일 그런 이미지 밖에 없으니까. 하지만 그런 와중에도 해야지 인생하고 수 겠네 같은 곳도 있고, 그래서 지금이 같은. 거기에는 많은 사람들이 염려하고 도와 준해서 지금이 있으니까, 그래. 거기는 너무 너무 너무 감사하고 있지만 혼자서 이야기 나 혼자 단 하나에 초점 맞춘 때, 뭐, 행복 냐고 안되는 지요 느낌으로 되버 리니까,
이만큼 많은 사람들 앞에 서서 무엇인가를하는 삶이라는 것이 내가 임하고 한 것도별로 없으니까. 하지만 그런, 우 --- 응 역할을 받고 지금된다, 뭐, 자신이 이에 정말 향하고 있구나 이렇게 이구나 아 이구나라는 식의 느낌을 지속시켜 수있는 일?라고하면 나는 그런 이 아니기 때문에 의미에서 행복이라고해야하는 지요되어 버리는 것일까. 하지만 지금 밝혔다처럼 전혀 행복하지 않다고 것은 아니다. 그렇지만 네요. 그 날은 즐거웠구나 라든지, 그때는 사랑이 넘치는 있었던 하루 였지 든가, 그런 날도 있으니까요. 하지만 그런 일이 있었다는 것이 너무 자신을 강하게하거나 부드럽게 시키기도하는 거죠, 그래서 그런 일이 있었다는 것은, 뭐, 행복하다고 말한다한다고지고. 응.
여러분도군요, 다양한 사람들의 다양한 질문에 대해 내가 이렇게 대답하여 뭔가 생각도 증가 할 것으로 생각합니다 그러나 네, 네. 어쩐지 이렇게 자신의 생각 그리고 누군가가 생각하는, 어느 쪽이 옳은지 잘못된 것인지, 여러가지 일을 네, 당연 합니다만, 모두,ああだこ것이다 것이다 꾸려주세요 하루 하루 지내고 있습니다 만 역시 이렇게 자신이 자신 답게되는 것이 하나 큰 일이라고 생각하기 때문에 말이야, 글쎄, 내가 라디오에서 이렇게 다양한 이야기 해 주시고있는 것, 그것이 전부는 아니기 때문에 여러분이 무엇인가 생각하는 계기 에 나의 이러한 말이나 생각이 사용하실 수 있으면 좋겠다라고 생각하기도하고 언제나 여러가지 이야기시켜주고 있습니다. 여러분의 인생도 말야, 자신 답게, 그리고 행복하다라고 조금이라도 할 수있다 네요, 그런 삶에 좀더되어가는 위해이 라디오에서 여러가지 이야기를 여러분과 공유 할 수 있고하면 좋겠다는 식으로 생각 있습니다.
목적지
에, 그럼 "Say Anything"오늘은 작별하고 싶습니다. 도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book. 상대는 도모토 쯔요시였습니다. 그러면 여러분 또 만나요입니다. 안녕히 주무세요.
♪ Say Anything
'堂本 剛と Fashion & Music Book > 2019' 카테고리의 다른 글
도모토 쯔요시20190223 堂本剛とFashion&MusicBook (0) | 2020.02.24 |
---|---|
도모토 쯔요시20190216 堂本剛とFashion&MusicBook (0) | 2020.02.24 |
도모토 쯔요시 20190202 堂本 剛とFashion & Music Book (0) | 2020.02.10 |
도모토 쯔요시 20190126 堂本 剛とFashion & Music book (0) | 2020.02.10 |
도모토 쯔요시 20190119 堂本 剛とFashion & Music book (0) | 2020.02.10 |