Tsuyoshi  Domoto  202001003 堂本剛とFashion&MusicBook

Bay-fmをお聞きの皆さんこんばんは堂本剛です。

堂本剛とfashion&music book始まりました。

まずはですね、『かわっち』さんですが、剛さんこんばんは。

平安神宮の配信有難うございます。

コロナ禍で安全に配慮して下さるお気遣いとても嬉しく思います。

地球が元気を取り戻したら、またライブをいっぱいして下さい。

その時までいつまでも待っていようと思います。

お体お心ご自愛下さい。

空と心は繋がっていますよー。と、言って下さっています。

まあ平安神宮さん今年こういう状況ではありますが、お気持ち繋いで下さいまして、ご縁も頂きまして、ただやはり色々なことを想定しなければいけないので、諦めるという選択もあったのですが、是非という風に仰って下さいました。

そして、僕が日頃から思っている心であったり、言葉にする思いであったり、というものをそのまま沢山の人に届けて下さればとても幸せですと仰って下さいました。

なので、色々なことを慎重に考え、そして動かしながら、その日取りに向かって、日々を過ごし、リハーサルを重ねて、今回はその勿論いつもそうではあるんですけど、より一層という言い方がいいと思うんですが、参加して下さるミュージシャンの方々の思いというか、やはりこの同じテーマ、そもそも僕たちは生まれてそして死んでいくという同じストーリーを最初っから生きていますが、このコロナという状況コロナ禍という状況になった時代を生きることによって、同じテーマを生きているということにより気づいているのが、今の僕たちだと思うんですけど、そんな中でも色々な生き方意見というものがやっぱり主張されてしまって、コロナ禍なのに一つになれない一つになろうとしない誰かを責めたり、誰かに責められたり、そんなことが繰り広げられているなあなんて言う風に思う中で、沢山の業種の方々が本当に危機に追い込まれながら事業であったり文化カルチャーであったり歴史だったり、そういうものに幕を閉じなければならないというような人たちも本当に沢山いらっしゃって、でも僕たちエンターテイメントもそうなんですが、ミュージシャンの方々もそうだし、それをまた支えて下さるスタッフの方々、その方々の仕事の時間というものも、連動して一気に無くなってしまったという状況で、なので、そういう色々な経験を積み重ねながら、平安神宮さんの奉納演奏という日取りに向かって過ごし、その日をまた過ごして、そしてまたその日を後にするという、そしてまた未来を生きているという状況ですけれども。

そんな状況の中で、まあ今年お客様をお呼びするということも可能ではありましたが、やはりその本来の神事というかまつりごとといいますか、沢山の人達がいない状況の中で行うというその景色というものも今のこの世の中に放つメッセージの一つとして日本の文化というか日本人らしさとか、まあそういうものも感じ取って貰えるであろうし、やはり一番に安全というものを考えたいと思ったので参加する全ての人達は検査をして、で、大丈夫でしたということがあった後にお伺いするという形をとり、なのでいつも皆さんがいて下さってるスペースにステージを組んで、そして平安神宮さん全てのエリアを使わせて頂きながら本当に今年しか出来ないだろうという奉納演奏を皆さんにお届け出来たならなという思いで、平安神宮さんの本当に深い愛情というものを僕らは包まれながらの時間だったといういうこうをとても実感していまして、やはりこの表現するていうことを止めた時間が長かったわけですから、そこで、色々なことを学んだり傷ついたり喜びもあったり色んな事がある中で、過ごしてきていたわけですから、色んな思いをもって過ごしてきていたその果てに平安神宮さんの愛があって、その中に皆で飛び込んで包まれながら、色んな一人一人の思いをそこに捧げていくようなそんな奉納演奏になったんです。

なので、いつも以上にバンドメンバーの方々スタッフの方々に自分がこの期間どんな気持ちで過ごしてそしてどんな気持ちを今奉納する今の時代の悲しみも、怒りも喜びも愛も全部含めてどういう思いを表現したいかていうものを皆に問いかけて、それでみんなも皆もそれに答えてくれて、その色々な思いが詰まった詰まったとても大きい愛の時間だったなと思うんです。その大きい愛を更に大きく平安神宮さんに包んで頂けたからこそ、その時間が過ごせたなと本当に心より感謝申し上げます。はい、この後もですね、色々と頂いてるお便りを読まさせて頂こうと思っていますがまずはこちらEverybody say Love聞いてください。


Everybody say Love♪



堂本剛とfashion&music bookここで皆さんのメール紹介させて頂こうと思います。

えー今日はですね、海外今ちょっと海外いくにも大変な状況で今お仕事でね、この状況の中でも行かれる方だったり、或いは海外の方から日本にいらっしゃる方々だったり色んな方々いると思います。

そんな中で海外旅行の思い出というものを皆さんにちょっと送って頂きましたので、そちら紹介させて頂きたいと思います。

えー横浜の方ですね『まみこさん』ですが、私の海外の思い出は、主人と三十年前に新婚旅行で行ったカナダです。

その後二人の娘に恵まれて、偶然にも次女が三年前からカナダのトロントに留学しています。本当ならば娘は九月の初めから二週間ほど一時帰国の予定でしたがコロナ禍で日本に帰国することを諦めました。

その代わり娘は友達とその二週間の休みを利用し、トロントとバンクーバーの間を車で旅行することにしたと。それと娘から沢山の写真が届き始めてその沢山の写真の中にふと見覚えのある場所が。

気になったので30年ぶりに新婚旅行のアルバム開いたところ娘と同じ場所で記念撮影をしている私と主人の写真を発見してしまいました。

思わずびっくりでした。

この後娘から送られてきた写真をきっかけに30年の時を経て主人と一緒に自分たちのアルバムを見返し、薄れてしまった記憶を呼び戻しながら懐かしい思い出を語りました。

娘から送られた写真とも重ね合わせて再びカナダを旅行した気分も味わえました。

なんか不思議な巡り合わせですよね。と

んーなんかこういうもんですよね。なんかねー。

なんか分からへんけど、うまく説明出来ひんけど僕の人生でもこういうことていうのかな全く事柄が同じという意味では無くて不思議な巡り合わせですよねというものって、とても多いですよね。うん。

不思議ですよね。なんかこういうことって科学で証明するしないのこう・・うん色々なんかそういう論点でいくと小難しい話になってきたりするのかもしれないけど、うん・・でもなんか、あのいいなと思ったのは30年の時を経てご主人と一緒にアルバムを見返しながら話するみたいな幸せな時間やなあていいなって思いました。うん



そして、『ダンシングフラワー』さんです。ちょっといい話させてもらったというか聞かせて貰った後にいいラジオネームですね。

『ダンシングフラワー』さん懐かしいなあ、ダンシングフラワーって音鳴ったら動くやつですよね多分ね。あれ流行った時買ったけどずっと入れてると結局ちょっとしたことで動くから最初面白いんですけどね、だんだんイライラするからあの電源切られるという非常に可哀想な思い出しかないんですけれども。

大阪の方29歳の方ですけれども、八年前に留学していたということで、ホームステイをしていたんですが、朝ごはんは自分で作るシステムだったので、買ってくれているサンドイッチ用のパンを焼いて適当にバターとかを塗って食べたりシリアルを食べたりしていました。

正直そのパンの味が美味しいと思っていなかったし、シリアルも苦手だったんですが、ホームステイ先の方が用意してくれていたのでそれを食べていました。

食べることは大好きですが、その当時の朝ごはんはお腹を満たすための食事というようなものになっていたような気がします。

留学先の学校の長期休みの際に友達を訪ねるためにスペインを旅行に行きました。

その時に朝ごはんを食べる為に友達とお勧めのカフェに行って、クロワッサンにハムレタスチーズが挟まったものとバラキートという珈琲に練乳を入れた飲み物を飲みました。

えーそれを口に入れた瞬間めちゃくちゃ美味しくって美味しくって涙が目の奥から迫ってきたのを感じました。一口食べて無言で涙目になってる私を見た友達もびっくりしていましたが、食べ物を食べて泣くこと、しかも別に特別豪華なものでもないクロワッサンサンドイッチで、こんなに感動している自分に私が一番びっくりしました。

気付かないうちに美味しいとあまり感じないお腹を満たすためだけの食事をしていたことがストレスになっていたようで、無意識に閉じ込めていたそういう色んな思いが溢れたようです。

それからは朝ごはんだからと軽くみるのではなくて、手間がかかっても出来るだけちゃんと私が美味しいなと思えるものを食べようと意識するようになりました。

忙しくても適当な食事が続いてしまった時その時のことを思い出し、後にも先にも食べ物を食べて泣いたのはこの一回だけだなと感じている。と

泣いた衝撃と私にとって食べることは美味しいと感じることなんだなと気づかせてくれたあの時間を忘れることは無いと思います。と

んー・・なんかこう、それこそ食べ物で泣いちゃう感じって、なんやろなあその・・やっぱりこう愛情が欲しいなあとかね、愛って求めるものではないなあと思いながらもね、やっぱりこう傷ついたりもいっぱいするし、そんな中で愛情が欲しいなって思う瞬間とかもあって、だからあの家族になるべくご飯作ってって作って貰ってた時もあって、で、それをまたお弁当箱に入れて現場に持ってって食べてとかやったりして、で、まあ僕もお仕事の帰りが遅いから帰った頃には家族はいないんだけれども、でまたそのお弁当箱洗ってとか家で一人でしてて、で、冷蔵庫開けたら作ったのが取り置きされてて、そういうの見るとこうなんていうのかな涙が溢れてくるていうか泣くつもりも何にも無いのに、その愛情とかぬくもりの深みみたいなもの、そういうものを感じた時にやっぱり涙目になるなあみたいなこと多くて、うん、だから家族に作ってもらった愛情の詰まったご飯を食べるって凄い幸せなことだなあと思うし、今も本当に自炊して一人でただ食べているだけだから、よりそんな気持ちにはなるなあと思うのよ。部分はあるよね。だから地元の産地の奈良産のお米食べたりとか地元のものに触れてちょっとこう気持ちのバランスとってたりするのかなとも思うし。

食べ物とは全く違うけども、それこそ飼っていた愛犬が、ケンシロウが、初めて海を見た時のその景色凄く覚えてて、初めてなんか大海原というものを目の前にして、で、風に吹かれてぼうっと海見てるケンシロウとかを覚えてるんですけど。

だから海って同じようなシチュエーションに立つと、それを凄く思い出して、うーん・・ちょっとなんていうのかな(涙声)うん・・。ちょっとこう苦しくはなるけど、でもなんかそういう存在があるっていうことが、とても幸せなことだなと思うよね。うん・・。

だからこの経験も凄く、あの今後人生長い中で、色んな気持ちを教えてくれる経験の一つだなあと思う。

でね、この経験は、是非大切にされて欲しいなあと思います。



そしてね、最後にね『せば』さんなんですけど海外の思い出が幼い頃に住んでいたフィリピン。

母の国での、数年間ですと。

両親の仕事の都合で、母親とも父親とも離れて祖母に、育ててもらっていました。

言葉も通じない中、毎晩寂しくて泣いていたけれども、その度に優しく抱きしめられては安心感を覚えて眠りにつくという日々でした。と

向こうの学校に通っていく内に、言葉も覚えるようになり、馴染んでいき、周りの暖かさに支えてもらっていたなと今振り返ると思います。

日本に帰ってきてからは何年もフィリピンに帰ることが出来なくなりました。

しばらくぶりに帰ったのは育てていてくれた祖母が亡くなった数日後、それはもう沢山泣きました。

それが小学校三年生の時でした。

そして昨年、何十年かぶりにお墓参りに行けて小学生の時には感じる余裕も無かった祖母の気配をすぐそこに読み取る事が出来ました。

お墓の掃除をしていると、涙が溢れて止まりませんでした。

親族が集まって、元気してる?

やっほーとお墓を撫でながらフランクに口々に話しかけているのも日本とは違う文化で私にとっては大切な海外の思い出です。

立てた蝋燭の火が揺れて減りが早かったのはとても印象的でした。

色々あって酸いも甘いも経験しましたが、今も昔も変わらず、日本もフィリピンも私にとっては大切な国です。と

この一人一人の人間一人一人の人の中では、えー・・国が違えど、こんな風に、深い思いを持って、生きているていう。

こういうものなんだよなあって、なんかこう、しみじみ思うエピソードでもありましたね。

自分は日本の中ではありますけれどね。

奈良で生まれてね、で、若い時代に、ま、東京という所に、離れて行くわけなんですけど。

勿論奈良が大好きだけど、東京がまた自分を育ててくれた場所でもあるわけじゃないですか。

だからなんかこう・・うん・・それが国が変わって住んでいる人達とか文化とか何もかもが違うんだけれども、これだけ深い思いっていうものをひとは気付くことが出来るじゃないですか。だから本当にこのね今コロナという状況がある中で、よりその自分の住んでいる場所、住んでいない場所関係なくね柔らかい愛で繋がれたらいいのになあて思ったりするそんなエピソードでもあるし、うん、あの蝋燭の減りが早かったのは会いに来てくれたことをとても喜んでいはったからやろなって僕は思いました。うん。

たまたま風がめちゃめちゃ吹いててとかって言うことでもないと思います。だとしたら、火は消えていたと思うから、うん、本当に嬉しかったと思いますよ。うん。

会いに来てくれて。うーん・・有難うってね。それを表現することがね、蝋燭を早く減らすことによって気づいてくれるかなあってやらはったんやと思うんですよね。

だから気づけたんだと思うんですよね。うん。

とてもあのいい意味でね、胸がこう締め付けられるようなエピソードで、やはりこれだけあの愛する人愛する存在ていうものが、誰にもやはりあるわけでね、その誰にもあるという物語をみんなが深く理解出来たら、理解し合えたらね、色んな事はもっともっと無くなるのになあと思うそんなエピソードでもありました。

はい、えー今日はですね皆さんの海外の思い出というものを読まさせて頂きました。

うんまあ今はほんとにね世界で大変な状況の中ですから中々こう気軽に海外旅行行こうなんて行くことは出来ない国内旅行ですらもねなんかちょっとこう気軽にするのは難しいのかなと。まあどういう風に過ごしてどんな場所で過ごすかによってまた変わってくるんだろうなというところではありますけれども、やっぱりなんかこうそういう場所に行くと開放的な気持ちになっちゃうから、こうしたいああしたいどうしても出てきちゃうけど、それこそね、久しぶりに京都行けたなあと思ったから、んーこのお店行ってこのご飯食べたいな、こうしたいな、ああしたいな、色んな事あったけど、それも全部やめてすぐ帰ってきました。

うんまあなんかこう、ね、いずれにしましてもね、時間が経って、また前のように日常が戻って来るといいなとは思うけれども前のような日常ていうものが、しっかりと戻って来るのかというと、ちょっと分からないけど多分今のこの時代の流れにどれだけ順応していくかだと思うんですね。

慣れていくかていうか。

うん、でも今はほんと仕事でこうやって今一人で仕事してますけど、仕事で人と会えるっていうことが、まあ増えたんで、そこでバランスは取れてるけど、ずっと人と会ってないてなった時ちょっとしんどかったもんね。

うーん・・でもこのラジオだったりね、webだったりね、そういうところで、あの繋がってくれている人たちがいるんだというこの安心感とても救われたしね。

これからもだから、まあ色々なことがある時代だけど、まあ如何にバランス上手くとって乗りこなしていくかってことだと思うから、ま、このラジオ通してもね皆さんまた色々な胸の内聞かせて頂いて一緒になんかこう色んな気持ちを見つけるっていうか、あ、こんな風な気持ちで生きていればちょっとhappyかもねって前向きだねと、まあそういうようなこと色々とお互いに見つけられたらなあなんていう風に思っております。

まだまだ皆さんからの様々なメールを思っております。

メールの方は tsuyoshi@bayfm.co.jp です

どうぞよろしくお願い申し上げます。

さ、先月になりますけれどもね9/16からLove Fadersこちらの方もね、あのデジタル配信チェックまだされてないていう方ご興味ある方チェックされてみて下さい。

最新情報などがtsuyoshi.in   https://tsuyoshi.in/

こちらの方で最新情報などはチェックして頂ければなあという風に思っております。

さあそれでは、えー今日はこちらヒトツを聞きながらお別れしたいと思います。

堂本剛とfashion&music bookお相手は堂本剛でした。

それはでは皆さんまたお会いしましょう。

おやすみなさい



ヒトツ♪



Bay-fm을 듣고 계신 여러분 안녕하세요 도모토 쯔요시입니다.
도모토 쯔요시와 fashion & music book 시작되었습니다.
우선 네요 "かわち"씨입니다 만, 쯔요시 씨 안녕하세요.
헤이안 진구 배달 감사합니다.
코로나 재난 안전 배려 해 주시는 것이 걱정 매우 기쁘게 생각합니다.
지구가 건강을 되 찾으면, 또 라이브를 가득하십시오.
그 때까지 언제 까지나 기다리고 있으려고합니다.
몸의 소리 마음 자애주세요.
하늘과 마음이 연결되어 있네요. 는 말을 주시고 있습니다.
그럼 헤이안 진구 씨 올해 이런 상황에서는 있습니다 만, 기분 연결해 주셨습니다하여 인연도 받았습니다 단지 역시 다양한 것을 상정하지 않으면 안되기 때문에, 포기한다는 선택도있었습니다 만, 부디라는 바람 이 말씀 주셨습니다.
그리고 내가 평소에 생각하고 마음이거나 말 할 생각이거나이라는 것을 그대로 많은 사람에게 전해 주시면 정말 행복합니다라고 말씀 주셨습니다.
그래서 다양한 것을 신중하게 생각하고 움직이면서 그 기일을 향해 나날을 보내고 리허설을 거듭하여 이번에는 그 물론 항상 그렇지는 있습니다 만, 더욱라고하는 말투가 좋다고 생각 하지만, 참여 해 주시는 뮤지션 분들의 생각이라고 할까, 역시이 같은 주제, 원래 우리들은 태어나서 그리고 죽어 간다는 같은 스토리를 최초부터 살고 있습니다 만,이 코로나 상황 코로나 재난 상황에 이 시대를 살아가는하여 동일한 테마를 살아 있다는 것으로 인식하고있는 것이 지금의 우리들이라고 생각 합니다만, 그런 중에도 다양한 삶 의견이라는 것이 역시 주장되어 버리고, 코로나 재앙인데 하나가 될 수없는 하나가 되려하지 않는 사람을 비난하거나 다른 사람에게 책망하거나 그런 일이 벌어지고 있구나 뭐라고 바람에 생각에서 많은 업종의 분들이 정말 위기에 몰린 면서 사업이거나 문화 문화이거나 역사이거나 그러한 것을 막을해야한다라고하는 사람들도 정말 많이 오셔서하지만 우리들 엔터테인먼트도 그렇습니다 만, 뮤지션 분들도 ​​그렇고, 그것을 또한 지원 주시는 직원 분들, 그 분들의 작업 시간이라는 것도 연동하여 단번에 없어져 버린 상황에서이므로, 그러한 다양한 경험을 축적하면서 헤이안 진구 씨의 봉납 연주하는 날 취쪽으로 보내고, 그 날을 다시 보내고, 또한 그 날을 뒤로하는, 또한 미래를 살아있는 상황입니다 그러나.
그런 상황에서 뭐 올해 고객을 불러하는 것도 가능있었습니다 만, 역시 그 본래의 제사라고 할까 정이라고하여, 많은 사람들이없는 상황에서한다는 그 경치는 것 도 지금이 세상에 발하는 메시지의 하나로서 일본의 문화라고 할까 일본인 다움 이라든지, 뭐 그런 것도 느껴받을 것이며, 역시 가장 안전이라는 것을 생각하고 생각해서 참여하는 모든 사람들은 검사를하고, 그리고, 괜찮다고하는 것이 있은 후에 방문하는 형태를 취하고 그래서 항상 여러분이있어 주셨 기 공간에 무대를 짜고, 그리고 헤이안 진구 씨 모든 영역을 사용 하겠습니다하면서 정말 올해 밖에 할 수없는 것이라는 봉납 연주를 여러분에게 제공 할 수 있었다면라고하는 생각에서 헤이안 진구 씨 정말 깊은 애정이라는 것을 우리는 감싸면서 시간 이었다는 말한다 이렇게를 너무 실감했습니다, 역시이 표현하는 랄까 중지 시간이 길었다 것이기 때문에, 그래서 다양한 것을 배우고 손상되거나 기쁨도 있고 여러 가지가있다에서 지내온 있던 것이기 때문에, 여러 가지 생각 을 가지고 쓰셨 있던 그 끝에 헤이안 진구 씨의 사랑이 있고, 그 안에 모두가 뛰어 감싸면서 여러 사람의 생각을 거기에 헌신 해 나가는 그런 봉납 연주 되었어요.
그래서 평소보다 밴드 멤버 분들 직원들에게 자신이이 기간 어떤 기분으로 보내고 그리고 어떤 기분을 지금 봉납하는 시대의 슬픔도 분노도 기쁨도 사랑도 전부 포함해서 어떤 생각을 표현하고 싶다 또는 그보다 것을 모두에게 물어 그래서 여러분도 모두도에 반응하여주고, 그 다양한 생각이 담긴 찬 너무 큰 사랑의 시간이었다라고 생각합니다. 그 큰 사랑을 더욱 크게 헤이안 진구 씨에 싸서하실 수 있었기에 그 시간을 보낼 수 있었다라고 정말 진심으로 감사드립니다. 예,이 후에도군요 다양하게 받고있는 편지를 읽지하게頂こ려고하지만 우선 여기 Everybody say Love 들어요.

Everybody say Love ♪


도모토 쯔요시와 fashion & music book 여기에 여러분의 이메일 소개시켜頂こ하려고합니다.
어 오늘 은요, 해외 이제 좀 해외스러운도 힘든 상황에서 지금 일에있어,이 상황 속에서도 가시는 분이거나 혹은 해외로부터 일본에 계신 분들이거나 여러 분들 있다고 생각합니다 .
그런 중에 해외 여행의 추억이라는 것을 여러분에게 좀 보내 주셨습니다 그쪽 소개시켜 주셨으면합니다.
어 요코하마 분이군요 "마미코 씨"하지만 내 해외 추억은 남편과 서른 년 전에 신혼 여행으로 간 캐나다입니다.
그 후 두 딸을 축복 공교롭게도 둘째 딸이 몇 년 전부터 캐나다 토론토에 유학하고 있습니다. 진짜라면 딸은 구월의 처음부터 두 주일 정도 일시 귀국 예정 이었지만 코로나 재난으로 일본에 귀국을 포기했습니다.
대신 딸은 친구들과 이주 방학을 이용해 토론토와 밴쿠버 사이를 자동차로 여행하기로했다고. 그것 딸에게서 많은 사진이 닿기 시작하고 그 많은 사진 속에 문득 낯 익은 장소.
궁금했기 때문에 30 년 만에 신혼 여행 앨범 열 었는데 딸과 같은 장소에서 기념 촬영을하고있다 저와 남편의 사진을 발견하고 말았습니다.
무심코 놀라웠습니다.
이 후 딸로부터 보내져 온 사진을 계기로 30 년의 시간을 거쳐 남편과 함께 자신의 앨범을 이기고, 사라져 버린 기억을 불러하면서 추억을 이야기했습니다.
딸이 보낸 사진과도 겹쳐서 다시 캐나다를 여행 한 기분도 맛볼 수있었습니다.
어쩐지 이상한 돌아 맞춤군요. 와
응 어쩐지 이런 걸 지요. 어쩐지군요.
어쩐지 알 겠네 만, 잘 설명 할 수 안되게하지만 내 인생에서 이런 분을 말하는 것인지 전혀 일이 같은 뜻은없고 이상한 돌아 맞춤 네요이라는 물건은 매우 많지요. 응.
신기하네요. 어쩐지 이런 일이란 과학에서 증명하지 않는 이렇게 .. 그래 다양한 어쩐지 그러한 논점에 가면 까다로운 이야기가 나오거나하는지도 모르지만, 응 ·· 그렇지만 왠지あのいい라고 생각한 것은 30 년의 시간을 거쳐 남편과 함께 앨범을 이기고하면서 이야기하는 것 같은 행복한 시간 이네하고 좋다고 생각했습니다. 그래


그리고 '댄싱 플라워'씨입니다. 조금 괜찮은 이야기 해달라고했다고 알려주받은 후 좋은 라디오 네임 네요.
'댄싱 플라워'씨 그리운구나, 댄싱 플라워라고 소리 들리면 움직이는 녀석 이군요 아마 네요. 있는 유행했을 때 샀지 만 계속 넣고 있으면 결국 약간의 일로 움직이기 때문에 처음 재미있는 데요, 점점 좌절 때문에 그 전원 잘린다는 매우 불쌍한 추억 밖에 없습니다 그러나.
오사카 분 29 세인 사람입니다 만, 팔 년전에 유학하고 있던 것으로, 홈스테이를하고있었습니다 만, 아침 밥은 스스로 만드는 시스템 이었기 때문에 사준 샌드위치 용 빵 를 구워 적당히 버터 라든지을 발라 먹거나 시리얼을 먹거나하고있었습니다.
솔직히 그 빵의 맛이 맛있는 생각했고, 시리얼도 서툴었지만 홈스테이 것이 준비 해주고 있었으므로 그것을 먹고있었습니다.
먹는 것은 좋아하지만 그 당시의 아침 식사는 배를 채우기위한 식사라고하는 것이되어 있던 것 같은 생각이 듭니다.
해당 학교의 방학 때 친구를 방문하기 위해 스페인을 여행에갔습니다.
그때에 아침 밥을 먹고 위해 친구 추천 카페에 가서 크로와 햄 양상추 치즈가 낀 것과 바라키토는 커피에 연유를 넣은 음료를 마 셨습니다.
어 그것을 입에 넣는 순간 엄청 맛있고 맛있고 눈물이 눈의 안쪽에서 다가온 것을 느꼈다. 한입 먹고 조용히 눈물이있는 나를 본 친구도 놀라고있었습니다 만, 음식을 먹고 우는 것, 게다가 별도로 특별 화려한 것도 아니다 크루아상 샌드위치에서 이렇게 감동하고있는 자신을 내 이 가장 놀랐습니다.
모르는 사이에 맛있는 그다지 느끼지 않는다 배를 충족하기 만 식사를하고 있었던 것이 스트레스가되어 있었던 것 무의식적으로 갇혀 있던 그런 여러 가지 생각이 넘치는 것 같습니다.
그리고는 아침 밥 이니 가볍게 보는 것이 아니라, 시간이 걸리더라도 가능한 한 잘 내가 맛있는라고 생각되는 것을 먹으려 고 인식하게되었습니다.
바빠도 적당한 식사를 따랐다 그때를 생각해 나중에 전에도 음식을 먹고 운 것은이 한 번 뿐이다라고 느끼고있다. 하면
울고 충격과 나를 위해 먹는 것은 맛있다고 느끼는 것이구나라고 깨닫게 해 준 그 시간을 잊을 수 없다고 생각합니다. 와
응 .. 어쩐지 이렇게 그야말로 음식 울어 느낌은, 뭐랄까구나 그 .. 역시 이렇게 애정이 원하는 안되 라던가 요, 사랑이란 요구하는 것은 없다라고 생각하면서도 네요, 역시 이렇게 상처 도 가득하는, 그런 속에서 애정이 갖고 싶다라고 생각하는 순간 이라든지도 있고, 그래서 그 가족이되도록 밥 만들어라고 만들어 받고 있었던 때도 있고, 그리고, 그것을 다시 도시락 넣어 현장에 가져 줘 먹고 라든지도하고, 그리고, 뭐 나도 일의 귀가가 늦기 때문에 돌아 무렵에는 가족은 아니에요 그러나,에서 또한 그 도시락 씻어거나 집 에서 혼자서하고있어, 그리고, 냉장고 열면 만든 것이 남겨두고되어있어, 그러한 보면 이렇게 뭐라고 일까 눈물이 흘러 넘쳐 오는 랄까 울 생각도 아무것도 없는데 그 애정이나 온기 깊이 같은 것, 그런 것을 느낄 때 역시 눈물이 될구나 같은 거 많아서 그래, 그래서 가족에게 만들어 준 애정 담긴 밥을 먹을 굉장 행복한 일 인 것 같다 하고 지금도 정말 취사 혼자 그냥 먹어 뿐이니까 더 그런 기분은 될 듯하거야. 부분은 있지요. 그래서 지역 산지의 나라에서 생산 된 쌀 먹고 라든지 지역 물체를 만져 조금 이렇게 마음의 밸런스를 잡고 할 것인지도 생각합니다.
음식과는 전혀 다른도, 그야말로 기르던 애견이 켄시로가 처음으로 바다를봤을 때의 그 경치 굉장히 기억하고있어, 처음 어쩐지 넓은 바다라는 것을 눈앞하고에서 바람에 불 쓰는 멍하니 바다보고있는 켄시로 라든지 기억하고 있습니다 만.
그래서 바다라는 유사한 상황에 서서 그것을 굉장히 기억, 음 .. 좀 뭐라고 일까 (울먹) 응 ··. 조금 이렇게 괴로워은되지만, 그래도 어쩐지 그런 존재가있다라는 것이 아주 행복한 일이라고 생각 하지요. 응 ··.
그래서이 경험도 굉장히 그 앞으로 인생 긴에서 여러 가지 감정을 가르쳐주는 경험 중 하나구나 싶다.
에서 말이죠,이 경험은 꼭 소중히했으면 좋겠다라고 생각합니다.


그리고 네요 마지막에 말이야 "세바"씨입니다 만 해외의 추억이 어린 시절에 살던 필리핀.
어머니의 나라에서 몇 년간이며.
부모님의 일 때문에 어머니도 아버지도 떨어져 할머니에게 길러주고있었습니다.
말도 통하지 않는 가운데 매일 밤 외로워 울고 있었지만 그때마다 부드럽게 안겨 안전감을 기억 잠들라는 나날이었습니다. 로
건너 학교에 다니고가는 동안에 말도 기억하게되고 익숙해 져 있고, 주위의 온정에 힘주고 있었다라고 지금 되돌아 생각합니다.
일본에 돌아오고 나서 몇 년 동안 필리핀에 돌아갈 수 없게되었습니다.
오랜만에 돌아간 것은 키워 준 할머니가 돌아가신 며칠 후, 또 많이 울었습니다.
그것은 초등학교 3 학년 때였습니다.
그리고 지난해 수십 년 머리에 성묘를가는 초등학생 때 느낄 여유도 없었던 할머니의 기색을 바로 거기에 읽을 수있었습니다.
무덤 청소를하고, 눈물이 흘러 멈추지 않았습니다.
친족들이 모여 건강하고있어?
야호와 무덤을 어루 만지면서 솔직하게 각자에게 말을하고있는 일본과는 다른 문화에서 나를 위해 중요한 해외의 추억입니다.
세운 촛불이 흔들리고 감소가 빨랐다는 매우 인상적이었습니다.
여러가지있어 수이도 달콤한도 경험했지만, 예나 지금이나 변함없이 일본도 필리핀도 나를 위해 중요한 나라입니다. 와
이 한사람 한사람의 인간 한 사람 한 사람 중에서는, 어 .. 국가가 달라도, 이렇게 깊은 생각을 가지고 살아 랄까.
이런 것 같은 것이어요라고, 어쩐지 이렇게 절실히 생각 에피소드이기도 했어요.
자신은 일본에서는 있습니다 만하네요.
나라에서 태어주세요, 그리고, 젊은 시절에, 뭐, 도쿄라는 곳에 사라질 것 인데요.
물론 나라 사랑하지만 도쿄가 다시 자신을 키워 준 곳이기도 한 것 아닙니까.
그래서 뭐 이렇게 .. 그래 .. 그것이 국가가 바뀌어 주민들 라든지 문화 라든지 모두가 다르다고하더라도, 이만큼 깊은 생각이라는 것을 사람은 알 수있는 거 잖아요. 그래서 정말 네요 지금 코로나하는 상황이있는 가운데,보다 그 자신이 살고있는 장소 살지 않는 위치 관계 없지 않아 부드러운 사랑으로 연결 됐으면 좋겠어하고 생각하는 그런 에피소드이기도하고, 응 그 초 감소가 빨랐다는 찾아와 준 것을 매우 기쁘게 생각はっ때문 이겠지지고 나는 생각했습니다. 응.
우연히 바람이 엄청 불고있어 라던가 말할 수 없다고 생각합니다. 그렇다면 불은 꺼져 있었다고 생각하기 때문에, 응, 정말 기뻤다라고 생각 해요. 응.
만나러 와줘서. 음 .. 고맙습니다라고하네요. 그것을 표현하는 것이군요, 초를 빨리 줄여 눈치주는 걸까라고 당해はっ한 응이나 생각 이예요.
그래서주의했다라고 생각하네요. 응.
아주 그 좋은 의미 로요 가슴이 이렇게 조이거나 에피소드에서 역시 그냥 그 사랑하는 사람 사랑하는 존재라고 말하는 것이 누구에게도 역시있는 것이군요 그 누구에게도 있다는 이야기를 모두가 깊이 이해할 수 일단理解し合え경우군요, 여러가지 일이 점점 더 없어지는 데라고 생각 그런 에피소드도있었습니다.
네, 네 - 오늘 은요 여러분의 해외 추억이라는 것을 읽지하게 받았습니다.
그래 그럼 이제 정말 이군요 세계에서 힘든 상황이기 때문에 중간 중간 이렇게 부담없이 해외 여행 가자 니 갈 수없는 국내 여행조차도군요 어쩐지 조금 이렇게 부담하는 것은 어려운 것인지와. 그럼 어떤 식으로 보내고 어떤 장소에서 보내는 따라 또 달라진다 겠지라고하는 곳이 있습니다 만, 역시 뭔가 이렇게 그런 곳에 가서 개방적인 기분이되어 버리니까, 이렇게하고 싶다 아하고 싶은 아무래도 나와 버리지 만 그야말로 네요 오랜만에 교토 갈 수 있었다라고 생각했기 때문에 응이 가게하고이 밥 먹고 싶은데 이렇게하고 싶은데, 아하고 싶은데, 여러가지 일 있었지만, 그것도 전부 그만두고 빨리 돌아 왔습니다 .
うんまあ어쩐지 이렇게, 네, 머지 않아도 말이죠, 시간이 지나고, 또 예전처럼 일상이 돌아 오면 좋다고는 생각하지만 이전과 같은 일상라고 말하는 것이 단단히 돌아올 것인가 라고하면 조금 모르겠지만 아마 지금이 시대의 흐름에 얼마나 순응 해 나갈 것인가라고 생각합니다.
익숙해 갈까 랄까.
그래,하지만 지금은 정말 직장에서 이렇게 지금 혼자 작업하고 있습니다 만, 직장에서 사람들과 만날 수라는 것이 뭐 증가했기 때문에, 그래서 균형 잡힌 있지만, 계속 사람과 만나지 않는 해가 때 좀 힘들었 네요.
음 .. 이건이 라디오이거나군요, web이거나 네요, 그런 곳에서 그 연결 해주고있는 사람들이 있구나라는이 안정감 매우 구원받은 하구요.
앞으로도니까, 뭐 다양한 수있는 시대이지만, 그럼 어떻게 균형 잘 잡아 해내 간다 제멋대로라고 생각 때문에, 뭐,이 라디오 통해서도 네요 여러분 또한 다양한 속마음 들려 주시고 함께 에 어쩐지 이렇게 여러 가지 감정을 찾을 할까, 아, 이렇게 마음으로 살면 좀 happy일지도라는 긍정적구나라고, 뭐 그런 같은 것을 다양하게 서로 찾을 수 있었으면 좋겠다라고하는 바람에 생각 있습니다.
아직도 여러분의 다양한 편지 생각합니다.
이메일 분은 tsuyoshi@bayfm.co.jp입니다
잘 부탁드립니다.
된 지난달가 되겠지만 네요 9/16에서 Love Faders 이쪽도 요, 그 디지털 전송 체크 아직되지 않은 그보다 더 관심있는 분 체크되어보세요.
최신 정보 등이 tsuyoshi.in https://tsuyoshi.in/
이쪽에서 최신 정보 등은 체크하여 주시면 좋겠다라는 식으로 생각하고 있습니다.
자 그럼, 어 오늘은 여기 히를 들으며 작별하고 싶습니다.
도모토 쯔요시와 fashion & music book 상대는 도모토 쯔요시였습니다.
그것은에서 여러분 또 만나요입니다.
안녕히 주무세요


히토츠 ♪


Posted by se-tapir
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