Tsuyoshi  Domoto 20201205 堂本剛とFashion&MusicBook

 bayFM をお聴きの皆さん、

こんばんは堂本剛です。

堂本剛とFashion & Music Book

始まりました。


今日はですね 、

もころさん、いただきました。


『剛くんこんばんは、先日祖母が亡くなりました。買い物の帰り道で倒れてそのまま入院していたのですが願いむなしくいなくなってしまいました。まだその死が受け入れられず毎日悲しいです。私の母は私が15歳の時に交通事故にあい、突然亡くなってしまいました。それから21年祖母は私の母でした。人生でこんなに悲しい思いを二度しなければいけないとは思っていませんでした。私は今ニュージーランドに住んでいます。何もなければ日本へ帰っていました。しかしコロナの影響でそれも叶わず、会うことも葬儀に出席することもできませんでした。月に何度かしていた電話、今でも子どもを寝かせた後電話をしたら、いつもの感じで出るのではないかとどこかで期待している自分がいます。生前祖母はお茶、お花、習字の先生をしており毎日いきいき忙しくしていた人でした。最後になってしまった電話ではコロナの影響でお稽古や会合がなくなってしまい体が鈍ってしまうので運動しなくてはと話ししていました。寂しくて心が痛いです』と。


ん~、まあ、

切ないよなあ、

こういうのはなあ、ね。


『本当に寂しくて心が痛いです』

って素直なこの一行ね。


これがね、あの、

そんなすぐには癒えないよ、うん。

当たり前やけど。


で、やっぱり、ねえ、

おばあちゃんもびっくりしたと思うよね、

急やったからね。


会いたいなって、

会いに来てほしいなってそりゃ

思ってたと思うよ。


でもそれがね、

時代もあって、

いろんなことが叶わなかったなって。

うん。


まあ、あの、

なんていうのかな、


話は少し違うかも知れないけど、

僕だってやっぱり、ね、

あのー未だに、なんか、

未だに会いたいなって

思うもんね。


ま、

ケンシロウはね、

会えたというか、

自分の胸の中で天に昇ってったけど、

タイソンはそうじゃなかったから。


なんいうのかなー、

なんかこう、んー

未だに辛いかなあ。


でもね、こうやって、あの、

コロナであったり、

コロナじゃなかったとしても、


いろんな、

こういう心の痛みと生きてる人が、

たくさんいてさあ、


本当にあの、

その心の痛みと、

一緒に生きていくっていうかさ、


その中にも学びもあるし、

気づきも あってさ。


でも悲しみはやっぱり

今の僕のように

癒えないけど。


でも、

例えばこうやって今僕ちょっと

感情的になっちゃってるけど、


それをじゃあ2人は

喜んで見てるかっていうとね、

それもどうなのかなと思ったり。


でもこういうふうに、

感情的になるぐらい

大切な存在なわけじゃないですか。


だからそういう魂と、あの、

この人生の中で出会えたって

すごい幸せなことだったなって、

思ったりね。


するけど、

でもやっぱり寂しいなとか、

こうだったな、

ああだったなって、

もっとこうしてあげればよかったなって、

ほんといろんな事を本当に思うけど、


でも、

今の現実というものを

力強く生きていかなければいけないな、

って思うし。


本当にだからね、

あの、こうやって、

いろんな人の心の痛みというか、

心の痛みと向き合って

力強く生きている人たちの

いろいろな人生というものも、


このコロナ時代っていうのは

たくさん教えてもらうことにもなる、


そんな時間が多かったし 、

多いと思うんですよね。


本当にね、

コロナがなければ日本に帰ってね、

会ってあげてっていうことが、

できたかもなって。


でも今は、

それが叶わないとか、

自分がその場にいたかったけど、

その場にいれなかった、

その悲しさっていうのは

もう戻ってこないからね。


だから僕なんかも

そういう時間はいっぱいあって、


自分の意思としては

そこにいたかったなーとか、

そこに立ってたかったなって

すごく思うけど、


それを選択させてもらえなかったりとかすると、

無理って言われたら

無理になることもあるじゃない?


そうすると

その心の痛みというか、

苦しみはね、

自分で消化していくほか

なかったりとかね。


だからこれからあの、

ネガティブな発言じゃなくて、


もころさんも、

その時間とかその日を、

思い出せば思い出すほど

苦しくなったり

孤独にもなったりするのは、

絶対そうなっちゃうと思うけど、


でも、んー、

なんかこう、

僕の経験の中での苦しいことと、

もころさんの今の、

このお話を重ね合わせて、


少しでも気持ちに、なんかこう、

寄り添ってあげれたらいいなと思って、

読まさせていただきました。


あの、

今聴いてらっしゃるね、

リスナーの方々の中にも、

もころさんに対して寄り添ってる方、

ほんとたくさんいると思うし。


現実的にはね本当に

この辛さとかっていうものは

まぁ癒えることないよなあとは、

僕も思ってる。


でもあの、なんて いうのかな、

励まし合いとか

そんなレベルじゃなくて、

あの、


寄り添うっていう、

その愛情の時間っていうのかな、

そういうものはこれからも

絶対いっぱい、

もころさんを強くするし、

優しくもしてくれるから。


で、あの、

おばあちゃんも

魂になってるからね、あの、

すぐにニュージーランド

行けちゃうんだよね。


だから、

おばあちゃんの存在を、

いつも感じながら 、


で、自分は見えてなくても

語りかけてあげながら、

言葉にして、

声にして、

そんなふうにしてあげたら、


その寂しい気持ちとか

苦しい気持ちっていうものを

またおばあちゃんが

癒してくれるのかなって、

すごくなんか思うし。


たぶんですけど、この、

もころさんの、今、

一生懸命向き合って戦ってる姿を

おばあちゃんが心配に思ってて、


で、

なんかこのラジオを通して、

僕を通して、

もころさんに対して

伝えているような気もしたり、


はたまた撲の愛犬たちが

それを言ってるような感じもしたり、


愛犬たちのことを話しすることで

おばあちゃんが僕に対して、


悲しいけど、

そういう存在ってものがあるということは

幸せなことですねというようなことを、

なにかこう伝えてくれていらっしゃるような

感じもするし。


すごくちょっと不思議な感じですけど。


でもあの、

寄り添いあいながらね、

みんなで少しでも

笑顔に変えていけたらいいなと思うし。


あのまた、何かこう

おばあちゃんからの知らせがあったりとか、

なんかこんなメッセージ

飛んできた気がしますとか、


またいろいろあったら

ラジオの方に送ってください。


うん、あの、

こんなことしか僕は言えませんけれども、

本当に自分らしく、

今というこの時代を生きて下さい。


そして僕もそうして生きていきますので。


みんないろいろな人生の形はあるんだけど、

生きていくっていうことの色っていうのは

やっぱり同じだ から、

その喜びを噛み締めながらね、

ともにみんなで生きていけたらなって

思います。


今日はそういう苦しい胸のうちをね、

教えてくださって、

本当にありがとうございました。


それでは、街、聴いてください。



♪ 街



さあ、

堂本剛と Fashion & Music Book 、


ここではですね、えー

皆さんから募集しました

「最近一番長い間見ていたもの、見つめていたもの」

ということで、


何か皆さんの生活の中で

まあいろいろな気づきとか、

みんながそれによってこう、

共感できたり救われたりする、

そんなエピソードもあるのかなとか、

いろんなことを思いながら

募集させていただきました。


あのー、

ちょっとかわいいメールなんですけどね、

うまみは、、

うまみ半生さんです。


すごい名前ですね、

うまみ半生、

半生がうまいんですかね、

お肉とか好 きなんですかね。


『私が最近長い間見つめていたのは牛の動画です』

というね。

全然アプローは違うんですけどね、


『今年は海外に畜産業しにいく予定だったんだけど行けなくなってしまったので動画を見てイメージトレーニングしています。最近になってオレオ牛という黒と白、黒模様のスコットランドの牛を知って、牧場の動画を観ているんですけれどとても可愛いです。鳴き声が、んーもぉ~と、ちょっと怒っている人みたいで、毎日一人で観ては、へへへと笑っています。鹿好きで有名な剛さんですが、牛はお好きですか? ちなみにこんな牛です』というね。


写真送ってくれてんけど、

めちゃくちゃ可愛いのよ、

このオレオ牛が。


んーめちゃくちゃ可愛いねん、これ。


ちょっとあの、

牛の白黒の概念ではもうないねん。


もう性格はっきりしててほしいぐらい。

物事はっきり決めます、みたいな。


そんな性格の牛であってほしいぐらいの

柄の配分ですね。


この見てる写真もなんか、

「は?」みたいな。


「なんすか?用あります?」

「ないんですか?」

「ないんだったらもうこっち見んといてください」

みたいな。


「なんすか、何かありますか?」

みたいな。


もう、せっかちというか、

その、はっきりしたい!みたいな。


「用がないんだったら、もういいんですけど」

「なんか用あるんだったら止まってますけど、こうやって。なんすか?」

みたいな。


なんかそういう感じが

してくるぐらいの柄の配分で。


オレオ牛、

めっちゃ可愛いなあ。

ちょっと僕が思ってた

牛じゃないんで。


この牛が

めちゃめちゃ可愛いなと思ったから、

みんなにオレオ牛の存在を

知ってもらいたいなと思いまして、

読まさせていただきました。


この、

うまみ半生さんのお便りがなかったら、

オレオ牛を僕は一生知らないまま

生きてたかも知れないから、

それにも感謝だし、

ちょっと見てみたいなあと思った。


オレオ牛って日本にもいるのかな。

いるイメージがないのよね。


やっぱりスコットランドまで行かないと、

オレオ牛には会えないのかも知れないけど。


ちょっとぜひ皆さん、

めっちゃ可愛いんで、

みてください。


ゆきさんがね、

『私が最近 一番長い間見つめていたものが、みたらし団子です』

ということで、


え、何で?と思ったんですが、


『海外暮らしなんで和菓子を頻繁に手にすることが難しいのですが、月に一度遠出して日系スーパーに行って 日本のお菓子を買うのが楽しみになっています。この間日本人の友人に美味しいお団子が入ったよと言われて、わー団子~と思わず足を運んだら、なかなかこっちではお目にかかれない、現地産の出来立てのみたらし団子が3本可愛らしくパックに入って売っていました。一つ手に取りウキウキ帰って、母から譲り受けた湯のみ茶碗にお茶を入れて、お気に入りの和皿に お団子一本乗せてベランダで楽しむことにしました。ちょうど日の当たりが柔らかくなった時間だったこともあってその組み合わせが相まってか、そのお団子があまりにツヤツヤして綺麗で、あなた綺麗ねーと思わず声をかけ写真をとってしまいました。しばしそのお団子を眺めていたのですが、あんこ嫌いの父が唯一好きだったこのお団子を美味しそうに食べる姿や、もう亡くなってしまった実家の近所の和菓子屋の先代のおばちゃんのこと思い出し、食べる前からじーんときてしまいました。確かにそのお団子は焦げ目の付いた香ばしくもっちりとした食感と甘じょっぱいタレのかかり具合が絶妙で一本でやめておくはずが3本ペロリと食べ てしまいました。日本でできたてのお団子を食べられていたことっていうものが贅沢だったんだなあと思うと同時に、こちらで食べているからこそそのありがたみがわかるんだよなあなんて思ったり、なかなか会えない両親、日本での当たり前だった日常に懐かしく想いを馳せるちょっぴり切なくも、心がじんわりと温かくなる午後でした。

ラジオはこちらでは聴くことはできませんが、剛さんの音楽に毎日元気をもらっています。剛さんの優しさの中に憂いのある歌声が大好きです。』と。


めちゃめちゃありがたいなぁ。

ラジオ 聴けてないのに、

ラジオにメールくれちゃって。


なんか、

やっぱりその

海外にいるからこそ、

日本のこと想う気持ちっていうのが、

増していったりとかね、


そういう気持ちになれる、

ちょっと寂しさみたいなのも、

あるかもしれないけど、

これは大きな喜びだと思うんですよね。


だから頻繁にお団子食べてください。

ベランダで。


なんか、日本の料理をわざと、

今日はもう日本を堪能します!

みたいなね、ベランダで。


それこそこれ

YouTubeやったらいいんじゃないですか?


なんか、

ベランダジャパン、みたいな。

なんかそんないうて。


「今日はこちらで売ってる日本食こんなん食べてみます、とか」

「今日はこの食材とこの食材とこの食材で、味噌汁作ってみました」とか。


なんかそんなんいいんじゃないすか?

ベランダジャパン。


全然いいですよ、

ベランダジャパン使っていただいて。


なんかそれがまたこうね、

いろんな世の中、

世界に広がってったりしたら、

面白いじゃないですか。


「私も日本人なんですけど、」

「私のベランダジャパンは、」みたいな。


そもそも、ベランダで?っていうのが、

いろいろ出てくるかもしれませんけど。


めっちゃ寒い冬とかやばいですけどね、

あと寒い国とか、

めちゃめちゃやばいかもしれないですけど。


「何で ベランダなん?」

「リビングジャパンじゃダメですか?」

みたいな、

「いやーベランダで」みたいな。


でもなんかそういうのって、

あの、僕の感覚ですよ?


ああ海外でこうやって日本を感じながら

過ごしてる人がいるんだなーみたいなとか、

海外でこういう日本の人が

こんな生活してるんだ、

みたいなものって、あの、


なんか知らんけど、

こっちもね、

なんか勇気に変わることってなんか、

やっぱあるんですよ。


こんな日本の人がいるんだなって。

こんなふうに生活してらっしゃるんだなとか、

こんな人生もあるんだなっていうのを、


なんかただただ見るだけでも、

すごいなんかね、

頑張ろうって思える

作用っていうのがあるから、


あの自分がただ団子食べてるだけやんって思ってても、

それをまたね、喜びとか力に変える人で結構いっぱいいるはずですよっていう話。


なので積極的に絶対やってくださいってわけではないので、

ご自身の判断で全然いいんですけど、


なんか、

ベランダジャパン、ちょっと

若干気に入ってまして僕が、ただ。


ぜひご検討ください。


それではね、

最後にちょっと読まさして欲しいです。


ゆうなさん、18歳の方で、

『私が最近一番長い間見ていたもの、それはケーキです。 私はケーキが大好きという単純な理由から地元の小さなケーキ屋さんでアルバイトをしています。接客をしていない間はどうしてもショーケースに並ぶ美味しそ うなケーキをずっと見つめてしまいます。もちろん勤務中は食べられないのでいつもケーキとのにらめっこ状態です。大好きなケーキを前に食べることができないのはもどかしいけれど、売れていくケーキと引き換えにお客様の笑顔を見ることができるというのがこの仕事の醍醐味かなと思って日々働いています。みんなを笑顔にするケーキがやっぱり私は大好きです』と。


こんな純粋な想いを

読んでですね、


なんかあの、

こんなふうに、

ただただ純粋に時間を刻めるって

すごいことだなってなんか思って

読まさせてもらったんです。


やっぱりこう、ね、

笑顔を見ることができるって

すごい幸せなことだけど、


笑顔を見ることが

難しい今でもあるじゃない?


でもだからこそ、

笑顔を作りたい、

自分も笑顔になりたい。

どうすればいいんだろう。


これたぶんね、

ここに答えがあってね、


ああ大好きだなぁとか、

好きだなーって、

ただただ純粋な気持ちね、


この純粋な気持ちっていうのを

持てば持つほど笑顔になれるし、

人を笑顔にできるっていうのが、


これまた矛盾してるように聞えるけど、

今なんじゃないかなって、なんか、

すごく思ったんです。

このお便り読まさしてもらって。


みんなを笑顔にするケーキが

やっぱり私は大好きですって、


なんかこういうフレーズって、

年を重ねれば重ねるほど、

いろいろな状況が変わってくる中で

なかなかこんな一行、

こんなフレーズは

言えないよなあって、なんか、

しみじみと僕は思ってしまったんです。


で、おかげで今ケーキが、

めちゃくちゃ食べたくなってて、

どうしていいかわからないです。

はい。


まぁこれは困りましたね。

この時間での皆さん、

ケーキ、

絶対ダメですからね。


でも、

「あーちょっとさぁ、冷蔵庫にケーキあんねん」、

という人、

おめでとうございます、

食べてください。

僕は責任とりませんけれども。


「いやケーキなくて良かったー、

まじ焦ったわー、

あ、ちょっと待って、

チョコレートあるやん」


おめでとうございます、

チョコレート食べてください。


チョコレート食べて、

一瞬満たされた気には

なるでしょうけれども、

結果、明日ケーキ買います。


おめでとうございます、

そうされてください。


「いやいやもうチョコもない、ケーキもない」

「あっぶな、やっば、危なかったわー」

「あれ、おかきあるやん」


おめでとうございます、

おかき食べてください。


おかきとケーキ、

かけ離れすぎていて、

なんやようわからん感じで、

結果満たされます。


おかきで、

結果なんか知らんけど、

満たされますが、


明日はケーキを食べずに、

「なんかいけるなあ」

「なんやいけたやん」


なると思いますけども、


おめでとうございます、

明後日、ケーキを食べる結果となります。

おめでとうございます。


結果、

ケーキを食べたいと思って、

ケーキを食べなければ、

それは解消されないという、

この状況に今、

大勢の方が陥ったという

そんな状況だと思います。


ね、

さあ、ということでございまして、


僕のことを

支えてくださっている皆さんであれば、


「いやいや剛くん待ってよー」って、

「それあったの気づいてるけど気づかへんようにしてんねんからやめてよ~」

っていう感じに、

なってると思うんですけれども、


今夜は4 10 cakeを聴きながら、

お別れしたいと思います。


堂本剛と Fashion & Music Book

お相手は堂本剛でした。


それでは皆さん、

またお会いしましょう、

おやすみなさい。



♪ 4 10 cake



bayFM을 듣고 여러분,
안녕하세요 도모토 쯔요시입니다.
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book
시작되었습니다.

오늘 은요,
살해 않습니다 받았습니다.

"강훈 안녕하세요 얼마전 할머니가 돌아가 셨습니다. 쇼핑의 돌아가는 길에 쓰러져 그대로 입원했는데 소원 허무하게 사라져 버렸습니다. 아직 그 죽음이 받아 들여지지 않고 매일 슬픕니다. 어머니는 내가 15 살 때 교통 사고를 당해 갑자기 죽어 버렸습니다. 그리고 21 년 할머니는 어머니였습니다. 인생에서 이렇게 슬픈 생각을 두번해야 안된다고는 생각하지 않았습니다. 지금은 뉴질랜드에 살고 있습니다. 아무것도 없으면 일본에 돌아있었습니다. 그러나 코로나의 영향으로 그것도 이루어지지 않고 만날 수도 장례식에 참석 할 수 없습니다. 한 달에 몇 차례했다 전화, 지금도 아이들을 재운 후 전화를하면 항상 느낌으로 나오는 것이 아닐까 어딘가 기대하고있는 자신이 있습니다. 생전 할머니는 차, 꽃, 습자 교사를하고 매일 생생하게 바쁜 있던 사람이었습니다. 마지막에되어 버린 전화는 코로나의 영향으로 연습이나 회의가 없어져 버립니다 몸이 둔 것이기 때문에 운동하지 않으면 고하고있었습니다. 외롭고 마음이 아픕니다 "라고.

음 ~ 음,
안타까워 져요구나,
이런 것은구나,군요.

"정말 외롭고 마음이 아픕니다"
라고 솔직한이 일행 네요.

이것이군요, 그,
그런 곧 아물지 않아, 그래.
당연 화상.

그리고, 역시 이봐,
할머니도 깜짝 놀랐다 생각 지요,
갑자기 일 으니까요.

만나고 싶어지고,
만나러 가고 싶어지고 그렇다면
생각하고 있었던 것 같아.

하지만 그것이군요,
시대도 있고,
여러가지 일이 이루어지지 않았다지고.
응.

뭐, 그,
뭐라고 일까,

이야기는 조금 다를지도 모르지만,
나도 역시, 네,
그 - 아직도, 왠지
아직도 만나고 싶다라고
생각 걸요.

뭐,
켄시로 튀고
만난 할까,
자신의 가슴 속에서 하늘로 승천っ했지만,
타이슨은 그렇지 못했기 때문.

무엇 말하는 있을까,
어쩐지 이렇게, 응
아직도 아픈 걸까.

그런데, 이렇게, 저,
코로나이거나
코로나 아니하더라도

여러가지,
이런 마음의 고통과 살아있는 사람이
たくさんいて자,

정말 저,
그 마음의 고통과
함께 살아 큭 랄까 자,

그 중에서도 배우도 있고,
주의도 있고 말이야.

하지만 슬픔은 역시
지금의 나처럼
치유 없지만.

그렇지만,
예를 들어 이렇게 지금 나는 좀
감정적이되어 버리고 있지만,

그것을 그럼 두 사람은
기꺼이보고 있을까라고하면 네요,
그것도 어떤가라고 생각하거나.

하지만 이런 식으로
감정적이 될 정도로
소중한 존재 인 셈 이잖아요.

그래서 그런 영혼과 저,
이 인생에서 만난라는
대단한 행복한 것이었다지고,
생각하거나 네요.

하지만,
하지만 역시 외로운 라든지,
이랬구나,
아이었다지고,
더 이렇게 해 주면 좋았다는,
정말 여러가지 일을 정말 생각하지만,

그렇지만,
지금의 현실이라는 것을
힘차게 살아 가야 못가 겠네,
라고 생각합니다.

정말니까,
저, 이렇게하여
여러 사람의 마음의 고통 이랄까,
마음의 고통과 마주하고
힘차게 살아있는 사람들의
다양한 삶이라는 것도,

이 코로나 시대라고하는 것은
많이 가르쳐달라고 수도되는

그런 시간이 많았고,
많은 생각 이예요.

정말군요,
코로나가 없으면 일본에 돌아군요,
만나주고라는 것이
수 있었을지도지고.

하지만 지금은
그것이 이루어지지 않거나,
자신이 그 자리에 싶었지만,
그 자리에 넣어 않았다,
그 슬픔이라는 것은
이제 돌아 오지 않으니까.

그래서 저 같은 사람도
그런 시간이 많이 있고,

자신의 의사로는
거기 있고 싶었다구나 든가,
거기 서 있지 싶었다라고
너무 생각하지만,

그것을 선택시켜주지 않았다 든가하면
무리라고 말하 우린하면
무리가 될 수도 있잖아?

그러면
그 마음의 고통 이랄까,
고통 은요,
스스로 소화 굴러 갈 수밖에
없고 말이지.

그래서 앞으로 저,
부정적인 발언이 아니고,

도 코로 씨도
그 시간 이라든지 그날을
떠올리면 생각 나는만큼
힘들어하고
외로워도 지거나하는 것은
절대 그렇게되어 버리는 생각하지만,

그래도 응 ,
어쩐지 이렇게,
나의 경험에서의 괴로운 것과
도 코로 씨의 지금,
이 이야기를 쌓고,

조금이라도 기분이 왠지 이렇게,
기대어 주면 좋겠다고 생각하고
읽어 드렸습니다했다.

저,
지금 듣고 계시는군요,
청취자 분들 중에도,
도 코로 씨에 붙어 있던 분,
정말 많이 있다고 생각합니다.

현실적으로 물리 정말
이 괴로움이나라는 것은
뭐 아물 수 없어 소원은
나도 생각하고.

하지만 그 뭐라고 것인지,
격려 라든지
그런 수준이 아니라,
저,

깃들라고,
그 애정의 시간이라고하는 것일까,
그러한 것은 앞으로도
절대 가득,
도 코로 님을 강하게하고
부드럽게 만약 주니까.

그리고, 저,
할머니도
영혼이 있으니, 그,
바로 뉴질랜드
가는 버리는군요.

그래서
할머니의 존재를
항상 느끼며

에서 자신은 보이지 않아도
말을 걸어 주면서,
말하고
소리하고
그런 식으로 해 주면,

그 쓸쓸한 마음이나
괴로운 마음이라는 것을
또한 할머니가
풀어주는 걸까,
정말 뭔가 생각합니다.

아마이지만,이,
살해 않습니다 것, 지금
열심히 마주 싸우고있는 모습을
할머니가 걱정스러워있어,

그리고,
어쩐지이 라디오를 통해
나는 통해
도 코로 씨에 대해
전했다 같은 신경도하고,

혹은 또한 자성의 애견들이
그것을 말하는 것 같은 느낌도하고

애견들에 대해 이야기함으로써
할머니가 나에 대해

슬프지만,
그런 존재라는 것이 있다는 것 는
행복한 것이지요라고하는 것을,
뭔가 이렇게 전해주고 계시는 것 같은
느낌도하고.

너무 조금 이상한 느낌이지만.

그렇지만 저,
깃들 가면서 말이죠,
모두 조금이라도
웃는 얼굴로 바꾸어 갈 수 있으면 좋겠다고 생각합니다.

あのまた, 뭔가 이렇게
할머니의 소식이 있고 든가,
어쩐지 이런 메시지
날아온 것 같습니다 라든지,

또 여러가지 있으면
라디오로 보내 주시기 바랍니다.

그래, 저,
이런 것 밖에 나는 말할 수 없습니다 만,
정말 자신 답게
지금이라는이 시대를 살고주세요.

그리고 나도 그렇게 살고 있기 때문에.

모두 다양한 삶의 형태가 있는데,
살아가는라고 할 색이라는 것은
역시 같기 때문에,
그 기쁨을 음미하면서 말이죠,
모두 모두 살아 갈 수 있으면되고
생각합니다.

오늘은 그런 괴로운 마음 속을 말이죠,
가르쳐 주셔서
정말 감사합니다.

그러면, 거리, 들어주세요.


♪ 거리


자,
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book,

여기 요, 어
여러분으로부터 모집했습니다
"최근 가장 오랫동안보고 있던 것, 쳐다보고 있었는지"
라고하는 것으로,

뭔가 여러분의 삶 에서
뭐 여러가지주의 라든지,
모두가 그것을 통해 이렇게,
공감할 수 있고 구원 할,
그런 에피소드도있는 것일까 라든지,
여러가지 일을 생각하면서
모집 해 주셨습니다.

그 -,
조금 귀여운 편지 인 데요,
맛은 ,,
맛 반생 씨입니다.

대단한 이름 이군요,
맛 반생,
반생 잘하는 걸까요,
고기 라든지 좋은 위난입니까.

"내가 최근 오랫동안 바라보고 있던 것은 가축의 동영상입니다"
라는군요.
전혀 아뿌로는 다른 데요,

"올해는 해외에 축산업하러 간다 예정이었다지만 갈 수 없게되어 버렸으므로 동영상을보고 이미지 트레이닝하고 있습니다. 최근 들어 오레오 소래 흑인과 백인, 검은 무늬 스코틀랜드의 암소를 알고 목장의 동영상을보고 있습니다하지만 너무 귀여워요. 울음 소리가 응 벌써 ~과 조금 화가 사람 같아 매일 혼자보고는 헤 헤헤 웃으며 있습니다. 사슴 좋아하지 유명한 쯔요시하지만 소는 좋아합니까? 덧붙여서 이런 소 "이라는군요.

사진 보내くれてん하지만
엄청 귀여운거야,
이 오레오 소가.

응 엄청 귀여운군요, 이것은.

조금 저,
소 흑백의 개념은 더 이상 자지 않는다.

또 성격 분명 주길 바라 정도.
사물 명확하게 결정합니다, 같은.

그런 성격의 소 이었으면 정도의
무늬 배급 네요.

이보고있는 사진도 왠지
'은? "같은.

"なんすか? 용 있습니까?"
"없나요?"
"없는 것이라면 이제 여기 보지 않지 하시길 바랍니다"
같은.

"なんすか뭔가 있나요?"
같은.

또 참을성 할까,
그 명확하고 싶다! 같은.

"용무가없는 것이라면 다른 좋은데"
"어쩐지 용있는 것이라면 멈춰 있습니다 만, 이렇게.なんすか?"
같은.

왠지 그런 느낌이
해 오는 정도의 무늬 배급에서.

오레오 소,
굉장히 귀여운 좋겠다.
조금 내가 생각했던
소 아니 어서.

이 소가
엄청 귀엽다 생각했기 때문에,
모두에게 오레오 소의 존재를
알리고 싶다고 생각하고
읽어 드렸습니다했다.

이,
맛 반생 씨의 편지가 없었다면
오레오 소를 나는 평생 모르고
살았지도 모르니까,
그럼에도 감사하고,
조금보고 싶다라고 생각했다.

오레오 가축은 일본에도있는 것일까.
있는 이미지가없는 것이군요.

역시 스코틀랜드까지 가지 않으면,
오레오 소는 만날 수 없을지도 모르지만.

좀 꼭 여러분,
굉장히 귀엽 통해
보십시오.

유키 씨가 말이죠,
"내가 최근 가장 오랫동안 바라 보던 것이 미 타라시 경단입니다"
라고하는 것으로,

예, 왜? 라고 생각 했습니다만,

"해외 생활 이니까 과자를 자주 손으로 할 어렵지만, 한달에 한번 나들이 일본계 슈퍼에 가서 일본의 과자를 사는 것이 기대되고 있습니다. 그동안 일본인 친구에게 맛있는 경단이 들어간거야라고 말해, 오우 만두 ~ 나도 모르게 발길을 옮겨하면, 좀처럼 여기에서 뵐 수없는 현지 산의 갓 미 타라시 경단 3 개의 아기자기 팩에 들어 팔고있었습니다. 하나 손에 들고 우키 돌아가 어머니로부터 물려받은 찻잔 찻잔에 차를 넣고, 좋아하는 일본 요리에 경단 한 개 올려 놓고 베란다에서 즐길했습니다. 다만 일 당이 부드러워 진 시간이었다하기도하고 그 조합이 함께 또는 그 경단이 너무 반짝하고 깨끗하고, 당신 깨끗이 이군요 무심코 얘기해 사진을 찍어 버렸습니다. 잠시 그 경단을 바라보고 만 단팥 싫어하는 아버지가 유일한 사랑이었던이 경단을 맛있게 먹는 모습이나 다른 세상을 버린 친정 인근의 과자 가게의 선대 아줌마의 것을 기억 먹기 전부터 진하게오고 말았습니다. 확실히 그 경단은 탄 자국이있는 고소 쫀득 한 식감과 단맛じょぱい양념의 정도가 절묘한 하나로 그만 둔다 리가 3 개 순식간에 먹어 버렸습니다. 일본에서 갓 만든 경단을 먹을 수 있었다라는 것이 사치였다구나 생각하며, 여기에서 먹고 있기 때문에 그 고마움을 알 것이어요라고 생각하거나 좀처럼 만날 수없는 부모 일본에서 당연했던 일상에 그립고 마음을 날리기 조금 안타깝고도 마음이 차분하게 따뜻해지는 오후였습니다.
라디오는 여기에서들을 수 없지만 쯔요시의 음악에 매일 힘을 얻고 있습니다. 쯔요시의 부드러움 속에 근심있는 노래를 사랑 해요. "와.

엄청 고맙구나.
라디오들을 않았는데,
라디오 메일 줘 버려서.

어쩐지,
역시 그
해외에있는 때문에,
일본에 생각하는 기분이라는 것이
더욱 가거나 이라든지,

그런 기분이 될,
조금 외로움 같은 것도
있을지도 모르지만,
이것은 큰 기쁨이라고 생각 지요.

그래서 자주 경단 먹고하십시오.
베란다에서.

어쩐지 일본 요리를 일부러
오늘은 이제 일본을 만끽합니다!
같은 네요 베란다에서.

그야말로 이것은
YouTube 였으면 좋지 않습니까?

어쩐지,
베란다 재팬, 같은.
어쩐지 그런 말하며.

"오늘은 여기에서 팔고있는 일식 어려운 먹어보고 있습니다 라든가"
"오늘은이 재료와이 재료와이 재료로 된장국 만들어 보았습니다」라고.

어쩐지 그런 건 좋지 않아 있습니까?
베란다 재팬.

전혀 좋아요,
베란다 재팬 사용해 주시고.

어쩐지 그것이하도록하며 것이다군요,
여러가지 세상,
세계에 퍼져っ거나하면,
재미 있잖아요.

"나는 일본인입니다 만,"
"내 베란다 재팬은"같은.

원래 베란다에서? 라고하는 것이,
여러가지 나올지도 모르지만.

굉장히 추운 겨울이나 위험 이지만요,
그리고 추운 나라 든가,
엄청 위험 할지도 모르지만.

"무엇 베란다인데?"
"거실 재팬 안돼입니까?"
같은,
"아니 자 베란다에서"같은.

하지만 어쩐지 그러한 것은,
그, 내 감각이에요?

아 해외에서 이렇게 일본을 느끼며
지내고있는 사람이 있구나구나 같은 라든지,
해외에서 이런 일본 사람이
이런 생활하고있어,
같은 물건은 그,

어쩐지 모르지 않지만,
이쪽 도군요,
어쩐지 용기에 변함라고 어쩐지
역시 있거든요.

이런 일본 사람이 있구나라고.
이런 식으로 생활하고 계시는구나 라든지,
이런 삶도 있구나라는 것을,

따위 그저 보는 것만으로도
대단한 어쩐지,
힘내라고 생각
작용이라는 것이 있기 때문에

그 자신이 단지 경단 먹고있는 뿐만 잖아라고 생각하더라도
그것을 또 보자, 기쁨이나 힘으로 바꾸는 사람 상당히 많이있는 것이에요라고 이야기.

그래서 적극적으로 절대 해주십시오라는 것은 없기 때문에
자신의 판단에 전혀 좋은데,

어쩐지,
베란다 재팬 좀
약간 좋아해서 내가 그냥.

꼭 고려하시기 바랍니다.

그러면 요,
마지막으로 좀 읽어 꽂아 좋겠습니다.

유나 씨, 18 세의 분으로,
"내가 최근 가장 오랫동안보고 있던 것, 그것은 케이크입니다. 나는 케이크를 좋아한다는 단순한 이유에서 지역의 작은 케이크 가게에서 아르바이트를하고 있습니다. 접객을하지 않는 동안 다만 쇼케이스에 진열 맛 같아 우나 케이크를 계속 바라 버립니다. 물론 근무 중 먹을 수 없기 때문에 항상 케이크와 노려봐 상태입니다. 좋아하는 케이크를 앞에두고 먹을 수없는 것은 안타까운 만 팔리고가는 케이크에 대한 대가로 고객의 웃는 얼굴을 볼 수 있다는 것이이 작품의 묘미 일까라고 생각하고 매일 일하고 있습니다. 모두 웃게 해주는 케이크가 역시 사랑합니다 "라고.

이런 순수한 마음을
읽는군요,

어쩐지 저,
이런 식으로,
그저 순수하게 시간을刻める이란
대단한 것이구나라는 따위 생각하고
읽지하게달라고 했죠.

역시 이렇게, 네,
미소를 볼 수있다라는
대단한 행복한 일이지만,

미소를 볼 수
어려운 지금도 있잖아?

하지만 그래서
미소를 만들고 싶어
자신도 미소가되고 싶어요.
어떻게하면 좋을까.

이것은 아마도 요,
여기에 답이 있었어,

아 사랑 이구나 라든지,
좋아 하구나은,
그저 순수한 마음군요,

이 순수한 마음이라는 것을
가지면 가질수록 웃을 수 있고,
사람을 웃게 만들 수라고 하지만,

이것 또한 일관성있는 것처럼 들려오지만
지금도 않을까지고, 어쩐지
몹시 궁금합니다.
이 편지 읽어 꽂아주고.

모두 웃게 해주는 케이크가
역시 내 사랑은,

어쩐지 이런 문구는,
해를 거듭하면 거듭할수록,
여러가지 상황이 달라진다에서
좀처럼 이런 일행
이런 문구는
말할 수없는 거지 있었다て, 왠지
절실하게 나는 생각 버렸습니다.

그리고, 덕분에 지금 케이크가
엄청 먹고 싶어 져있어,
어쩔 줄 몰라합니다.
예.

아무튼 이것은 곤란 하군요.
이 시간 여러분,
케이크,
절대 안돼니까요.

하지만
"아 좀 자, 냉장고에 케이크安然"
라는 사람,
축하,
먹어주세요.
나는 책임 차지하지 않지만.

"아니 케이크없이 좋았다 자,
진심 급해진 아야,
아, 잠깐,
초콜릿 있잖아"

축하합니다,
초콜릿 먹고하십시오.

초콜릿 먹고,
잠시 채워진 느낌은
것입니다 만,
결과 내일 케이크 삽니다.

축하합니다,
이렇게되어 있습니다.

"아니 아니 이제 초코도없는 케이크도 없다"
"あぶな, 어떻게하면 위험했다 아야"
"어, 찰떡 있잖아"

축하합니다,
과자 먹고하십시오.

과자와 케이크,
동떨어진 너무 있고,
뭐야 있도록 몰라요 느낌으로,
결과 만족합니다.

과자에서
결과 따위 모르지 않지만,
만족하지만

내일은 케이크를 먹지 않고,
"어쩐지 갈구나"
"뭐야해서는 잖아"

된다고 생각 합니다만,

축하합니다,
모레 케이크를 먹는 결과입니다 있습니다.
축하합니다.

결과
케이크를 먹고 싶다고 생각하고,
케이크를 먹어야
그것은 해소되지 않는,
이 상황에 이제
많은 분들이 빠졌다는
그런 상황이라고 생각합니다.

네,
자,라고하는 것이어서,

내 것을
지지 해 주시고있는 여러분이라면

"아니 아니 쯔요시 군 기다려 봐요"라고,
"그것이었다 모르고 있지만주의 거치지 있도록하고있어ねんから그만해 ~ "
라는 느낌으로
되고 있다고 생각합니다 그러나,

오늘은 4 10 cake을 들으며
작별하고 싶습니다.

도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book
상대는 도모토 쯔요시였습니다.

그러면 여러분,
다시 만날하자,
안녕히 주무세요.


♪ 4 10 cake


Posted by se-tapir
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