堂本剛とFashion&Music Book

BayFMをお聴きの皆さん、こんばんは、堂本剛です。
堂本剛とFashion&Music Book始まりました。

えーとですね、まず下町の娘さんなんですけれども。

こんばんは。
剛さんはラジオの時自分で文章原稿を作って読んでいるんですか?
言葉がよく出てくるなーと思って感心ちゃいます。
私は剛さんのいいフレーズはメモしておいて後で読み返したりします。

っていうふうにおっしゃってくださっておりますが、まあもちろんその原稿と言うか進行の何て言うんですか、骨組みと言いますか、まあその、今日はこうこうこうですよみたいなやつとかまあそういうのは書いて頂いてる部分ももちろんありますけど。
えっと、ライブのMCとかもそうですけど、あんまり、あんまりって言うか全然何を話しするかっていうのはいつも決めていないので、その時のステージに立って皆さんの雰囲気とか例えば、じゃぁ、その日に雨が降ってるとかあるいは桜が満開だったなとかその時によって変わっていくのでまあ想定通りにMCもやっぱり進められないから、だからあまりほんと何も考えずに始めてしまってるところはありますけれども。
まああの一人でずっとしゃべるって言うすごく難しいことでもあって僕、今こうやって、あの、お褒めのお言葉いただいてますけど、自分でも嫌になるぐらい要件に対してすごく遠回りしてしまうんですよ。
質問に対してあるいはこういう話をしたいという時にあれやこれやそれやみたいな言葉がすごくついてしまって最終的に、「で、こうだったんですよ」に辿り着くことが多いので自分としても本当話が長いなとずっと思ってるんですよ。
これはもう事務所入った時から言われてますから。
それがまたいいんだよと言ってくれる人がいるのに甘えちゃってきたなという感じですよね。
実際やっぱりMC が面白いと言っていただくとあまり何も考えない方がいいのかっていうことになってしまうんですが、例えばインタビューとかあるいは会議をする時とかはあれやこれやそれやはちょっと邪魔と言うかだらだら長いだけになってしまうのでなるべくそれがないように話しすることに努めてるんですけどね。
この歳にもなってほんと悩んでることです、そこは。
もうちょっと端的に短くスピーディーに物事を人に伝えることができるようになったらいいのになって。
あの塾の先生とか学校の先生とかもそうですけど、なんかこう短く端的にこうこうこうでこうだからこうなんだよ、でしょ、みたいな。
あ、なるほど、すごく短く伝えられたらいいのになぁって。
だから、海外で、よく、あの、商品をプレゼンする人たちとかいますけど絶対的ねーさんみたいな。
うん、だらだら、だから選んでる音楽のジャンル好きなジャンルがファンクなんだなっていうふうにも思うし、うん。
あの、最近も色々なミュージシャンの人たちと話する機会があるんですけれども、この BPM、例えばこのクリックっていうコンコンコンコンってなってるやつを聞きながら演奏したり歌うこともあるしクリックがない状態で、あうんの呼吸で演奏することもあるしクリックは聞いているんだけれども、ちょっとクリックから後ろにレイドバックして歌ったり演奏するときもあるし。
ほんとにこれ様々なんですけど、要はクリックは何を意味するかというと、制限、という意味もあるし、ある一定の基準値っていう意味あいもあると思うんですよ。
クリックに対して必ずドッツパッツドッツパッツって絶対必ず合わせていくっていう制限的な扱い方をする時もあるし、ドッツパッツドッツパッツドッツパッツっていうこのある程度の基準でしかないという使い方をするときもあるし、クリックが邪魔だなぁ、でもフリーでドッツパッツドッツパッツってやっていくっていうことがあって、だからその、会話とかもそうだけど、この時間内にこれを伝えてくださいっていう制限が非常に多い状況っていうのが基本苦手なんですよ。
だから、一応この基準はあるけどこれに必ずあわせたドッツパッツドッツパッツっていうに音が必要ではない、なんかそのドッツパッツドッツパッツドッツパッツドッツパッツってちょっとドッツパッツとこのクリックがずれててもある一定の基準だったらいいじゃんっていう状況とかもクリックがないテンポがない BPMがないっていうその状況の方が楽、だからファンクが好き、みたいなことにはなんかなってたのかなっていう感じがするんですが。この伝えたいことを端的に伝える能力が僕にはやっぱりないんですよ。
だからこれだけちょっと時間かかっちゃうっていうか、楽曲にしても歌詞が長かったりとか音符が多かったりするっていうのもそこなんですよ。
端的にパンって短くポンって伝えれたらいいなと思うときがすごくあるんですけど、でもさっき言ったようにファンクが好きなんだから自分のその表現方法とかなまりとか特徴とかそういうものをあの自分が否定することなくね、尊重してあげて、自分を大切に考えてあげてものを作っていったり人と対話をするっていう、この自分のスピード感速度感でもいいと言ってくださる人がいるのだからその人とは自分を変えなくても自分を愛してあげた状態で対話できるって事だから誰もがそういう時間を過ごせばいいだけで、あの人のあの時間の過ごし方ちょっとナンセンスだよねとかなんかちょっと違うよねみたいなこと言う必要性がないっていうか、そういう時間を使うんであれば自分たち或いはは自分というものを愛してあげれる時間に費やした方が絶対いいよなっていう。
それをそれぞれの人たちがやることができると、なんかただただ平和なだけなのになあでもなんかみんなこういうことを選択しないよなーって。なんやねんやろなあのってずっと?(ハテナ)になりながら生きているっていうのがま僕の今なんですけれども。
まぁこうして、今このお話させてもらったことが原稿にあるわけではないですからね。
自分が今思っていろいろ話をしているというところでございますけれども。
こうやって一つのメール、おたより頂いた時に自分がそれに反応してこれだけ話をするんですけど音楽やってる時もほんとこんな感じで音楽やってます。
ま、先ほどからずっとえんえん話している中にも出ているようなキーワードではありますけれども本当に皆が愛についてとか自分の命についてとか自分の人生について、ただただ愛し合うそんな時が早く来ないかな、何で来ないのかなーって思いながら書いた曲がありますのでそれをまずオープニングで聞いて頂きながら今日は進めていきたいなというふうに思いますそれでは “everybody say love” 聞いてください


 ♪Everybody say love


堂本剛と Fashion & Music Book
さ、ここではですね
春だなということもありましてお花の季節ですよね。
ということで、まお花にまつわるエピソード、あの今日読まさせていただくお便りもそうですけれども、まぁ幸せな時もそうだしちょっと悲しい時にもなんか寄り添ってくれるものなよなお花って、とかいろんな人のその幸せな思い出とちょっと辛い思いで悲しい思い出ともリンクするものがやっぱり花だなという風に思いました。
ま、僕がね、大好きだった愛犬とかもそうですけれども一緒に最後お花見したなぁみたいなあるいは車乗りながらあの車を走らせながらね、桜を見たりとかして、そうするとね、なんか窓から桜の花びらがふわっと入ってきて、犬の体に降って落ちたりとかしてなんかそういうのとかもほんの一瞬のことなんですけどね、なんか燃えてるよなーってそれだけ日本人の心をもっと言えばほんと地球人のね、心の中にはその花っていう存在はものすごくおっきいものだよなんて、なんか思いますね、うん。
まずマミマミさんです。

先月、息子が幼稚園から帰ってくると嬉しそうに小さなお花とつくしのプレゼントをくれました。
ママはどのお花が好きかなぁと想像しながらたくさん集めてくれたそうです。
持ち帰ったときには既にボロボロで少し枯れていましたが、とても嬉しかったです。
枯れてるし、捨てちゃうよねと息子に訊かれましたが、とても捨てられないので押し花にし大切に取っておこうと思います。

と。
で、この息子さんが取ってきてくれたお花、今、お写真にあるんですけど。
ま、僕も幼稚園のころとかもそうだけど帰り道にお花摘んでお母さんにプレゼントしたなぁって思い出があります。
それを歌詞の、歌の歌詞のワンフレーズに入れたりもしました、うん。
お母さん、やっぱり嬉しかったぁって言ってたし、なんか自分もなんとなく覚えてるっていう記憶なんですけどね、でもなんかお母さん喜ばせてあげたいということで帰ってくる途中の道に咲いてるお花とかそういうもの取ってお母さんにプレゼントするっていうなんかやってましたね。
その頃の自分をまた思い出してなんか胸が、なんでしょうね、言葉で表すのは難しいような感情になるって言うか、こういう Episode 読むと自分もそうしてたなとか思うし、うん。
是非あの押し花にしてずっと取っててあげたらいいんじゃないかなって。
なんかその、花として押し花として残るんだろうけれどもそれがまたこう記憶としても残ってるしその時の息子さんの気持ちをその押し花と一緒に込められると思うから大切に押し花にしてずっと取っててあげたらいいんじゃないかなって、自分のためにも息子さんのためにもね、なんか取っててあげたらいいんじゃないかなと思いました。

そしてルナさんですけれども、

10年以上も前のことですが遠距離恋愛をしていた時に彼氏が花の種をくれたことがありました。
たまにしか会えなくて寂しかったんですが花の種を鉢植えに植えてからは水やりが日課になって花が咲くのがとても楽しみでした。
しばらくして綺麗な白い花が咲いて携帯で写真を撮って彼に送りました。
その彼と結婚して8年くらい経ちましたが今でもたまに思い出します。

いいですね、なんかあの、遠距離恋愛で例えばその、もうちょっとこう、もの、これお花とかじゃなくてね、もっと言えばお花をプレゼントするみたいなこととかってあるかもしれないけどそのお花になる前のお花の種ですよね。
それをプレゼントするっていうのがなんかすごいすてきだなって思いましたね。
そしてその花を育てていくその過程だったりとかね、その花が咲いた時だったりね、なんか素敵なプレゼントだなーってね。
そしてその彼と結婚もされて。
いいですね、こういうお花と距離とをつなぐ感じ。
やっぱりこう、会えないけど、そのお花がそばにいてくれる事でその人を強く感じるとかね、
なんかすてきな話だなぁと思いました。

そして、ギュウヒノサクラモチさんです。

私のお花の思い出は今は病床にいる母親がまだ元気なころに一緒にでかけたお花屋さんで私の誕生日が近いからと鉢植えの鮮やかな黄色のオンシジュウムをプレゼントしてくれたことです。
あの頃の私は母親からの贈り物を大人になってからもいただいてしまって申し訳ないなぁと、いつも遠慮がちにしていました。
でも、今歩くこともできずにベッドに伏せている母親を見ているとなぜあの時素直に「いつもほんとにどうもありがとう」と、心から伝えてあげなかったのかなぁと、とても後悔しています。
年を重ねるたびに子供にしてあげられることが一つまた一つと少なくなっていく中私への愛を精一杯に届けようとしてくれていた無償の母親の思いにただただ感謝の気持ちで感謝の心でいっぱいです。
生命力に溢れた色鮮やかな黄色のオンシジュームの花を見るたびにいつも元気をくれる母の笑顔を思い出しますし私の大好きなお花の一つになりました。
今は母に会える時間一分一秒を大切に懐かしく楽しかった思い出話をしたり冗談を言って笑いあったりしながら大切に過ごしていきたいです。

ね、そして東京都のもちさんは

私には四人の娘がいます。
お花が好きなのでミカ、ユカ、ハナ、ハルと名前に花をつけました。
それぞれの花を咲かせて毎日賑やかですよ。

っていうお便りいただいたりしています。
あの、この、サクラモチさんのような、うーん、なんていうのかな、お母さんがあるいはお父さんが年を重ねて自分にしてあげられることが少なくなっていく中でっていうこの感覚がすごくあのちょっと胸を締め付けるなーと思って。
あの自分もそうなんですよね。
あのやっぱりこう、親孝行したいなと思った時に、じゃ旅行一緒に行こうかって言うにはちょっと体が心配だという年齢に親がはいっていくと、ちょっとそれも叶えられなかったりね、するっていうのがあるようにやっぱりその親の方から子供に対してこういう風にしてあげたいなと思ってもそれができない自分がいたりする中で精いっぱいの子供孝行と言うか、うん。親から子に対してこういう風なことしてあげよう、こうしてあげようこれをプレゼントしてあげようっていうのがその時の母親だったり父親の精一杯のね、プレゼントっていうものがあると思うんですけど、そういうものなんかこう感じ取ってあげたり汲み取ってあげるって言うことができるの、すごく、うーん、なんかいいなと思って読んでました。
確かにそのやっぱりこう伝えられる時にありがとうっていうこととか愛してるって言うことは本当にいっぱい伝えるべきだなと思いますね。
こういうお便り頂いて。
そして、お子さんが、そのお子さんの存在が或いは親の存在が恋人の存在が友達の存在がというね、その一人一人の存在が自分をこんなにも勇気づけてくれたり強くしてくれたり優しくもしてくれたりするんだなということですよね。
これをコロナの時代を経験してさらに理解した人は本当に多いと思うんですね。
せっかく理解したんだから素直に伝えましょうってすごく思いますね。
やっぱり照れくさかったりとか色々な気持ちになるのも分かるんですけどね。
まあもし言葉にすることが難しいんだよとは言えという人がいるのならば心の中では言葉にしましょう。
そうすれば自ずと自然とそういう表情になったりそういう行動に移せると思います。
それはちゃんと相手に伝わりますから。
今はマスクをしていてなかなかこう表情がわからない表情が見えない理解できないっていう人もすごく多いんですが、その人が或いは自分が感情で生きてるか生きてないかによっては大きく変わるなと思いますね。
本当にその人のことを大切に大切に思っているとすればですよ、それは目に出ますからねちゃんと。

今日はお花のエピソードをお話させていただいたりもしましたけれども、今年もだからそれこそほんと、お花見したいなとか、家族でお花見したいなっていうこと思ったりしたけど、やっぱりそれをかなえることは難しいのかなぁってなったりとか。
ま、さっきもスタッフの方とお話しまししたけれども、やっぱり去年ご結婚されたり、今年ご結婚されたり、もうほんとにご結婚されるという方すごく多くて、でもそういう方々の話でよくあがるのが、ご挨拶に行くことができない、だからテレビ電話でご挨拶したりとか電話でご挨拶したりとかっていう形をとることだったり、まぁ、幸せの報告だからおじいちゃんおばあちゃんに会いに行きたいなーって思ってもおじいちゃんおばあちゃんに会いに行った時に自分がおじいちゃんおばあちゃんうつしてしまったりして何かあったらそれこそもう悲しさだけでは終わらない、会いに行かなきゃよかったなと後悔しか残らない、うーんじゃあ自分は家でじっと耐えて我慢してこのコロナが終わるまで頑張って生活していこうって思っても好きに動く人達がいる中でもしその人が自分の地元に旅行に行っておじいちゃんおばあちゃんに何かあるような行動を起こしたらどうしようかとか、なんか色んなこと考えてたら自分がこうして我慢していることって何なんだろうとかみんないろんなことを思ってるよねっていう話をさっきしてたんですけどね。
皆、ほんとそうですよね。

で、そしてあの、このね、14歳のココちゃんがくれたんですけどね

初めまして
剛くんファンの母に勧められて1月からのこのラジオ聴いています。
で、十代二十代の今の思いや気持ちを募集しているコーナーが心FADERSということで私の名前にも心がつくので繋がりを感じてメールしようと思いました。

ってくれました。

私は4月から中学校3年生になりました。
部活は吹奏楽部に入ってパーカスを担当していますがコロナの影響でコンクールが無くなって残念です。
練習が少しずつ再開していますが目標が無くて物足りないです。
他にも野外学習が中止になったり修学旅行の行き先が変わってしまったりして残念なことが続いていて憂鬱です。
そしてマスクをしていることによって相手の本当の表情が見えないので心の距離を感じてしまいます。
早くコロナが終わって友達といっぱい遊びたいです。
今はそれが一番の楽しみですです。

って綴ってくれてるんです、14歳の子がね。
だからこういう子たちのためにもね、できることってやっぱりいっぱいあるから。
そのできることのひとつが我慢だとも思うんですよね。
あの皆で早く状況が良くなるようにね、本気で動いてあげないとこの子達がもっとしんどいから。
なんか本当にルールって言うかちゃんと決めてしっかりやりましょうよってすごく思っちゃうよね、こういうお便り読んでると。
自分がその10代の頃とかね、まあこういう世界に入って運動会とか修学旅行とかはそういうものを仕事を優先して叶えられなかったしホントはこんなとこに遊びに行きたいなと思ったけど行けなかったりとかもしたし、ま、いろんな時間を10代過ごしました。
だからこのコロナ禍の状況とはちょっと違うんだけれども本当は叶えられたのに叶えられないとか叶えたいんだけど叶えられないとかそういうような気持ちになって憂鬱になっちゃうとか悲しいなと思っちゃうっていうような人たち10代20代の方々の新社会人の方々とか色んな方がいらっしゃいますけれどもそういう方々の気持ちに、全く一緒、全部寄り添えてるかわからないけど、でもより近い所でその気持ちが痛いほど分かるなと思ってこういう人たちの1日1日がね、より良い物により明るいものになればいいなっていうふうに出来る限りのことしたいなと思ってまあやるわけですよ。
で、その中で音楽を作ったりすることもそうだしまぁこのラジオで色々なお話をさせていただくこともそうだし、そしていま自分の生活の中で我慢できることは我慢しよって我慢することもそうだし微々たることかもしれないけれども本当にね僕一人が何かやっても変わらないんです、本当に。
でも僕みたいな人が一人でも多く増えていけば変わっていくものだから我慢とか忍耐という言葉だとネガティブに聞こえるかもしれないけどでもこれはもう愛情と思って地球に対してとか自分に対して自分たちに対しての愛情と思って忍耐とか我慢っていうことは何かたくさんの人が続けていけばいいのになと思うし。
やっぱり自分たちに明るい未来を与えるためにもやるべきことはやろうよって思いますけどね、うん。
このラジオを通してもあのいろいろなお話しさせて頂きながら皆さんとね同じような気持ちになって一つになって少しでも変えていけるように、明るい未来に歩いて行けるように皆さんとこれからもお話しさせていただけたらなというふうに思っております。
えーまだまだリスナーの皆さんからのメールお待ちしております

メールの方は~~~です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

それでは、皆さんのね、これからの未来そして今が少しでもね明るくなるように力強いもの優しく強くあれるようにということで今夜は“Super miracle journey”を聞きながらお別れしたいと思います。
堂本剛とFashison&Music Book、お相手は堂本剛でした。
それでは皆さん、またお会いしましょう。
おやすみなさい。




 ♪ Super miracle journey

 

 

 

도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book

BayFM을 듣고 여러분, 안녕하세요, 도모토 쯔요시입니다.
도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book 시작되었습니다.

얻다 네요 먼저 변두리의 딸입니다 그러나.

안녕하세요.
쯔요시상은 라디오 때 스스로 문장 원고를 만들어 읽고 있나요?
말이 잘 나온다 -라고 생각 감탄 버립니다.
나는 쯔요시 좋은 문구는 메모 해 두어 나중에 다시 읽어도합니다.

라는 식으로 말씀 해주시고 있습니다 만, 뭐 물론 그 원고라고 할까 진행 뭐라고하나요 뼈대라고합니까, 글쎄 그 오늘은 이렇게 고교이에요 같은 놈이나 뭐 그런 이 써 주신있는 부분도 물론 있습니다 만.
어, 라이브의 MC 라든지도 그렇지만, 너무, 너무 이랄까 전혀 무슨 이야기를하는지 말하는 것은 항상 결정하지 않기 때문에, 그때 무대에 서서 여러분의 분위기 라든지 예를 들어, 그럼 그날 비가있다 든가 또는 벚꽃이 만개했다 던가 경우에 따라 변해가 때문에 뭐 예상대로 MC도 역시 진행 않기 때문에, 그래서 너무 정말 아무 생각없이 시작 버리고있는 곳이 있더라도.
뭐 저 혼자 계속 지껄라고 말하는 너무 어렵지도 있고 내가 지금 이렇게, 저, 칭찬의 말씀 주시고 있습니다 만, 자신도 싫어 질 정도 요구 사항에 대해 너무 멀리 돌아가 버립니다 거죠.
질문에 대한 또는 이런 말을하고 싶은 때 알콩달콩 그것과 같은 말이 너무 붙어 버리고 마지막으로, "그래서, 이랬거든요」에 도착할 경우가 많기 때문에 자신으로서도 진짜 이야기 오래라고 계속 생각하고 있거든요.
이것은 또 사무실 들어갔을 때부터 말해지고 있으니까.
그것도 괜찮아라고 말해주는 사람이있는 호의를 받아 버려서왔다라는 느낌 이군요.
사실 역시 MC가 재미라고하시면별로 아무것도 생각하지 않는 것이 좋은 것인지라고하는 것이되어 버립니다 만, 예를 들면 인터뷰 라든지 또는 회의를 할 때나은 알콩달콩 그것은 나 좀 방해가 말하는지 줄줄 긴만큼되어 버리므로 가급적 그것이 없도록 이야기하기 위해 노력하고 있습니다 만하네요.
이 나이도되고 정말 고민입니다 거기는.
좀 단적으로 짧아 신속하게 물건을 사람에게 말할 수있게되면 좋은 상태.
그 학원의 선생님이나 학교 선생님 이라든지도 그렇지만, 어쩐지 이렇게 짧게 단적으로 이렇게 고등학교에서 이러니 이렇게하는거야, 응, 같은.
아, 과연, 너무 짧게 전해지면 좋은데 말야.
그래서 해외에서 잘 그 제품을 프레젠테이션하는 사람들과 헤엄 합니다만 절대 이군요 씨 같은.
그래, 지루, 그래서 선택 묻는 음악 장르 좋아하는 장르가 펑크구나라는 식으로도 생각하고 그래.
그 최근에도 다양한 뮤지션의 사람들과 이야기 할 기회가 있습니다 그러나이 BPM 예를 들어이 클릭이라는 꽁꽁 꽁꽁라고되어있는 녀석을 들으면서 연주하거나 노래도 있고 클릭이없는 상태 그리고, 아운의 호흡으로 연주 할 수도 있고 클릭 듣고 있어요 그러나 좀 클릭 뒤쪽으로 한가로운 노래하거나 연주 할 때도 있고.
정말이 다양한 데요, 요점 클릭은 무슨 뜻인가하면, 제한한다는 의미도 있고, 일정한 기준치라는 의미도 있다고 생각합니다.
클릭 할 때마다 반드시 돗쯔 팟쯔 돗쯔 팟쯔라고 절대 맞추 나가는라는 제한적인 취급 방법을 할 때도 있고, 돗쯔 팟쯔 돗쯔 팟쯔 돗쯔 팟쯔라는이 어느 정도의 기준으로 밖에 없다는 사용법을 할 때도 있고, 클릭이 방해구나, 그래도 무료로 돗쯔 팟쯔 돗쯔 팟쯔라고 지내는라고 할 수 있고, 그래서 그 대화 라든지도 그렇지만,이 시간 내에이를 알려주십시오라는 제한이 매우 이 많은 상황이라는 것이 기본 약한거든요.
그래서 일단이 기준은 있지만 이것은 반드시 맞는 돗쯔 팟쯔 돗쯔 팟쯔 냐고 소리가 필요없는, 어쩐지 그 돗쯔 팟쯔 돗쯔 팟쯔 돗쯔 팟쯔 돗쯔 팟쯔는 조금 돗쯔팟쯔과이 클릭이 어긋나 있어도 일정 기준이라면 좋 잖아라고 상황 등도 클릭이없는 템포가없는 BPM이 없다고 말하는 그 상황이 더 쉽게, 그래서 펑크가 좋아, 같은 것은 따위가 있었던 것일까라는 느낌이 하지만. 이 전하고 싶은 것을 단적으로 전달하는 능력이 나에게는 역시 없어요.
그래서 그냥 조금 시간이 소요 버린다라고하는지, 악곡도 가사가 길거나이나 음표가 많거나 말하는 것도 거기 랍니다.
단적으로 빵라고 짧게 퐁라고 전했다되면 좋다고 생각하는 경우가 많이 있습니다 만, 그래도 아까 말했듯이 펑크를 좋아 하니까 자신의 그 표현 방법이나 사투리 라든지 특징 이라든지 그러한 것을 그 자신이 부정 할 수 없지 않아 존중 해주고 자신을 소중하게 생각 해주고 것을 만들어 가거나 사람과 대화를한다고하는이 자신의 속도감 속도감도 좋다고 말해 주시는 사람이 니까 그 사람과 자신을 바꾸지 않아도 자신을 사랑 해준 상태에서 대화 할 수는 일 이니까 모두가 그런 시간을 보내면 좋을뿐, 그 사람의 그 시간을 보내는 방법 좀 말도 안되는 지요 라든지 어쩐지 조금 다른군요 같은 것을 말할 필요도 없다 랄까, 그런 시간을 소요 때문에 있으면 자신 혹은 자신이라는 것을 사랑 해줄 시간에 보냈다 게 훨씬 좋은 거지라고.
그것을 각 사람이하는 수 있으며, 어쩐지 그저 평화로운 뿐인데구나 그렇지만 어쩐지 모두 이런 일을 선택하지 않아구나라고. 뭐야ねんやろ구나하는 쭉? (하테나)되면서 살아있는라는 것이 또 내 지금입니다 그러나.
아무튼 이렇게 지금이 이야기 해 준 것이 원고에있는 것은 없으니까.
자신이 지금 생각하고 여러 가지 이야기를하고 있다는 점입니다 그러나.
이렇게 하나의 메일, 편지받은 때 자신이 그것에 반응하여 이만큼 이야기를 합니다만 음악하고있는 때도 단지와 이런 식으로 음악을하고 있습니다.
뭐, 아까부터 계속 장장 말했다 안에도 나온다 같은 키워드가 그러나 정말 모두가 사랑에 대해 라든지 자신의 생명에 대한 라든지 자신의 삶에 대해 그저 사랑하는 그런 시간이 빨리 오지 않을까, 무엇 오지 않는다 인가구나라고 생각하면서 쓴 곡이 있기 때문에 그것을 먼저 오프닝 듣고 받으면서 오늘 진행시켜 나가고 싶다고 말하는 식으로 생각합니다 그러면 "everybody say love"물어보세요


 ♪ Everybody say love


도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book
에 여기에서 말이죠
봄 이구나라는 것도있어서 꽃의 계절 이군요.
것으로,まお花에 얽힌 에피소드, 그 오늘 읽지하게 주시는 소식도 그렇습니다 만, 그래도 행복한 순간도 그렇고 좀 슬플 때도 어쩐지 다가주는 것 같은 화산암 꽃은, 라든지 여러 사람의 그 행복 추억과 좀 힘들어 슬픈 추억도 링크하는 것이 역시 꽃 이구나라는 식으로 생각했습니다.
뭐, 내가 말이야, 정말 좋아했던 애견 라든지도 그렇습니다 그러나 함께 마지막 꽃놀이 했군 같은 또는 차 타면서 그 차를 몰고하면서 말이죠, 벚꽃을 보러 든가하여 그렇다면, 어쩐지 창에서 벚꽃의 꽃잎 가 가볍게 들어 와서 강아지 몸에 내려 떨어지고 한다거나 뭐 그런 등도 순간의 것 인 데요, 뭔가 불타 네 ~라고 그만큼 일본인의 마음을 더 말하면 정말 지구인군요, 마음 속에 그 꽃이라는 존재는 대단히 커다란 것이 야 하다니, 뭔가 생각 해요, 그래.
우선 마미마미 씨입니다.

지난달 아들이 유치원에서 돌아 오면 반갑게 작은 꽃과 다해 선물을주었습니다.
엄마는 어떤 꽃을 좋아 일까 상상하면서 많이 모아 준 것입니다.
가져온 때 이미 너덜 너덜 해져 조금 시들어있었습니다 만, 매우 기뻤습니다.
시들어 있고, 버려 버리는군요과 아들에게 묻지했지만, 매우 버림 않기 때문에 압화로 소중히 가지고 두려고합니다.

와.
그리고,이 아들이 구해 준 꽃, 이제 여행 사진에 있는데요.
뭐, 나도 유치원 시절 이라든지도 그렇지만 돌아가는 길에 꽃 따서 엄마에게 선물 한 거라고 기억이 있습니다.
그것을 가사, 노래 가사 프레이즈에 넣기도했습니다, 그래.
엄마 역시 기뻤다 하앗て말한, 왠지 자신도 어딘지 모르게 기억 한단 기억하는 데요, 그래도 어쩐지 엄마 기쁘게 해주고 싶은 것으로 돌아 오는 길에 길에 피어있는 꽃 라든지 그러한 것 가지고 엄마에게 선물한다고하는 따위하고 있었어요.
그 무렵의 자신을 또한 기억 어쩐지 가슴이 무엇 이지요 말로 나타내는 것은 어려운 감정이된다고 할까, 이런 Episode 읽고 자신도 그렇게하고 있었던 이라든지 생각하고 그래.
꼭 그 압화하고 계속 가지고있어 주면 좋지 않을까라고.
어쩐지 그 꽃으로 압화로 남는 걸까 그러나 그것도 이렇게 기억으로 남아 있고 그 때 아들의 마음을 그 압화와 함께 담아된다고 생각하기 때문에 소중히 압화하고 계속 가지고있어 주면 좋지 않을까라고 자신을 위해서도 아들을 위해서도군요, 어쩐지 가지고있어 주면 좋지 않을까 생각했습니다.

그리고 루나 씨입니다 만,

10 년 전 일이지만 원거리 연애를하고 있었을 때 그이가 꽃씨를 준 적이있었습니다.
가끔씩 밖에 만날 수 없어 아쉬웠 습니다만 꽃 씨앗을 화분에 심고 나서는 물을 것이 일과가되어 꽃이 피는 것이 매우 재미있었습니다.
잠시 후 깨끗한 하얀 꽃이 피어 휴대폰으로 사진을 찍어 그에게 보냈습니다.
그 사람과 결혼하고 8 년 정도 지났 습니다만 지금도 가끔 생각납니다.

좋네요, 어쩐지 그 원거리 연애하고 예를 들어 그, 좀 이렇게 무슨 이것은 꽃 같은 게 아니라 네요 더 말하면 꽃을 선물하는 같은 거 라던가일지도 모르지만 그 꽃이되기 전에 의 꽃씨군요.
그것을 선물한다라고하는 것이 무슨 대단한 멋지다라고 생각 했어요.
그리고 그 꽃을 키워가는 과정이기도 이라든지 그 꽃이 피어 때였たり네요, 뭔가 멋진 선물 이구나라고하네요.
그리고 그와 결혼도하고.
좋네요 이런 꽃과 거리를 잇는 느낌.
역시 이렇게, 만날 수 없지만, 그 꽃이 곁에있어주는 것으로 그 사람을 강하게 느낄 이라든지,
뭔가 좋은 이야기 이구나라고 생각했습니다.

그리고 우생 히노 사쿠라 모치 씨입니다.

내 꽃의 추억은 지금은 병상에있는 어머니가 아직 건강한 시절에 함께 나갔다고 꽃집에서 내 생일이 가까워서과 화분의 밝은 노란색 온 쥬움을 선물 해준 것입니다 .
그 시절의 나는 어머니의 선물을 어른이되고 나서도 받고 버려 미안한구나라고 늘 수줍어하고있었습니다.
하지만 지금 걷지도 못하고 침대에 엎드려있는 어머니를보고 있으면 왜 그때 솔직하게 "항상 정말 감사합니다"라고 진심으로 전해주고 않았던 걸까과 매우 후회하고 있습니다.
해를 거듭 할 때마다 아이에게 해줄 수있는 것이 하나 또 하나 적게되어가는 가운데 저에게 사랑을 한껏 보내려고 해주고 있었다 무료 어머니의 생각에 그저 감사에서 감사의 마음 로 가득합니다.
생명력이 넘치는 화려한 노란색 온시 쥬무 꽃을 볼 때마다 항상 건강을주는 어머니의 미소를 기억하고 내가 사랑하는 꽃의 하나가되었습니다.
지금은 어머니를 만날 시간 일분 일초를 소중히 그리워 즐거웠 던 추억 이야기를하거나 농담 웃음 있기도하면서 잘 지내고 싶습니다.

네, 그리고 도쿄의 떡 씨는

나에게 네 명의 딸이 있습니다.
꽃을 좋아해서 미카, 유카, 하나, 선체와 이름에 꽃을 붙였습니다.
각각의 꽃을 피우고 매일 분주 해요.

라고 편지 주시거나하고 있습니다.
그이, 사쿠라 모찌 씨와 같은 음, 뭐라고 일까 엄마가 혹은 아빠가 해를 거듭해 자신에게 해줄 수 부족 가면서라는이 느낌이 너무 저 좀 가슴을 옥죄 -라고 생각.
저 자신도 그런 거죠.
그 역시 이렇게 효도하고 싶다고 생각했을 때, 그럼 여행 함께 갈까라는 말은 좀 몸이 걱정이라는 나이에 부모가 들어 가면, 어이도 이루지 않거나 요,하는라고하는 이처럼 역시 그 부모로부터 아이에 대해 이런 식으로 해주고 싶다고 생각해도 그럴 수없는 자신이 할에서 힘껏 아이 효도라고 할까, 그래. 부모에서 자식에 대해 이런 식의 것을 해주려고 이렇게 해 주자 이것을 선물해 주자라는 것이 그때의 어머니이기도 아버지 힘껏 네요, 선물이라는 것이 있다고 생각 합니다만 그런 것 따위 이렇게 느껴 주거나 짐작 해 준다고 말할 수있는, 굉장히, 음, 뭔가 좋다고 생각 읽고있었습니다.
물론 그 역시 이렇게 전달 될 때 감사라는 것이 라든지 사랑한다고 말하는 것은 정말 가득 전달한다라고 생각합니다.
이런 편지 받고.
그리고 아이가 그 아이의 존재가 혹은 부모의 존재가 연인의 존재가 친구의 존재가 말입니다 그 사람의 존재가 자신을 이렇게 용기를 주거나 강하게 해 주거나 부드럽게도 주거나 구나라는 것이군요.
이것을 코로나의 시대를 경험하고 또한 이해 한 사람은 정말 많다고 생각합니다.
모처럼 이해니까 솔직하게 전해보세요 몹시 생각합니다.
역시照れくさかっ든가 여러가지 기분이되는 것도 알지만 네요.
그럼 만약 말을하는 것이 어려운거야라고는 할 수는 사람이있는면 마음 속으로는 말합시다.
그러면 저절로 자연스럽게 그런 표정을하고 그런 행동에 옮길 생각합니다.
그것은 제대로 상대에게 전해지니까.
지금은 마스크를하고 좀처럼 이렇게 표정이 모르는 표정이 보이지 않는 이해할 수 없다고 말하는 사람도 굉장히 많습니다 만, 그 사람이 혹은 자신이 감정에 살아있는 살아 않은가에 따라 크게 변화라고 생각 군요.
정말 그 사람을 소중히 소중히 생각한다면에요, 그것은 눈에 나와 있으니까요 제대로.

오늘은 꽃의 에피소드를 이야기 해 드리고하기도 했습니다만, 올해도 그래서 그야말로 정말, 꽃놀이하고 싶은데 든가, 가족과 함께 구경하고 싶다고 말하는 것을 생각하거나했지만, 역시 그것을 이루는 것은 어려운 것인지 거라고되었다 든가.
뭐, 아까도 직원 분과 이야기했습니다하더라도, 역시 작년 결혼되거나 올해 결혼되거나 다른 정말 결혼하는 분들 굉장히 많고,하지만 그런 분들의 이야기에 잘 오르는 께서 인사에 갈 수없는, 그래서 화상 통화 인사하거나든지 전화로 인사 든가라는 형태를 취할이거나, 뭐, 행복의보고이기 때문에 할아버지 할머니를 만나러 가고 싶구나라고 생각하고 도 할아버지 할머니를 만나러 갔을 때 자신이 할아버지 할머니 우울증 버리거나 뭔가 있으면 그야말로 이제 슬픔만으로는 끝나지 않는 만나러 가야겠다 좋았다 후회 밖에 남지 않는 음 그럼 자신은 집 에서 가만히 견디고 참아이 코로나가 끝날 때까지 열심히 생활 해 나가자라고 생각해도 좋아 움직이는 사람들이있는 가운데 만약 그 사람이 자신의 지역에 여행을 가서 할아버지 할머니에 뭔가있는 것 같은 행동 를 일으켰다면 어떻게 할까 라든가, 어쩐지 여러 가지 것을 생각하면 자신이 이렇게 참아 있는지 뭐야 일까 라든지 모두 여러가지 일을 생각하고 있지요라는 이야기를 조금하고 있었던 데요.
모두 정말 그렇네요.

그리고, 그리고 그이 요, 14 세의 코코가 준 데요

처음 뵙겠습니다
강훈 팬의 어머니의 권유로 1 월부터이 라디오 듣고 있습니다.
그리고, 십대 이십대 지금의 생각과 느낌을 모집하고있다 코너가 마음 FADERS 것으로 내 이름도 마음이들므로 연결을 느끼고 이메일하려고 생각했습니다.

라고주었습니다.

나는 4 월부터 중학교 3 학년이되었습니다.
동아리는 취주악 부에 들어 빠카스을 담당하고 있지만 코로나의 영향으로 대회가 없어 유감입니다.
연습이 조금씩 재개하고 있지만 목표가 없어서 아쉬운입니다.
그 밖에도 야외 학습이 중단되거나 수학 여행의 행선지가 바뀌어 버리거나하고 유감스러운 일이 계속되고 우울입니다.
그리고 마스크를해서 상대의 진짜 표정이 보이지 않기 때문에 마음의 거리를 느끼게됩니다.
빨리 코로나가 끝나고 친구들과 많이 놀고 싶습니다.
지금은 그것이 가장 재미입니다.

라고 써 준거야 14 세의 아이가 있네요.
그래서 이런 아이들을 위해서도 말이죠, 수는 역시 가득 있으니까.
그 수의 하나가 참을이라고도 생각 이예요.
그 모두가 빨리 상황이 좋아질 것 같은데 진심으로 움직여주지 않으면이 아이들이 더 힘들다니까.
어쩐지 정말 규칙 이랄까 제대로 정해 제대로합시다 의해 몹시 생각 버리는군요 이런 편지를 읽고있는과.
자신이 그 10 대 시절 이라든지, 뭐 이런 세계에 들어 운동회이나 수학 여행이나 그런 것을 일을 우선하여 이루지 못했고 사실은 이런 곳에 놀러 가고 싶다고 생각했지만 갈 아니 던지도했고, 뭐, 여러가지 시간을 10 대 보냈습니다.
그래서이 코로나 재난의 상황과는 조금 다르다고 그러나 실제로는 실현 된 데 이루지 못하거나 실현 싶은데 이루지 못하거나 그러한 같은 기분이 우울이되어 버린다거나 슬픈라고 생각 버리라고 같은 사람들 10 대 20 대 분들의 사회 초년생 분들이나 여러 분들이 계십니다 그러나 그런 분들의 마음에 똑 전부寄り添え있는 모르겠지만, 그래도 더 가까운 곳에서 그 마음이 아플 정도로 알라고 생각하고 이런 사람들의 하루 하루가 있네요 더 좋은 물건 더 밝은 것이되면 좋겠다라는 식으로 최대한의 것을하고 싶다고 생각하고 뭐 할거야 것이에요.
그리고, 그 속에서 음악을 쉽게 만들 수도 그렇고 아무튼이 라디오에서 다양한 이야기를 드릴 수도 그렇고, 그리고 지금 자신의 삶에서 견딜 수있는 것은 참기라고 참는 것도 그렇고 미미한 것일지도 모르다 정말 네요 나 혼자 뭔가해도 변함 없어요, 정말로.
하지만 나 같은 사람이 한사람이라도 많이 늘어난 가면 변해가는 것이니까 참아이나 인내라는 단어라고 부정적으로 들릴지도 모르지만 그러나 이것은 또 애정 생각 지구에 라든지 자신에 대해 자신 들에게 애정과 생각 인내거나 참을라는 것은 뭔가 많은 사람들이 계속 가면 좋은데라고 생각합니다.
역시 그들의 밝은 미래를주고도 할 일은하려고 해요라고 생각 합니다만, 그래.
이 라디오를 통해서도 그 다양한 이야기하겠습니다하면서 여러분 라구요 같은 기분이되어 하나가 조금이라도 고쳐 나갈 수 있도록 밝은 미래에 걸어 갈 수 있도록 여러분과 앞으로도 이야기시켜 주시면라고하는 식으로 생각하고 있습니다.
어 아직 청취자 여러분으로부터의 편지 기다리고 있습니다

이메일 분은 ~~~입니다.
아무쪼록 잘 부탁드립니다.

그러면 여러분 네요, 앞으로의 미래 그리고 지금이 조금이라도 네요 밝고되도록 강력한 것 부드럽게 강하게 닥치는 있도록하는 것으로 오늘은 "Super miracle journey"을 들으며 작별하고 싶습니다.
도모토 쯔요시와 Fashison & Music Book, 상대는 도모토 쯔요시였습니다.
그럼 여러분, 또 만나보세요.
안녕히 주무세요.




 ♪ Super miracle journey

Posted by se-tapir
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