堂本剛と Fashion&Music Book
bayfmをお聴きのみなさんこんばんは、堂本剛です。
「堂本剛と Fashion&Music Book」始まりました。
今日はですね、あいりちゃんからいただきまして。
「剛くんこんばんは。私は19歳の大学生です。去年から剛くんのことが大好きになってたくさん曲を聴かせていただいています。剛くんの曲はとても心地よくていつもピアノで弾いています」
ありがとうございます。
「実はこの前突発性難聴になってしまいました。
私はピアノやクラリネットをやっているのですがドクターストップがかかってしまい、学校の方でピアノのテストには出なさいと言われて、出たら案の定落ちてしまいとても悔しくて恥ずかしい。だからひたすら泣いていました。
剛くんには正直に言えますが、正直今とても無理をして頑張って再試験のため練習をしています。
辛いのはみんな同じという感じで先生に言われてなぜかとてもショックでした。剛くんは辛い時どういうふうに自分に自信というか頑張れって言いますか?
いつか剛くんのバンドでピアノやクラリネットの演奏を一緒にしたいと思うくらいに頑張っています。
剛くんも突発性難聴になっていたと知って今でも大変だと思うので、身体に気を付けてこれからも剛くんらしく剛くんのペースでお仕事頑張ってください。これからもずっと応援し続けます。大好きです」と言ってくれています。
いや…このあいりちゃんのこの「辛いのはみんな同じだからって先生に言われてショックです」ってねぇ、この気持ちは非常にわかるなぁうん。
何でもそうですよね。こういう言葉を聞いたりした時に、その人はそのつもりはないのかもしれないけど、やっぱり言われた方は大変傷つくよね。
でそこになんかこう自分はそうじゃないから自分がなってるわけじゃないからっていう空気感の中で生きていかなければいけないのはほんとしんどくて、やっぱりこの世代の人に対して大人がいろんな言葉を投げてくると思うのね。
僕も18、19の時にすごく傷ついたなって時期やったし、同世代からもなんか心無い言葉言われて傷ついたっていろいろほんと思うけど、なんかそういういろんな経験して生きてた時だなっていう年齢ですが、いろんなことに興味があった年齢だろうし。
まあこの19歳で突発性難聴になってしまいましたっていう言葉があったけど、まあ僕が言うのもなんだけど、なってしまった或いはなったことによってこうして話させてもらえる時間もあるし、繋がれることもあるし、いろいろやっぱりね全てプラスに変えていく力ってとても必要だと思うんですよ。
「なんでそんな前向きなん?自分」て言われるくらい前向きになったろかなって最近はすごく思ってるし、やっぱりそういう自分になるためのきっかけくらいの感じで僕はここ何年間かずっと向き合ってるっていうか、うん。
まぁどうしても片方の耳が突発性難聴でこういう状況なんで、もう片方の耳に頼りながらも音楽ずっとやってるけど、その頑張ってる方の耳もやっぱり疲れてきてるなって感じることも多いし、だから両方疲れちゃったら元も子もないんで、頑張りすぎちゃだめだなって思って少しずつまたヘッドホンにするとかいろいろなことしながらやってはいます。
でも医療従事者の方々はじめ、コロナ時代の中でたくさんのね職業の方々がたくさん頑張ってはるから、自分もやっぱり頑張ろうって思っていろいろやってます。
あのーあいりちゃんもね、苦しいと思うけど、とにかく僕もなんていうのかな同じ立場なんですごく意味は分かるからね。
そしてあのほんとに僕のバンドでピアノ弾いてくれたりとかクラリネット演奏してくれたりとかしてくれるんであれば、なんかすごい嬉しいなってちょっと思っています。
和歌山と奈良近いしね、うんなんかそんなことが本当に実現すればいいよね。ぜひなんか形になればいいなってなんやろ自然に思ってます。
でもやっぱり自分がやりたいこと、僕やったら音楽が好きでFUNKが好きで、
「なんでFUNK好きなんですか?」って言われてもいや好きやからなんでって言われても知らんしって話なんですよね。
「FUNKって何ですか?」いや聞くくらいやったらいいです聞かなくて。今これ僕がやってるのがFUNKなんでこれがFUNKなんだなって思っていればいいんですよっていう。
でもやっぱりFUNKって音楽だけじゃなくてファッションとか、なんかこう生きるスタイルっていうかそういうのもひっくるめてFUNKみたいな話やから悦明するのも難しいものでもあるけど。
でもあのとにかくあいりちゃんがこうやって生きていきたいと思う人生を生きるべきやからね、うん。
で、ほんとに無理する必要ないし、自分がこの瞬間を生きたいと思う、そんな生き方をすればいいだけやから、なんか無理してその瞬間を生きる必要はないなと思います。
で、例えばやけど、歌ってねピッチとか音程とかってあるから耳ってすごい重要になってきちゃうけど、僕はだから鼻とか喉とか身体の角度とか、そういうものを使って音程を覚えてたりもするので、そういうのをいろいろ駆使して歌ってるんですね今。
で、もちろんやっぱり耳が聞こえてる方が歌いやすいんやけど、それが通用しないアレンジのものとかが出てきたりするとそういう技をどんどん使っていくしかなくて、余計な音はカットして歌ったりとかいろいろなことをしながら乗り越えてきてるんですけど。
ピアノってやっぱり目で見えるじゃない?そこを押さえたらタッチとか指のその鍵盤が触れる指の角度とか、タッチとか離れる瞬間とかっていうタイム感ね、そういうものの強弱とかで音色って覚えられるって思うんです指で、あとは目で。
で今まで耳に頼ってた部分を、指と目に頼る状況を作ったりとか、いろいろな方法であのーピアノも全然まだまだ弾けちゃうし。
だからそういうなにかこう今まで、コロナもそうでしょ、今まであった生活があったけどそれが出来なくなっちゃった時にすごいストレスになってるよね。
みんな自粛しろとかこうだああだ。うまくいってたことがうまくいかないっていういらだちとか不安っていうものがあるでしょ?
それによって別れなければいけないとか、それによって出会ったりとか、いろいろなことが本当にいろんな人の人生にあると思うんですけど、まぁそういうようなもんで今まで自分の能力としてあったものがなくなっていくっていうのはほんとに怖いし寂しいし悲しいし辛いし、それ以外何もないんですよね。
でもそういういろいろな自分との闘いをされている方がたくさんいるということをほんま僕は改めて感じたし、心が疲れてしまった時もそうだけど、もうほんとにいろいろな人の気持ちに改めて気付く、そういう時間なんだなと思って前向きに捉える瞬間をいっぱい作ってる。
で、僕は突発性難聴でいうと蜂の子のなんかいろいろ飲んでみたりとかストレッチしたりとかいろんなことしましたけれども。
あのーピアノやってるんだったらねクラシック聴くとか、川沿いでずっと6時間くらいぼっとするとか。
あの和歌山やったら海岸で波の音ずっと聞いてるといいですよ。波の音は全部の音域入っていますからホワイトノイズも入っているし、治療にほんといいのであのぜひ海と向き合って。
人と向き合って疲れるのならほんと海と向き合えばいいと思います。
で、和歌山の人やったら分かると思うけど、なんかその海の神さんとか和歌山の土地にいらっしゃる神さんたちと対話しながら、そういう海ぼーっと見つめるみたいな時間をいっぱい作ったらいいんじゃないかなと思います。
ぼくも東京で働いてますけど生まれは奈良で近いですし、まぁ同じ環境で生きてますから、うーん環境っていうか同じ気持ちで生きてますからね。
一人じゃないから全然苦しく思わないで、いろいろ寂しくなること多いと思いますけど、とにかく自分らしく優しく強くこれからも生きていってほしいなとそんなふうに思っている次第です。
ねぇ19歳という若さでこういうちょっと苦しいだろうね。
自分の胸の内を語るって苦しかったと思いますけれども、こうして送っていただいてそしてまたこうしてこのお便りを読ませていただくことによってたくさんの人にいろいろな時間を繋げることができていると思いますので、ほんとにあいりちゃんには感謝しかないと思います。
ほんとにありがとうございました。
それではほんとにこういう孤独を抱えて生きている人たちがほんとに一人でも多く減る全くいなくなる、そんな世の中になっていけばいいなって思って書いた曲です。
「Everbody say love」聴いてください。
♪『Everbody say love』
堂本剛と Fashion&Music Book。
ここではですね、今夜はあなたの家にあるザ・日本を感じるアイテムということでございまして、みなさんからいただきましたお便り読まさしていただきます。
まずはですね、みほさん大阪府の方ですけど。
「私の家の玄関には大きな昔からの柱時計があります。小さい時はただの大きな時計でしかなかったけど、成長するにつけこの時計はいつ誰の手で作られてどっからやって来たのだろうと。
私が知らない大昔をこの時計は知っていて、時間を刻み続け生きているんだなと柱時計に命さえ感じています。
自宅自体も和の家なので、家中いろんな日本を感じるものがありますが、この柱時計がわが家では一番日本を感じるものです。時計の背景歴史を考えたりしたらさらに愛おしい柱時計になりました」と。
あの、僕の家にも振り子時計っていうかあって柱時計。
これはあのおじいちゃんが買った時計で、それで残っているもの引き継いでいるっていうか、うん。
おじいちゃんとの記憶とかねぇちっちゃい頃やったから鮮明にある日とそうじゃない日もあるけれども。
でもあの最後の方とかで、僕がこういう仕事をして東京に出ることが多くなっちゃったんで、おじいちゃんとなかなか会うことがね出来なかったなぁってちょっと寂しい気持ちにもなって。
よくねぇ看護師さんとかに「これうちの孫やねん」って言って楽しそうに話をしてるのを聞きながら、自分もほんとに年に3日しかお休みなかった時期やから帰ってあげるにもね。
なんかまぁもうちょっと帰ってあげれたら良かったなぁと思うけど、でも一緒に病室で撮った写真とかねそういうもの見ながら、今も思い出したりしながら、えー時計があることでおじいちゃんのことすごく感じれるしね。
今はね、いろいろ時間あるからおじいちゃんといっぱい過ごせたのになぁってなんか思うけど、うん。
今もおじいちゃんの思い出と一緒に過ごすということで、欲張ればやっぱりおじいちゃんこの世にいる時にいっぱい時間過ごしたかったなぁ、おばあちゃんも含めてと思うんですけれども。
でも、そういうなんかこう思い出と一緒にね生きていくっていうのも幸せなことで、だからずっと大切にしていけたらいいななんて思ってその時計をいつも眺めているということですかね。
そしてね、えー大阪府のかよさんがですね。
「私の家にある日本を感じるアイテムはこたつにみかんです。定番ですがやっぱり冬になるとこのコンビ最強ですね。
みかんを箱買いしみんなで食べるんですが、酸っぱいみかんが苦手な母は一房食べて「あー酸っぱ。あげるわ」と私が平らげることになります。
最近は甘いのによく出会うようで美味しそうにほうばっております。剛さんは果物何がお好きですか?私はダントツで二十世紀梨。みかんちゃうんかいと聞こえてきそうですが」
みかんって言うのかと思ってたら二十世紀梨かいなっていう。二十世紀梨♪って歌がありましたけどね。
「私とずっと同居していますがこんな何気ない日常を大切に思えるのも剛さんに出会えたからかなと思っています。剛さんいつもあったかい愛をありがとう」
このこたつはね、このコロナ禍とかでもそうでしたけどやっぱりあの冬寒いからっていうことで、あの外でご飯食べるって状況が一瞬出来たりとかもしてたか、らそういう時にこたつ導入してる日本のオーナーさんのレストランがありましたね。
海外でもやっぱり非常に受けのいいものかなと思いますが。
そして、ちっちさん。
「昭和の家庭でたまにあるのをお見かけしていたものが家にありました。それは北海道土産に定番のクマが鮭を咥える木彫りの置物です。ザ・日本って感じがしますね。
何度も引っ越しをしたにもかかわらず今の今まで家にあるとは感慨深いものがあります。
一方父方の祖母の名前がクマの足の裏に入っていたのでおばあちゃんのものではあるようですが、今回私に見つけられるまでほこりをかぶって忘れ去られていたのでウェットティッシュで拭いて救出してあげました。
こんな話題でもない限り鮭を咥えたクマさんはほこりをかぶっていたと思うので日の目を見れて良かったです」とお写真いただきました。
誇らしく鮭を咥えていますよクマが。なんかいいよね。
こういうのって確かに海外でもいろんな木彫りのねお人形さんだなんだとあるけど、ほんまにクマはなかなか言われてみると日本感あるね。
北海道っていう土地もいろいろな歴史のある土地だから。
でも今となってはほんとになんか日本の感じでめっちゃかわいいですよこのクマ。なんか鮭もねまんざらでもない感じで咥えられているというね独特ないいグルーヴ出してますね。
大切にしてあげてくださいこれからもね。
えーそして、ふぁんとんさん奈良の方なんですけど。
「初めてメールさせていただきます。家にあるザ・日本を感じるもの、それは縁側です。私は奈良に住んでいます。家は黒滝村というところですがご存じでしょうか?」と。
黒滝村行ったことあります。すごいいいとこでした。
なんかもうのんびりしてて、川がね石とかがきれいで、なんかこういうところでぼーっとしたいなってもう何十年も思ってるなぁなんて思いながらぼーっと見てましたけど景色を。
うんすごい気持ちいいとこです。
「奈良県内ではあるものの今は仕事の都合で田舎を離れており、なかなか縁側でのんびりとした時間を過ごす機会も減りましたが、夏はエアコンがなくても過ごせる温度までしか上がらないので、家の下を流れている川の音を聞きながら目に優しすぎるくらいの緑の景色を何も考えずただただ見ていると時の流れをすごいゆっくり感じます。
そしてまた日々のもやもやがなくなっていく気がして、そういう時間を過ごすのがすごく好きです」と。
「今の時代は使うことに賛否があるようですが風鈴があればなお良しと思っています」そうね。
「日本らしいものというのは昔からあるものというイメージを持っています。不便な時代を生きられた方が作ってこられたものには、今の時代とは違う様々な思いや工夫が詰まっていると思いますし、そうして作られたものはこれからも大切にしていかなければいけないなと思っています」
お写真添えてくださってます。
もうこういうね幸せとか平和はほしいなぁっていうそんな景色です。
やっぱりあの自分が奈良生まれなんで、海がなかったから川・湖・池ってのがなんかこう水で、きれいな川ずっと見てぼーっとしてただただ緑見て山々を見てそして空を見て。
なんかこんな贅沢ないよなっていつも戻った時とか思うんですけど、ぼーっとしたいねほんとにね、うん。
でもこれもまたね昔の人々が残してきた景色でもあるし土地でもありますから、これからも大切にねいろいろな自分の人生と重ねあって過ごしてほしいなというふうに思います。
なんか機会あったらね黒滝村また行きたいなとも思いました。
そしてね日本を感じるアイテムということではないんですけれども、まやさん。
「剛くんこんばんは。この前初めて献血に行ってきました」ということで。
「注射も苦手でピアスも怖くて開けられないのですごく緊張していたのですが、看護師さんが私のENDRECHERIのグッズのリュックに気付いてくれて、私もファンなんですと言ってくれて、
そこからは献血中ずっと剛くんの話などで盛り上がり、配信ライブの話、またライブに行けると言いねなどと話しているうちにあっという間に終わりました。
緊張していた私に気を遣っていろいろ話をしてくれていたのかなと思いますがとても嬉しかったです。忘れられない初めての献血になりました。
私が献血に行こうと思ったきっかけは、この前友達が大きな手術をして輸血を9リットルしたという話を聞いたからです。友達も剛くんファンです。
私にも何かできることはないかと考えて献血に行こうと思いました。また献血可能日が来たら行きたいと思います。剛くんのいつも優しい言葉と音楽に救われています。
ありがとうございます。剛くんも無理をせず身体に気を付けてください。大好きです」と言ってくださっております。
こういったご縁もありますね、不思議とね。
まぁあの配信ライブとかもね、今年もいろいろできたらなと思ってるんですけど。
まぁアーカイブがないとなってくると、あのみなさんいろいろとねお仕事のご都合があるから、その時間に絶対見れない人もいて、でお医者さんとか特になぁって思っていたり、うーんいろいろあるんですけど、まぁルールとか決まりとかっていうものがあってね、うん。
ま、でももっともっとスタッフの人たちとも話し合って、何かできることあると思うんで、あの頑張れるだけ頑張りたいと思います。
こうしてあの一生懸命ねこの時代と闘っている応援してくださっているファンの方々がたくさんいるし、自分もあのみなさん一人一人にね、あの勇気与えられるように頑張れたらなと思ってますから、
なにかこう少しでも繋がれる場所をたくさん作れたらなと思ってますんで、みなさんあの何度も言いますけどほんとみんなでね、この時代一緒に乗り切っていきましょうね。
いやしかしすごいね、輸血ね9リットルしたりとか。すごい量ですもんね9リットルってね。
まぁでもこのね、献血に行くってことで血がまた新しく生まれ変わるという良い作用もあると聞きますから。
人に対して何か貢献できること、それがまた自分に貢献できることにも繋がる、そういう時間もあるし、ほんとに一人一人がね、あのこれから考えていかなきゃいけないことほんとにいっぱいあると思いますけれども、自分ができる役割をねやっていけたらいいなというふうにも思います。
でもこの同じ時代をねみんな生きてますから、色とりどりの苦しみ悲しみっていうのがあるかもしれないけれど、まぁその色とりどりの悲しみ苦しみも含めてみんなでこう共有していけたらいいよねっていうふうに思いますね。
とにかくいろんな色があっていいし、いろんな形があっていい、そういう時代ですから。
でも一つの場所一つの気持ちに立つということがやっぱり必要なのかなというふうに思いますね。
その領域に達することが僕らができた時には、今のこのコロナという時代は終わっていくのではないかなというふうに思ったりもしています。
僕たちが改めてね僕たちのことを考え直す必要がある、そんな時代でもあると思います。
様々な想いを込めて、僕自身は曲作ったりとかみなさんと繋がれる場所で披露したりとかパフォーマンスしたりとか、みなさんに届けられるものを作っていこうと思ってますので、お互いご自愛しながらこの時代を乗り越え楽しんで生きていきましょう。
ということでございまして、皆様からの様々なメールお待ちしております。
(宛先紹介)
それでは最後に今夜は『Super miracle journey!!!』を聴きながらお別れです。
堂本剛と Fashion&Music Book。お相手は堂本剛でした。
それではみなさん、またお会いしましょう。
おやすみなさい。
♪『Super miracle journey!!!』
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book
bayfm을 듣고 여러분 안녕하세요, 도모토 쯔요시입니다.
"도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book"시작되었습니다.
오늘 은요, 에리 짱에서 주셔서.
"쯔요시 군 안녕하세요. 저는 19 세의 대학생입니다. 작년부터 쯔요시 군의 수 좋아하게 많은 곡을 들려주고 있습니다. 강훈의 곡은 매우 편안하고 항상 피아노 연주입니다"
고마워요 있습니다.
"사실이 전 돌발성 난청이되어 버렸습니다.
나는 피아노와 클라리넷을하고 있는데 닥터 스톱이 걸려 버려, 학교 측에서 피아노 테스트에 나오라고 말해, 나와 후 아니나 다를까 빠졌 너무 분하고 부끄럽다. 그래서 오로지 울고있었습니다.
쯔요시 군에게 정직하게 말할 수 있습니다 만, 솔직히 지금 너무 무리해서 열심히 다시 시험을위한 연습을하고 있습니다.
괴로운 것은 모두 같은 라는 느낌으로 선생님에게 말해 왠지 매우 충격이었습니다. 강훈은 힘들 때 어떤 식으로 자신감 이랄까 힘내라고 말하고 있습니까?
언젠가 강훈의 밴드에서 피아노와 클라리넷 연주를 함께하고 싶다 싶을 정도로 열심히하고 있습니다.
강훈도 돌발성 난청이 있었다고 알고 지금도 힘들다고 생각하기 때문에 신체에 조심해 앞으로도 쯔요시 군 답게 강훈의 속도로 일 노력해주세요. 앞으로도 쭉 응원하고 있습니다. 사랑 해요 "라고 말해주고 있습니다.
아니 ...이 아이리 쨩이 「괴로운 것은 모두 같은 이니까 선생님에게 말해 충격이다 "라고하네요이 기분은 매우 아는구나 그래.
무엇이든 그렇죠. 이런 말을 듣거나했을 때, 그 사람은 그 않을지도 모르지만, 역시 말씀하신 분은 매우 상처군요.
에서 거기에 뭔가 이렇게 자신은 그렇지 않기 때문에 자신이지고있는 것이 아니기 때문에라는 분위기 속에서 살아 가지 않으면 안되는 것은 정말 힘들어, 역시이 세대의 사람들에게 어른이 여러가지 말 를 던져 진다고 생각 하네.
나도 18,19 때 몹시 상처 점점 시간 일했고, 동 세대로부터도 어쩐지 마음없는 말 말 상처해도 여러가지 단지 생각하지만, 어쩐지 그런 여러가지 경험하고 살아 때구나라는 나이이지만 여러가지 일에 흥미있는 나이 테고.
음이 19 세에서 돌발성 난청이되어 버렸습니다라는 말이 있었지만, 뭐 내가 말하는 것도이지만,되어 버린 혹은되었다해서 이렇게 말하게 줄 시간도 있고, 연결된 될 수도 있고, 여러가지 역시 네요 모두 플러스로 바꾸어가는力って매우 필요하다고 생각합니다.
"왜 그런 긍정적 인 응? 자신」하고 말하는 정도 긍정적이 잖아?라는 최근에는 몹시 생각하고, 역시 그런 자신이 될 수있는 계기 정도의 느낌으로 나는 여기 몇 년간 계속 마주 한단하거나 응.
뭐 아무래도 한쪽 귀가 돌발성 난청에서 이런 상황 이니까, 다른 쪽 귀에 의지하면서도 음악 계속하고 있지만, 그 노력하고있는 사람의 귀에도 역시 피곤해 있구나라고 느낄 수도 많고, 그래서 모두 피곤 버려서하면 본전도 없어서, 너무 노력 안돼 이구나라고 생각하고 조금씩 또한 헤드폰한다 든가 여러가지하면서 해가 있습니다.
하지만 의료 종사자 분들 비롯해 코로나 시대 속에서 많은 네요 직업의 분들이 많이 열심히는る때문에 자신도 역시 노력하자라고 생각하고 여러 가지하고 있습니다.
그 - 에리 짱도군요, 어렵다고 생각하지만, 어쨌든 나도 뭐라고 것일까 같은 입장 이니까 굉장히 의미는 알 수 있으니까요.
그리고 그 정말 내 밴드에서 피아노 연주 주거나이나 클라리넷 연주 해 주거나 라든지 해줍니다라면 뭔가 대단한 기쁘다라고 조금 생각합니다.
와카야마와 나라 가깝고 요, 그래 어쩐지 그런 일이 정말로 실현되면 좋지요. 꼭 뭔가 모양이되면 좋겠다이란 거지 자연스럽게 생각하고 있습니다.
하지만 역시 자신이하고 싶은 것, 내가 였으면 음악을 좋아하고 FUNK를 좋아하고,
"왜 FUNK 좋아하는 건가요?"라고 말해도 아니 좋아 이니까 어째서라고 말해도 알지 않고는 이야기 무엇군요.
"FUNK는 무엇입니까?"아니 듣는 정도 일하나요 듣지 않아. 지금 이것은 내가하고있는 것이 FUNK 왜 이것이 FUNK 뭐야라고 생각하고 있으면 좋아요라고.
하지만 역시 FUNK라고 음악뿐만 아니라 패션 이라든지, 어쩐지 이렇게 사는 스타일 이랄까 그런 것도 통틀어 FUNK 같은 이야기 이니까悦明하는 것도 어려운 것도 있지만.
하지만 그 어쨌든 아이리 쨩이 이렇게 살고 싶은 삶을 살아야 것이나니까, 그래.
그리고, 정말 무리 할 필요없고, 자신이이 순간을 살고 싶다, 그런 삶을하면 좋은 것뿐이나에서, 어쩐지 무리해서 그 순간을 살 필요는 없다라고 생각합니다.
그리고, 예를 들어 화상, 노래 네요 피치이나 음정 이라든지 있으니까 귀 대단 중요 해지고 버리지 만, 나는 그래서 코거나 목이나 몸의 각도 라든지, 그러한 것을 사용하여 음정을 기억하기도한다 그래서 그런 것을 여러 구사 해 노래 있어요 지금.
그리고, 물론 역시 청각 장애인 분들이 부르기 쉬운 것 화상 그것이 통용되지 않는 배열의 것이 라든지가 나오거나하면 그런 기술을 계속적으로 갈 수 밖에없고, 불필요한 소리는 잘라 노래 든가 여러가지 일을하면서 넘어오고있는 데요.
피아노는 역시 눈에 보이는 아냐? 거기를 확실히하면 터치이나 손가락이 건반이 닿는 손가락의 각도 라든지, 터치 라든지 떠나는 순간 이라든지라고 타임 감 네요, 그런 것들의 강약이나 음색라고 외우라고 생각합니다 손가락으로, 나머지는 눈으로 .
에서 지금까지 귀에 의존했던 부분을 손가락과 눈에 의존 상황을 만들거나 이라든지, 여러가지 방법으로 그 삐 아노도 전혀 아직 터져 버리고.
그래서 그런 뭔가 이렇게 지금까지 코로나도 그렇죠, 지금까지 있었던 생활이 있었지만 그것을 할 수 없게되어 버렸다 때 대단한 스트레스가 있지.
모두 자숙해라 라든지 이렇다 아이다. 잘했던 것이 잘못이라는 초조함이나 불안이라는 것이 있는가?
그로 인해 헤어져야 안된다 든가,이를 통해 만나고 이라든지, 여러가지 것이 정말 여러 사람의 인생에 있다고 생각 합니다만, 아무튼 그런 것 같은 것이 지금까지 자신의 능력으로 있던 것이 없어져가는っ라고 말하는 것은 정말 무섭고 쓸쓸한하고 슬프고 괴롭고, 그 이외 아무것도 지요.
하지만 그런 여러가지 자신과의 싸움을하고있는 분들이 많이 있다는 것을 진짜 나는 새삼 느꼈고, 마음이 지쳐 버렸을 때도 그렇지만, 이제 정말 여러 사람의 마음에 다시 한번 깨닫게 그런 시간 이구나라고 생각하고 적극적으로 파악 순간을 가득 만들고있다.
그리고, 나는 돌발성 난청으로 말하면 꿀벌의 자식 어쩐지 여러가지 마셔 든가 스트레칭 든가 여러가지 했습니다만.
그 삐 아노하고있는 것이라면 네요 클래식 듣는 다든가, 강가에서 계속 6 시간 정도 푹하거나.
그 와카야마 였으면 해안에서 파도 소리 계속 듣고 있으면 좋아요. 파도 소리는 모든 음역 들어 있기 때문에 화이트 노이즈도 들어 있고, 치료 일본과 좋기 때문에 저 꼭 바다와 마주하고.
사람과 마주 피곤면 정말 바다와 마주해야한다고 생각합니다.
그리고, 와카야마 사람 였으면 안다고 생각하지만, 어쩐지 그 바다의 신 씨나 와카야마의 땅에 계신 하나님 씨들과 대화하면서 그러한 바다 멍하니 바라 보는 같은 시간을 많이 만들면 좋지 않을까 생각합니다 .
나도 도쿄에서 일하고 있습니다 만 태어나는 나라에 가까운이며, 아무튼 같은 환경에서 살고 있기 때문에, 음 환경 할까 같은 마음으로 살아 있으니까요.
혼자가 아니니까 전혀 답답 생각하지 않고 여러 쓸쓸 될 많다고 생각 합니다만, 어쨌든 자신 답게 부드럽게 강하게 앞으로도 살아 가면 좋겠다라고 그런 식으로 생각하는 바입니다.
저기 19 살이라는 젊은 나이에 이런 조금 괴로운 일 것이다.
자신의 속마음을 이야기라고 힘들었던 생각합니다 그러나 이렇게 보내 주시고 또한 이렇게이 편지를 읽게 받음으로써 많은 사람들에게 다양한 시간을 연결하는 수 있다고 생각하기 때문에 , 정말 애리 짱 감사 밖에 없다고 생각합니다.
정말 감사합니다.
그럼 정말 이런 외로움을 안고 사는 사람들이 정말 한 사람이라도 더 줄어들 전혀 없어지는 그런 세상이 가면 좋다고 생각 쓴 곡입니다.
"Everbody say love"들어주세요.
♪ "Everbody say love"
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book.
여기 요, 오늘 밤은 당신의 가정에있는 더 일본을 느낄 아이템이라는 것이 었습니다, 여러분으로부터 받았던 편지 읽는 바르고드립니다.
우선군요, 미호 씨 오사카 부 분입니다 만.
"우리집 현관에 큰 옛날의 벽시계입니다. 어렸을 때 그냥 큰 시계 밖에 없었지만, 성장 조림이 시계는 언제 누구의 손으로 만들어진 두근 때문에 온 것이다 깔때기.
내가 모르는 옛날이 시계는 알고 시간을 새기고 계속 살아있는구나 벽시계 목숨 마저 느낍니다.
집 자체도 일본의 집이므로 집안 여러가지 일본을 느끼는 것이 있지만,이 벽시계가 우리집에서 제일 일본을 느낄 것입니다. 시계의 배경 역사를 생각하거나하면 더욱 사랑 스럽다 벽시계되었습니다」라고.
저, 우리집에도 진자 시계 할까 있고 벽시계.
이것은 그 할아버지가 산 시계에서 그것으로 남아있는 인수하고있다라고 할까, 그래.
할아버지의 기억이나 네요 조그만 무렵 였으니 까 선명 어느 날과 그렇지 않은 날 있더라도.
하지만 그 끝 부분 등으로, 내가 이런 일을하고 도쿄에 나설 수 많은되어 버렸다니까, 할아버지 좀처럼 만날 수 있네요 못한 거라고 조금 쓸쓸한 기분도되고.
잘하네요 간호사 라든지 "이 중孫や군요"라고 말해 즐거운 듯이 이야기를하고있는 것을 들으면서 자신도 정말 1 년에 3 일 밖에 휴식 없던 시절 이니까 돌아 줄에 도하네요.
어쩐지 뭐 좀 돌아 주면면 좋았구나라고 생각하지만, 그래도 함께 병실에서 찍은 사진 이라든지 그런 것 보면서 지금도 기억도하면서, 어 시계가있는 것으로 할아버지의 것을 몹시 느낄 수 하구요 .
지금 은요, 여러 시간 있으니까 할아버지 가득 보냈습니다 텐데 말야 따위 생각하지만, 그래.
지금도 할아버지의 추억과 함께 보내는 것으로,欲張れ하면 역시 할아버지 세상에있을 때 가득 시간 보내고 싶었구나, 할머니도 포함하고 있다고 생각합니다 그러나.
하지만 그런 어쩐지 이렇게 추억과 함께 네요 살아가는라는 것도 행복한 일, 그래서 계속 소중히 해 나갈 수 있으면 좋겠다라고 생각하고 그 시계를 항상 바라보고있는 것입니까.
그리고 네, 네 - 오사카의 카요 씨 말이죠.
"집에있는 일본을 느낄 아이템은 난로에 귤입니다. 정평입니다 만 역시 겨울이되면이 콤비 최강 네요.
귤을 상자 구입し모두 먹는 데요, 신 귤이 약한 어머니는 한방 먹고 "아 신맛. 줄게"라고 내가平らげる것입니다.
최근에는 달콤한 데 자주 접하는 것처럼 맛있게 호오 세상에 있습니다. 쯔요시는 과일 무엇이 좋아하십니까? 나는 단연 이십 세기 배. 귤 버리는 거냐과 들려오는 것입니다 "
귤라고 말하는 것인가라고 생각하고 있으면 이십 세기 배 카이나라고. 이십 세기 배 ♪라는 노래가있었습니다 만.
"저와 계속 함께 살고 있지만 이런 아무렇지도 않은 일상을 소중히 생각도 쯔요시 상과 만날 수 있었기 때문 일까라고 생각하고 있습니다. 쯔요시 항상 따뜻한 사랑에 감사드립니다"
이 난로는군요,이 코로나 재난 등으로도 그러했지만 역시 그 겨울 추운 때문이라는 것으로, 그 밖에서 밥 먹는라는 상황이 순간 생기거나 같은 것도하고 있었거나 알 그럴 때 난로 도입하고있는 일본 오너 씨의 레스토랑이 있었어요.
해외에서도 역시 매우 받아 좋은 것인지라고 생각 합니다만.
그리고 치치 씨.
"쇼의 집에서 가끔있는를 보이지했다 것이 집에있었습니다. 그것은 홋카이도 선물로 정평 곰이 연어를 물고 루 목각 인형입니다. 더 일본이라는 느낌이 드네요.
여러 번 도 이사를 했음에도 불구하고 지금의 지금까지 집에 있다고는 감개 무량합니다.
한편 아버지의 할머니의 이름이 곰 발바닥에 들어가 있었기 때문에 할머니의 것이있는 것 같습니다만, 이번에 나는 찾아낸까지 먼지를 뒤집어 쓰고 잊고 있었기 때문에 물티슈로 닦아 구출 해주었습니다.
이런 화제가 아니라면 연어를 물고 곰은 먼지를 쓰고 있었다고 생각하기 때문에 햇빛을 볼 수있어 좋았다 입니다 "라고 사진 받았습니다.
자랑스럽게 연어를 물고 있어요 곰. 어쩐지 좋지요.
이런 것은 물론 해외에서도 여러 목각 네오 인형이다 무엇이라고 있지만, 홍마に곰은 좀처럼 말을 보면 일본스러운 네요.
홋카이도라는 땅도 여러가지 역사가있는 토지 이니까.
하지만 지금에 와서는 정말 뭔가 일본의 느낌으로 굉장히 귀여워요이 곰. 어쩐지 연어 도요 반드시 싫지만은없는 느낌으로 물려되어 있다고하네요 유일한 좋은 그루브 내고 있네요.
소중히 해주세요 앞으로도 네요.
어 그리고ふぁんとん씨 나라 사람 인데요.
"처음 메일로하겠습니다. 집에있는 더 일본을 느끼는 것, 그것은 툇마루입니다. 나는 나라에 살고 있습니다. 집은 구로 타키 촌이라는 곳입니다 만 알고 계십니까?"라고.
구로 타키 촌 간 적이 있습니다. 와우 좋은 곳이었습니다.
어쩐지 또 빈둥 거리고있어, 강하네요 돌 같은 것이 깨끗하고 어쩐지 이런 곳에서 멍하니 싶다라는 또 수십 년 동안 생각 있구나라고 생각하면서 멍하니보고 했습니다만 경치를.
그래 대단한 기분 곳입니다.
"나라 현은 있지만 지금은 일의 사정으로 시골 떨어져있어 좀처럼 툇마루에서 여유로운 시간을 보낼 수있는 기회도 감소했지만 여름에는 에어컨 없이도 지낼 온도까지 밖에 오르지 않기 때문에 집 아래를 흐르는 강 소리를 들으며 눈에 너무 친절 정도의 녹색 풍경을 아무 생각없이 그저보고 있으면 시간의 흐름을 대단한 천천히 느낍니다.
또한 일상 뭉게 뭉게이 없어져가는 생각 이하고 그런 시간을 보내고 무척 좋아합니다 "라고.
"지금의 시대는 사용할 수 찬반이있는 것 같습니다만 풍경이 있으면 또한 좋다고 생각합니다"그렇구나.
"일본 다운 것이라고하는 것은 예전부터 것이라는 이미지를 가지고 있습니다. 불편한 시대를 살지 것이 만들어 올 수 있었던 것에는 지금의 시대와는 다른 다양한 생각과 궁리가 걸린 생각하고, 그렇게 만들어진 것은 앞으로도 소중히 해 나가지 않으면 안된다고 생각합니다 "
여행 사진 첨부하여 주시고 있습니다.
또 이런군요 행복이나 평화는 원하는구나라고 그런 경치입니다.
역시 그 자신이 나라 태생 이니까, 바다가 없었기 때문 강 · 호수 · 연못라는 것이 어쩐지 이렇게 물을 깨끗한 강 계속보고 멍하니 그저 녹색보고 산을보고 그리고 하늘을 봐.
어쩐지 이런 호화 없어지고 항상 돌아 왔을 때 라든지 생각 합니다만, 멍 싶다 정말 네요, 그래.
하지만 이것도 또 만나요 옛날 사람들이 남기고 간 경치도 있고 땅도 있기 때문에, 앞으로도 소중히 네요 여러가지 자신의 인생과 겹쳐 있고 보내고 좋겠다라고하는 식으로 생각합니다.
어쩐지 기회 있으면 네요 구로 타키 촌 또 가고 싶다고도 생각했습니다.
그리고 네요 일본을 느낄 아이템이라는 것은 아니다 만, 마야 씨.
"쯔요시 군 안녕하세요. 얼마전 처음으로 헌혈에 다녀 왔습니다 '라는 것.
"주사도 약하고 귀걸이도 무서워서 열지 못하는 때문에 몹시 긴장하고있었습니다 만, 간호사가 내 ENDRECHERI 상품의 배낭에 몰래주고, 저도 팬이에요라고 해주고,
거기에서 헌혈 내내 강훈의 이야기 등으로 고조 배달 라이브의 이야기, 또 라이브에 갈 수 있다고 말하고 값 등 고있는 사이에 순식간에 끝났습니다.
긴장하고 있던 나에게 신경을 쓰고 밖으로 여러 가지 이야기를 해주고 있었는지라고 생각 합니다만 매우 기뻤습니다. 잊을 수없는 첫 헌혈되었습니다.
내가 헌혈에 가려고 생각한 계기는 얼마 전 친구가 큰 수술을 하고 수혈을 9 리터했다는 얘기를 들었 기 때문입니다. 친구도 쯔요시 군 팬입니다.
저도 할 수있는 일이 아닐까 생각 헌혈에 가려고했습니다. 또한 헌혈 가능이 오면 가고 싶다 생각합니다. 강훈의 언제나 상냥한 말과 음악에 구원 있습니다.
감사합니다. 강훈도 무리없이 몸을 조심하십시오. 사랑 해요 "라고 주신 있습니다.
이런 인연도 있네요 이상하게 네요.
아무튼 그 전달 라이브 라든지도군요, 올해도 여러가지 수 있으면라고 생각하고 있습니다 만.
아무튼 아카이브가 없다고되어지면, 그 여러분 여러가지 네요 직장의 사정이 있기 때문에 그 시간에 절대 볼 수없는 사람도 있고,에서 의사 라든지 특히 거라고 생각하거나 음 여러가지 만, 아무튼 규칙이나 결정 이라든지라는 것이 있었어, 그래.
뭐, 그래도 좀더 직원들도 논의 뭔가 할 수 있다고 생각하기 때문에, 그 버틸만한 노력 싶습니다.
이렇게 저 열심히 고양이의 시대와 싸우고있는 응원 해 주시는 팬 분들이 많이 있고, 자신도 그 여러분 한사람 한사람에 말이야, 그 용기 주어지는 것과 같이 힘내 있으면라고 생각하고 있으니까,
무엇인가 이렇게 조금이라도 연결되는 장소를 많이 만들 수 있으면라고 생각하고 있기에, 여러분 그 몇번이나 말합니다 만 정말 모두에있어이 시대 함께 극복 해 나가요.
아니하지만 대단하네 수혈 네요 9 리터하거나 든가. 대단한 양 이지요 9 리터라고하네요.
뭐 그렇지만이 있네요 헌혈에 간다고하여 피가 다시 새롭게 거듭나는 좋은 작용도 있다고 들었테니까.
사람에 대해 뭔가 기여할 수있는 것, 그것이 또한 자신에 기여할 수 증대에도 기여할 그런 시간도 있고, 정말 사람이 말이야, 그 앞으로 생각해 가지 않으면 안되는 정말 많이 있다고 생각합니다 그러나, 자신이 있는 역할을하기 어려워 겨우 갈 수 있으면 좋겠다는 식으로도 생각합니다.
하지만이 같은 시대를 네요 모두 살아 있기 때문에, 여러 가지 빛깔의 고통 슬픔이라는 것이 있을지도 모르지만, 아무튼 그 화려한 슬픔 고통을 포함하여 모두 이렇게 공유 해 나갈 수 있으면 좋지요라는 식으로 생각 군요.
어쨌든 여러가지 색상이있어 좋고, 여러가지 형태가있어 좋다, 그런 시대이기 때문이다.
하지만 한 장소 하나의 마음에 선다는 것이 역시 필요한가라고하는 식으로 생각합니다.
그 영역에 도달 할 수 우리가 생겼을 때에는 지금이 코로나는 시대는 끝났다가는 것은 아닐까라고하는 식으로 생각하기도합니다.
우리들이 다시군요 우리들의 것을 다시 생각해야하는 그런 시대이기도하다고 생각합니다.
다양한 구상을 담고, 나 자신은 노래 만들고 라든지 여러분과 연결되는 곳에서 선보이거나 성능하거나든지, 여러분에게 제공되는 것을 만들어 가려고 생각하고 있기 때문에, 서로 자애하면서이 시대를 넘어 즐기고 살아 갑시다.
라고하는 것이어서, 여러분의 다양한 편지 기다리고 있습니다.
(대상 소개)
그러면 마지막으로 오늘은 'Super miracle journey !!! "를 들으며 작별입니다.
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book. 상대는 도모토 쯔요시였습니다.
그러면 여러분 또 만나요입니다.
안녕히 주무세요.
♪ "Super miracle journey !!!"
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