bayFMをお聞きの皆さん、こんばんは。堂本剛です。堂本剛と Fashion& Music Book 始まりました。
先日、3月11日、がですね、東日本大震災から10年という月日が経ちました。2011年の、平成23年ですね、3月の11日に東日本大震災がありました。それからもう10年が経ちました。
あの日からほんとに、変わったものがたくさんありますし、あの時、10年後の日本で世界がこのような状況になるということは予想もできなかったなという風にも感じます。あの頃は、そうですね、自分は、日本の古き良き人の心の文化であったり、あるいはその人の心以外の文化であったり、あるいはその、昔のいにしえのテクノロジー、そういうようなものに非常に気持ちが高ぶっていた時でしたので、「縁を結いて」いう楽曲を制作し、リリースするという運びで動いていた、そんな時期でした。なので、自分とってはすごく、心の奥深くで衝撃的だった時ですし、自分が今できることとはなんなんだろうっていうことをものすごく考えました。
音楽でもそうですし、そしてお笑いイベントでもそうですが、東北地方に足を運ばさせて頂いて、皆さん少しでも勇気づけたり元気付けたりできたらいいなっていうふうに思いながら、自分が出来る限りのことをやらさせていただきました。それから月日がずっとたっていく中で、このコロナ時代に入るまでもそうですけれども、皆さんの生活というものが今どんな風になっているんだろうなとか、どんなお気持ちで過ごされているのかなとか、空を見上げながら、思いをつなげた夜も朝も昼もたくさんありました。こういう立場の中で、関わることが、相手にとってご迷惑に当たる場合もあるから、思いが強ければ強いほど色々と考え、踏みとどまってしまうものでもあるなという感じで過ごしてきました。で、やはりその、東北だけではなくてね、災害でふるさとの傷とともに、今も必死に愛を持って生きてらっしゃる方がたくさんこの日本にいますから、だから、自分の故郷ではないからとかそういう次元ではやっぱなくて、皆さんそうだと思いますけど、やっぱりこう、そこに対して自分ができること、で僕はやっぱり、音楽を作るっていうことが一番できることなので、その方々がそういう経験をされてる方々に届かなかったとしても、その方々にも向けて、曲は書いていますから、その思いの中で生きてらっしゃる方々は、たまたま僕の音楽を聴いてくださった時に、深くつながれるようにと思って音楽はずっと作ってます。
言葉ってすごく難しいから、自分が経験していないことを、経験されている方々に対してお伝えするってすごく難しいですよね、人は。でも本当に、そういう気持ちを自分が持っているということを、聞いてくださってる方には、お伝えできたらなと思って、今色々お話しさせて頂きました。
本当に、ここにだけ意識を持っていくとかじゃなくて、全体に意識を持って、その歴史や時間というものを包み込んでいく、そういう自分であれたらなと思いますし、また、本当にいろんな方々からお便りいただいて、このラジオは続いていますので、この10年経って、今思うこと、こんなふうに思うなーとか、皆さんのお気持ちを綴っていただけたら、このラジオを聴いてくださっている日本の方々に、海外の方々に、いろんな気持ちをお伝えすることもできると思いますので、皆さんもお伝えしていただける範囲で構いませんので、またお気持ち綴っていただき、ラジオまで送って頂けたらなというふうに思っております。皆さん、このコロナ時代という状況の中で、すべてが同じ気持ちではないですけれども同じ時代を生きています。ね、みんな一緒に乗り越えていきましょう。そしてポジティブに明るい光に向かって、きらめきに向かって皆で一緒に歩いていけたらなーっていう風に思います。また皆さん是非お気持ちを綴っていただきたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
先ほど話にも出させていただきました、10年前は本当に自分の故郷を通して日本のことを考えたり、日本人とはということを考えて色々なことを考えて生活していました。そんな中でふとできた曲、「縁を結いて」という曲があります。これは自分の故郷の、自分の大好きな
神社さんの境内でパソコン開いて書かせていただいた曲です。そこで書く予定もなかったんですが、そういう風な運びに自然となって、舞い降りてきた感覚を受けた、そういう楽曲です。すごく不思議な体験をしましたけれども、初めて聞かれる方にとっても、何か今のこの時代だからこそ、この曲を通して感じていただく自分の声みたいなものもあるかもしれません。心を無にして聞いていただければなという風に思います。すべての方々へ愛をこめてですね、こちらの楽曲、「縁を結いて」聞いてください。

♪縁を結いて

堂本剛と Fashion & Music Book ここではですね、今日は「故郷を思い出す瞬間」ということで皆さんにお便り送っていただきました。
僕がどんな時に故郷を思い出しますかと、まあ満天の星空とか夜空ですかね。見上げた時に地元で見上げた、ふるさと思い出しますね。そしてあとは山々ですかね。盆地に囲まれたような場所を走っていたり、お仕事とかで車窓を覗きながら、なんか地元みたいやなあ、地元帰りたいなーと、地元の空気吸いたいなーと、そんなこと思ったりは、やっぱりしますね。あとは、やはり、神社さんお寺さんも多いエリアなので、そういう場所に行くと、思い出しますかね。いずれにしましても僕の中ではすごく、ふるさとが大きい存在ですので、皆さんもそうだと思うんですけどね、自分はそうじゃないなーって人ももちろんいらっしゃると思いますけれども、僕も年を重ねて重ねて、いけばいくほど、そうゆう強烈な気持ちにたどり着いたというのが正直なところでありますけれどもね。でもやはり故郷があったから今の自分があるというその感謝っていうものは、1日たりとも忘れることはなく生きているというのは僕にとってその故郷ですね。

そしてラジオネーム・みーさんからですけれども、
「土曜の夜に子供たちを寝かしつけた後の楽しみと癒しの時間として聞いています」
ということで、ありがとうございます。
「私は大阪出身で神奈川に在住しております。就職で関東に単身引越して、そのままこちらで結婚しました。若い頃は故郷に対して思うことより、今の生活に慣れることが精一杯で、あんまり思い出す瞬間はありませんでした。結婚する直前、実家でご飯を食べながら、母が『あと何回一緒にご飯食べることができるんだろうね』と言った時に、離れている寂しさ、これからも気軽にすぐに行ける距離ではない場所に住むこわさ、嫁ぎ先が遠方である申し訳なさなどが襲ってきたのか、ご飯を食べながら号泣した思い出があります。母は別に私を悲しませようとか思っていたのではなく何気なく思いを口にしたようで、号泣する私を見ながら『何泣いてんねん』と笑いながら抱きしめてくれました。その時の母の温もりは今でも覚えています。この寒い時期、晩御飯のメニューがハンバーグのとき、故郷を思い出す瞬間でもあります。子供たちがおり、我が家はハンバーグの頻度が高いので、思い出さない日もありますが、あの日のメニューだったハンバーグと寒い冬が重なる瞬間、故郷を思い出します」と。
お母さんもね、嬉しい気持ちと寂しい気持ちなんやろなーって、このお便りの中にはそういった心情がやっぱり染み込んでいますね。自分がこういう立場だったら、泣いている子供見て、笑って抱きしめることは無理やなーって思ったりね。
やっぱり僕もね、「あんたとの桜、何回見れるのかな」って言われた時に、もう、苦しかったですもんね。「ああ、なんかそんな気持ちでいるんや」って、すっごい苦しかったの覚えてるもんね。なんか、ね、やっぱ、こう…。切ないよね、そういうのってね。でもそういう感情を、若いうちに理解するっていうことはとても大切なことでもあるのかなあとか思うし、もちろん、いつそういう感情を経験するってのは人それぞれだと思うけれども、早く、その人の立場になって、自分が、その人の立場に立ってようやく気づくのではなくて、その人の立場に立つ前に、早い段階で、その気持ちに気づいてあげることができたら、その人を少しでも理解してあげる時間が増えるということだし、やさしい気持ちでお互い過ごせるのになと思ったりするから、もう一生懸命必死に若い頃から、お母さんとお父さんの気持ちとか、お姉ちゃんの気持ちとか、こんな風なのかなあんな風なのかなってことを一生懸命考えて生きてきてるけど、でも自分がやっぱり 本人じゃないから、すべてが同じ気持ちじゃないなあって、一瞬諦めてしまいそうになるけど、諦めるよりはその気持ちに立とうと思って、生き続けることのほうがいいなと思って、今もずっとそういう風にして生きてきてますけれどもね。こういう家族がくれた言葉っていうものは本当に、いつまでも大切なものだなと思います。皆さんも色々あると思いますけれども、そういうお言葉はね、本当に大切にして生きてくださいね。

そして16歳の青リンゴさんですが、
「私は16年間の間、小1の時の半年間を除いてずっと千葉に住んでいます。本来千葉ことを書かなければいけないのでしょうが、小1の時に半年だけ住んでいた大阪について書きたいなと思います。私が大阪を思い出すのは、ソフトクリームとわらび餅を食べる時です。大阪で住んでいたマンションの前には毎日『ソフトクリーム』『わらび餅』とアナウンスをしながら通り過ぎる販売車が来ていました。住んでいた半年間の間では母に止められていて、ソフトクリームもわらび餅も食べられなかったのが大阪での心残りのひとつです。千葉に戻って以来大阪へは行けていないので、今度行った時にはソフトクリームかわらび餅を食べたいです。」
ああ、なんか良い思い出ですね。その当時は「食べたらあかんよ」とか、なんか色々理由があったんでしょうね。止められてて。でもすごく、あの、なんていうのかな、感性が素敵だなと思ったけど、本当に、千葉の方がずっと住んでるから、千葉こと書かなきゃいけないと思うんだけれども、その半年間の間だけ経験した大阪の話を書きますって、なんか詩的というか詩人っていうか、クリエイターって言うか、なんかすごいなと思って。すごくほっこりして、いいお便りだったなーって思います。今はこういう状況だからなかなか遠方に行くっていうことはできないかもしれないけど、ぜひ大阪へ行った時にはね、ソフトクリームかわらび餅食べてください。それかもう、ソフトクリームとわらび餅を買ってソフトクリームの上にわらび餅を乗せて「ソフトクリームわらび餅」を作って食べてほしいなという風にも思っております。ていうか僕が今食べたいなと思っています。

中国のウェイウェイさんです。30歳の方ですが、最近冬に夜空を見上げ満天の星を見てふっと故郷を思い出しました。私にとっての故郷はおばあちゃんと一緒に星空を見た時の故郷です。私は子供の時おばあちゃんと一緒に田舎で過ごしてきたので、その時の星空を思い出しました。一番光っている星があるので、その星がおばあちゃんかなと勝手に思っています。30年経った今頃になっても一度子供の時に戻りたいなという風に思いました。
やっぱり「空」って、あの、その国特有の空っていうものはもちろんあるんですよね、気温とかによってね、もちろんあると思うんですけれども、「空」って同じといえば同じじゃないですか。で、星座は特に、この国でも見れるしあの国でも見えるし、というもので、星座っていうのはなんかそういう、どことも繋がってるっていう印象を与えてくれるもので、だから海外で、なんかこう星空見た時とかも、奈良思い出してたもんな。奈良でこの星見たなーとか、この星座見たなーとか、今思い出すだけでまたちょっとキュンキュンしてしゃーないんですけど。なんかそうやなあ、星空って、すごいロマンあるよね。自分は宇宙に行ったことないけど、これから本当に宇宙に行く時代、簡単に宇宙に行く時代みたいなものも出来てくるのかな? わからないけど、ね、そんな未来が、あっという間に来そうな気もするし、すごく不思議な感覚で今を生きておりますけれども。でも皆さんのこういう、あの人間らしい、人らしいお便りを読ませていただくと、まあちょっと安心てかほっこりするね。こういう、大変な今だからこそ、こういう昔話に、また戻ることで、ネガティブになるんじゃなくって、またそこに戻ることでポジティブな気持ちっていうものも、なんか置いてきてるのもあったりする気がするな。それをまた取りに行ったりしながら、未来につなげていくっていうことも、やっぱあるよなって。戻ることで未来を見ることってやっぱりすごくできるんだなっていうふうにも、なんか思いました。

皆さんに今日ですね、さまざまなメール頂きましたんで、またたくさんの気づきいただきました。ありがとうございました。そして東日本大震災から10年経った今、そしてこのコロナ時代に入っている今、東日本の方で生活されている方々の中で自分はこんな風な気持ちで今過ごしているとか、あるいはこんな気持ちを日本のあるいは世界の皆さんに知ってもらいたいとか、そういうお気持ちがありましたらぜひ、綴って送っていただけたらいいなという風にも思っております。やっぱりこう、その場にいないことで気づけない痛み悲しみもあると思います。この気持ちをみなさんと共有できたらなぁ、こんな風な思いが伝わればいいなということがありましたら是非、送っていただければなという風に思います。もちろんさまざまお便り募集しておりますので、本当にご自身の想い、何でも構いませんので綴っていただければなという風に思っております。

メールの方は 
 ~~です。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

最後にマイコロさんから頂きましたおたより読まさせてください。
「剛君こんばんは。いつも医療者に目と耳を傾けてくださってありがとうございます。剛くんが寄り添ってくれていること、いつも心の支えにして毎日頑張れています。仕事帰りにはいつも空を見上げてから帰ることが習慣になりました。剛くんが今できること自分も周りもたいせつにしようと発信してくれることで、それを聞いている方々の意識が変わるし、それによって救われている命が必ずあると思います。
 私は保険所に勤務しており、今まさに医療が逼迫している影響で受診できない入院できない方とお話する機会もあります。コロナが流行しだしてから、できないことを何度も強く要求されることが、すごく心が疲れます。だけど、そんな時には「I'm you You're me」をいつも聞くことで寄り添うことの大切さこの仕事を志した頃の初心を思い返すことができています。正しい知識を身につけて今起きている現状を冷静に見つめ、コロナ禍で不安を抱えておられる方の、肩の荷を少しでも一緒に背負っていけるよう、おひとりおひとりとの関わりを丁寧に、大切にし、わたくし自身成長していきたいと思います。
 いつも本当にありがとうございます。まだ先は長いですが、少しでもどなたかのお力になれるように、日々頑張っていきたいと思います。」
お気持ち綴って頂いております。この方がまっすぐなんだなーって感じられたのが、「でき
ないことを何度も強く要求されることにすごく心が疲れます」というフレーズを綴ってらっしゃるところが、印象的でした。言葉を考えすぎることもないと思うし、やっぱりみんな、頑張ってるんですよね。そんな中でこの態度はこうでああでっていうことではもうないんです、今の時代ね。人間だから、同じこと強く何度も要求された時に、それに受け答えできないなっていう自分の悔しさとか、それに対して「いや、無理なんです」って言っても、「え、なんで」って、ずっとそりゃ聞かれ続けたら誰だって疲れますよね。僕が今言いたかったのは、このマイコロさんの、こういう時間を過ごしているんだっていうことを伝えてくれることが、また僕が今後頑張れるひとつの理由になっていますよっていうことをお伝えしたかったんです。
とにかくマイコロさんもね、お体ご自愛しながら、マイコロさんを必要としてる人たちがやっぱりたくさんいるんでね。それをプレッシャーに感じすぎずにね、自分が、このつながる一人一人のために頑張って生きていくぞって自分として生きていこうと優しく強く生きていくぞっていうふうに、それをモットーに生活して、ちょっと疲れたなと思ったら「I'm you You're me」聞いてもらってもいいし、しょうもないFUNK聞いてもらってもいいですしね、なんかいろいろ肩の力を抜きながら、「がんばってください」って頑張ってる人にのがすごく嫌いなので、マイコロさんらしく自分らしくその瞬間瞬間を強く優しく生きて欲しいなって、僕もそうしてますよって、そういうメッセージ送りたいと思います。とにもかくにも本当に、お体ご自愛しながら、ぜひ、こんな時間を過ごす事ってなかなかないことだし、今後あってほしくないなとも思うけれども、でもこういう状況の中でこういう思いと思いがつながったということもありますからね、このご縁も大切にしたいなと思います。何度も繰り返しになりますが、マイコロさんも本当にお体ご自愛ください。僕も自分自身も身体気をつけながら優しく強く自分らしく生きたいと思っております。
それではですね、このコロナ時代、皆さんほんとに繰り返しになりますが、いろいろなお気持ちに立ってらっしゃると思います。そして東北の東日本大震災から10年が経っております。この日本ではですね、そしていま世界では、たくさんの人々が悲しみ痛みと共に生きてらっしゃいます。そのみなさんの、すべての時間を変えられることはできないかもしれませんが、そのすべての皆さんの思いに寄り添う気持ちを真っ直ぐに、この曲お届けしたいと思っております。今夜は「I'm you You're me」を聴きながらお別れです。

堂本剛と Fashion & Music Book、お相手は堂本剛でした。
それでは皆さんまたお会いしましょう。おやすみなさい。

♪I'm you You're me

 

bayFM을 듣고 계신 여러분, 안녕하세요. 도모토 쯔요시입니다. 도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book 시작되었습니다.
얼마 전 3 월 11 일이군요, 동일본 대지진으로부터 10 년이라는 세월이 지났습니다. 2011 년 2011 년 이군요, 3 월 11 일 동일본 대지진이있었습니다. 그리고 또 10 년이 지났습니다.
그 날부터 정말 달라진 것이 많이 있고, 그때 10 년 후 일본에서 세계가 이런 상황이된다는 것은 예상도 못한 말라는 식으로도 느낍니다. 그때는 그렇지 자신은 일본의 옛 사람의 마음의 문화이거나, 혹은 그 사람의 마음이 아닌 문화이거나 또는 그 옛날 과거의 기술, 그러한 것들에 매우 마음이 교만 때였으므로, '인연을 두레하고 "라는 곡을 제작 해 선보인다는 운반로 움직이고 있었다, 그런시기였습니다. 그래서 자신에게는 굉장히 마음 속 깊이에서 충격적이었다 때입니다, 자신이 지금 할 수는 무엇 일까라는 것을 굉장히 생각했습니다.
음악도 그렇고, 그리고 코메디 이벤트도 합니다만, 동북 지방을 방문 할 필요하게 받고 여러분 조금이라도 격려하고 건강 붙이거나 할 수 있으면 좋겠다라는 식으로 생각하면서, 자신이 할 수있는 최선을 당해하게했습니다. 그리고 세월이 오래지나 가면서이 코로나 시대에 들어갈 때까지도 그렇습니다 만, 여러분의 생활이라는 것이 지금 어떤 바람이되어있는 것일까 라든지, 어떤 기분으로 보내지고있는 것일까 라든지 하늘을 바라보며 생각을 연결 한 밤도 아침도 낮도 많이있었습니다. 이런 입장에서 관여 할 상대에게 폐에 해당하는 경우도 있기 때문에 생각이 강하면 강할수록 다양하게 생각하고踏みとどまっ버리는 것이기도하다라는 느낌으로 보냈습니다. 그리고, 역시 그 동북뿐만 아니라주세요 재해로 고향의 상처와 함께 지금도 필사적으로 사랑을 가지고 살아 계시는 분들이 많은이 일본에 있기 때문에, 그래서 자신의 고향이 아니기 때문에 라든지 그러한 차원이 역시없고, 여러분 그렇다고 생각 합니다만, 역시 이렇게 거기에 자신이있는 것,에서 나는 역시 음악을 만들라고하는 것이 제일있는 것이므로, 그 분들이 그런 경험을하고있는 분들 에 닿지 않았더라도 그 분들에게도 향해 노래는 쓰고 있기 때문에, 그 생각 속에서 살아 계시는 분들은 우연히 내 음악을 듣고 주신 때 깊이 연결되도록 생각て음악은 계속 만들고 있습니다.
말 몹시 어려우 니 자신이 경험하지 않은 것을 경험되는 분들에 전하는 몹시 어렵 네요 사람은. 하지만 정말 그런 마음을 자신이 가지고 있다는 것을 듣고 주시고있는 분들은 전할 수 있으면라고 생각하고, 지금 여러가지 이야기 해 주셨습니다.
정말 여기에만 의식을 가지고 간다 든가 아니고, 전체 의식을 가지고, 그 역사와 시간이라는 것을 감싸 나가는, 그런 자신이든 있으면라고 생각하고, 또한 정말 다양한 분들 편지 주시고,이 라디오는 계속되고 있기 때문에,이 10 년이 지난 지금 생각하는 이런 식으로 생각 말아라든지, 여러분의 마음을 쓰고 주시면이 라디오를 듣고 주시고있는 일본 분들에게 해외 분들에게 여러가지 감정을 전하는 수도 있다고 생각하기 때문에, 여러분도 전해 주실 범위에 상관하지 않으므로, 또한 기분 써 주시고, 라디오까지 보내 주시면라고하는 식으로 생각 봐. 여러분이 코로나 시대 상황 속에서 모두가 같은 마음으로하지 않습니다 그러나 같은 시대를 살고 있습니다. 네, 모두 함께 극복 해 나갑시다. 그리고 적극적으로 밝은 빛을 향해 반짝임을 향해 모두 함께 걸어 갈 수 있으면구나라는 식으로 생각합니다. 또한 여러분 부디 마음을 쓰고 싶다고 생각하고 있으므로, 잘 부탁드립니다.
방금 말도 내게 해 주셨습니다 10 년 전에 정말 자신의 고향 통해 일본을 생각하고, 일본인은 있다는 것을 생각 다양한 생각을 살았습니다. 그런 중에 문득 수 노래, '인연을 두레'라는 노래가 있습니다. 이것은 자신의 고향, 자신의 좋아하는
신사 님의 경내로 PC 열려 쓰게 해주고 곡입니다. 그래서 예정이 없었 습니다만, 그렇게 한 운반에 자연이되어 내려온 온 느낌을 받았다, 그런 곡입니다. 굉장히 이상한 체험을하고있었습니다 만, 처음 들으시는 분에게도 뭔가 지금이 시대 이기에이 곡을 통해 느끼실 자신의 목소리 같은 것도 있을지도 모릅니다. 마음을 비우고 물어 보시면 말라는 식으로 생각합니다. 모든 분들에게 사랑을 담아군요 여기의 노래 '인연을 두레하고 "들어 봐.

♪ 인연을 두레하고

도모토 쯔요시와 Fashion & Music Book 여기 요, 오늘은 '고향을 생각 나게 순간 "이라고하는 것으로 여러분에게 편지 보내 주셨습니다.
내가 어떤 때에 고향을 기억 하느냐고, 뭐 밤하늘의 별빛이나 밤하늘입니까. 올려다 때 현지에서 올려다 본 고향 생각이 나네요. 그리고 나머지는 산입니까. 계곡에 둘러싸인 같은 장소를 달리고 있고, 일 등으로 차창을 훑어 보면서 왠지 지역 같은 것이나구나 지역 돌아가고 싶다 -라고 지역의 공기 빨고 싶다 -라고, 그런 일은 생각하고는 역시합니다 무릎. 그리고는 역시 신사 씨 사찰 씨도 많은 지역이므로, 그러한 장소에 가면, 기억입니까. 머지 않아도 내 안에서 굉장히 고향이 큰 존재이므로, 여러분도 그렇게 생각 하지만요 자신은 그렇지 않다구나라는 사람도 물론 계시 리라 생각합니다 그러나, 나도 해를 거듭해 거듭하여 가면 갈수록 그런것 강렬한 느낌에 도착했다는 것이 솔직히입니다 그러나 네요. 하지만 역시 고향이 있었기 때문에 지금의 자신이 있다는 그 감사라는 것은 1 하루도 잊지 않고 살아 있다는 것은 나에게 그 고향 이군요.

그리고 라디오 네임 미 님입니다 만,
'토요일 밤에 아이들 잠든 후에 재미와 치유의 시간으로 듣고 있습니다」
라고하는 것으로, 감사합니다.
"나는 오사카 출신으로 카나가와에 거주하고 있습니다. 취업 관동 단신 이사, 그대로 이곳에서 결혼했습니다. 어렸을 때 고향에 생각보다 지금의 생활에 익숙해 것이 고작이다 워낙 기억 순간은 없었습니다. 결혼하기 직전 집에서 밥을 먹으면서 어머니가 "앞으로 몇 번 같이 밥 먹을 수 있겠지 '라고했을 때, 떨어져있는 외로움 앞으로 부담없이 바로 갈 수있는 거리가 아닌 곳에 사는 휘어짐, 시댁이 먼 곳이다 미안함이 덮쳐 온 것인지, 밥을 먹으면서 통곡 한 기억이 있습니다. 어머니는 별도로 나를 슬퍼하라 라든가 생각 한 것이 아니라 무심코 생각을 말한 것 같고, 통곡하는 나를 보면서 "무엇 우는거야군요"라고 웃으며 안아주었습니다. 그때 어머니의 온기는 지금도 기억하고 있습니다.이 추운시기, 저녁밥의 메뉴가 햄버거의 때, 고향을 생각 나게 순간이기도합니다. 아이가있어 집 햄버거의 빈도가 높기 때문에, 기억 나지 날도 있지만, 그날의 메뉴 인 햄버거와 추운 겨울이 겹치는 순간 고향을 생각합니다」라고.
엄마도군요, 기쁜 마음 외로운 기분 거지구나라고이 편지 안에는 그런 심정이 역시 가득한 있군요. 자신이 이런 입장 이었다면 울고있는 아이보고 웃고 껴안고 무리 나구나라고 생각하고 있군요.
역시 저도 요, "너에게 벚꽃 여러 번 볼 수 있을까"라는 말을했을 때, 더 이상 답답 했어요 네요. "아, 어쩐지 그런 기분으로있는 응이나」라고, 엄청 괴로웠 던 기억 걸요. 어쩐지군요, 역시 이렇게 .... 안타까운군요, 그러한 것은 네요. 하지만 그런 감정을 젊었을 때 이해한다고하는 것은 매우 중요한 일이라도있는 걸까 라든지 생각하고, 물론, 언제 그런 감정을 경험이라는 것은 사람마다이라고 생각하지만, 이미 그 사람의 입장이되어 자신이 그 사람의 입장에 서서 간신히주의 것이 아니라 그 사람의 입장에 서게 전에 일찍 그 마음에 눈치 줄 수 있다면 그 사람을 조금 하지만 이해 해줄 시간이 늘어난다는 것이고 부드러운 마음으로 서로 보낼 텐데라고 생각하거나하기 때문에, 또 열심히 필사적으로 젊은 시절부터 엄마와 아빠의 마음 이라든지, 언니의 마음 이라든지, 이런 바람 걸까 그런 식 일까라는 것을 열심히 생각하고 살아온 있지만, 그래도 자신이 역시 본인이 아니니까, 모두 같은 마음이 아니구나라고 순간 포기 버릴 것 같아되지만, 포기보다는 그 기분에 서려고 생각하고 살아 남기 쪽이 좋다고 생각하고, 지금도 계속 그렇게하고 살아 오면서 그러나 네요. 이런 가족이 준 말이라는 것은 정말 언제 까지나 소중한 것이다라고 생각합니다. 여러분도 여러가지 있다고 생각합니다 그러나, 그런 말씀 은요, 정말 소중히 살아주세요.

그리고 16 세의 푸른 사과 씨이지만,
"나는 16 년 동안 소 1 시간 반 년간을 제외하고 계속 치바에 살고 있습니다. 본래 치바 것을 써야할까요하지만 작은 한 때 반년 만 살던 오사카에 대해 쓰고 싶다 라고 생각합니다. 제가 오사카를 떠올리는 소프트 아이스크림과 고사리 떡을 먹을 때입니다. 오사카에서 살고 있던 아파트 앞에는 매일 "소프트 크림」 「고사리 떡"고 발표하면서 지나가는 판매 차량 오고있었습니다. 살았다 반년 간 동안은 어머니에 멈출 수 있고, 소프트 아이스크림도 고사리 떡도 먹지 않았던 것이 오사카에서의 아쉬움 중 하나입니다. 치바에 돌아온 이후 오사카에 갈 하지 않기 때문에 이번에 갔을때는 소프트 크림 또는 고사리 떡을 먹고 싶어요. "
아, 어쩐지 좋은 추억 이네요. 그 당시는 "먹으면あかんよ」라고, 어쩐지 여러가지 이유가 있었 지요. 멈출 수있어. 하지만 정말 그 뭐라고 것일까 감성이 멋지다라고 생각했지만, 정말 지바이 훨씬 살고 있으니, 치바 것을 쓰지 않으면 안된다고 생각한다 그러나 그 반년 간 동안 만 경험 오사카의 이야기를 씁니다은, 어쩐지 시적이라고 할까 시인 할까 크리에이터라고 할까, 뭔가 대단해라고 생각해. 정말 넌더리하여 좋은 소식이었다구나라고 생각합니다. 지금은 이런 상황이라 꽤 먼 곳에 갈라고 할 수 없을지도 모르지만, 꼭 오사카에 갔을 때 말이야, 소프트 크림 또는 고사리 떡 먹고 있습니다. 그것? 이제 소프트와 고사리 떡을 사서 소프트 아이스크림 위에 고사리 떡을 싣고 "소프트 크림 고사리 떡 '을 만들어 먹어도 좋다고하는 식으로도 생각하고 있습니다. 랄까 내가 지금 먹고 싶다고 생각하고 있습니다.

중국 웨이웨이 씨입니다. 30 세입니다 만, 최근 겨울 밤하늘을 올려다 밤하늘의 별을보고 문득 고향을 생각해 냈습니다. 나에게 고향은 할머니와 함께 밤하늘을봤을 때의 고향입니다. 나는 어렸을 때 할머니와 함께 시골에서 보냈으므로, 그 때의 밤하늘을 생각해 냈습니다. 가장 빛나고있는 별이 있기 때문에, 그 별이 할머니 일까라고 마음대로 생각하고 있습니다. 30 년이 지난 지금 에서야 한번 어린 시절로 돌아 싶다고 말하는 식으로 생각했습니다.
역시 「하늘」은 그 그 나라 특유의 하늘이라는 것은 물론있는 거죠 기온 이라든지에 따라군요, 물론 있다고 생각합니다 그러나, 「하늘」라고 동일이라고하면 같은 잖아요 . 에서 별자리는 특히이 나라에서도 볼 수 있고 그 나라에서도 보이고 있다는 것으로, 별자리라고하는 것은 어쩐지 그런 어디와도 연결 한단 인상을주는 것으로, 그래서 해외에서 어쩐지 이렇게 밤하늘 본 때라든지도, 나라 생각하고 있었던 것 인. 나라에서이 별 보았다구나 든가,이 별자리 본구나 든가, 내 기억뿐만 또 조금 쿵쿵하고 드셔 없는데. 어쩐지 그렇게 이네 별빛은, 대단한 낭만 있지요. 자신은 우주에 가본 적이 없지만 앞으로 정말 우주에가는 시대 쉽게 우주에가는 시대 같은 것도 가능 오는 것일까? 모르겠지만, 네, 그런 미래가 순식간에 온 것 같은 생각도하고, 굉장히 이상한 감각으로 지금을 살아가고 있습니다 그러나. 하지만 여러분의 이런 그 사람 다운 사람 같은 편지를 읽게하시면 뭐 좀 안심 랄까 호 넌더리 나하는군요. 이런 힘든 지금 이야말로 이런 옛날 이야기에 다시 돌아 오는 것으로, 네가티브가되지 아니 어서, 또 거기에 돌려 보내기에 긍정적 인 마음이라는 것도, 어쩐지두고오고있는 것도 있긴 생각이 들지 말아라 . 그것을 다시 가지러 가거나하면서 미래를 이어갈라는 것도 역시있어지고. 돌아갈에서 미래를 볼 수는 역시 몹시 수 있구나라는 식으로도 왠지 생각했습니다.

여러분 오늘 이군요 다양한 편지 받았습니다 때문에, 또한 많은주의 주셨습니다. 감사합니다. 그리고 동일본 대지진으로부터 10 년이 지난 지금,이 코로나 시대에 들어있는 지금, 동일본 분에서 생활하고있는 분들 중 자신은 이렇게 마음으로 지금 보내고있다 든가, 혹은 이런 기분을 일본 의 또는 세계의 여러분에게 알리고 싶다 든가, 그런 기분이 있으시면 꼭 써 보내 주시면 좋겠다는 바람도 생각하고 있습니다. 역시 이렇게 그 자리에없는 것으로주의없는 고통 슬픔도 있다고 생각합니다. 이 마음을 여러분과 공유 할 수 있으면라고 이런 식의 생각이 전해지면 좋겠다는 것이 있으시면 꼭 보내 주시면라고하는 식으로 생각합니다. 물론 다양한 소식 모집하고 있기 때문에, 정말 자신의 마음 무엇이든 상관하지 않으므로 써 주시면라고하는 식으로 생각하고 있습니다.

이메일 분은 ~~~입니다.

아무쪼록 잘 부탁드립니다.

마지막으로 마이코로 씨로부터 받았습니다 편지 읽어 보자.
"쯔요시 군 안녕하세요. 항상 의료에게 눈과 귀를 기울여 주셔서 감사합니다. 쯔요시 군이 동행 해주고있는 것을 항상 마음의 버팀목이되어 매일 열심히하고 있습니다. 퇴근길에 항상 하늘을 올려다 후 돌아가는 습관이되었습니다. 쯔요시 군이 지금 할 수있는 자신도 주위도 소중히하려고 발신 해줌으로써 그것을 듣고있는 분들의 의식이 바뀌고, 따라서 구원하는 생명 가 반드시 있다고 생각합니다.
 나는 보건소에 근무하고 있으며, 지금 바로 의료가 핍박하고 영향으로 진찰 할 수없는 입원하지 못하는 분들과 이야기 할 기회도 있습니다. 코로나가 유행하기 시작 후 수 없음을 여러 번 강하게 요구되는 것이 몹시 마음이 피곤합니다. 하지만, 이럴 때는 "I 'm you You 're me"를 항상들을 수에 깃들 일의 중요성이 일을 했잖아요 시절의 초심을 회상 할 수 있습니다. 올바른 지식을 익혀 지금 일어나고있는 현상을 냉정하게 바라 코로나 재난에 불안을 안고 계시는 분의 어깨의 짐을 조금이라도 함께 짊어지고 갈 수 있도록, 한명 한명과의 관계를 정성 에 소중히하고 저는 자신 성장해 가고 싶습니다.
 항상 정말 감사합니다. 아직 앞은 긴하지만 조금이라도 누군가의 힘이 될 수 있도록 매일 노력해 가고 싶습니다. "
기분 쓰고 받고 있습니다. 이 분이 바로 야구나라고 느낀 것이 "수
없다는 것을 여러 번 강하게 요구되는 것이 몹시 마음이 피곤합니다"라는 문구를 쓰고 계시는 곳이 인상적이었습니다. 말을 생각 너무도 없다고 생각하고, 역시 다들 열심히하는 거죠. 그런 중에이 태도는 이러 오 어째서라고 말하는 것은 또 없어요, 지금의 시대 네요. 인간이기 때문에 똑같은 강하게 요구함 된 때, 그것에 대답하지 말아라라고 자신의 억울함이나 그에 대해 "아니, 무리입니다"라고해도 "네, 왜"라고 계속 그야 들려 계속되면 누구라도 피곤 있지요. 내가 지금 말하고 싶었던 것은이 마이코로 씨의 이런 시간을 보내고 있구나라는 것을 전 해주는 것이 또 내가 앞으로 열심히 할 하나의 이유가 있어요라는 것을 전하고 싶었 담입니다.
어쨌든 마이코로 씨 도요, 몸 자애하면서 마이코로 님을 필요로하고있는 사람들이 역시 많이있는 것이어서 네요. 그것을 압력에 너무 느껴 않고 말이죠, 자신이이 이어질 한사람 한사람을 위해 열심히 살아가는ぞて자신으로 살아 가려고 부드럽게 강하게 살아가는ぞていう식으로 그것을 모토로 생활 하여 조금 지친라고 생각하면 "I 'm you you 're me"들어 주어도 좋고, 시시한 FUNK 들어 주어도 괜찮으며, 어쩐지 여러가지 어깨의 힘을 빼면서, "힘내세요" 라고 열심히하는 사람에 게 몹시 싫어하기 때문에 마이코로 씨 답게 자신 답게 그 순간 순간을 강하게 부드럽게 살아줬으면 좋겠다라고 저도 그렇게하고 있어요는, 그런 메시지 보내고 싶습니다. 어찌 되었든도 정말 몸 자애하면서 꼭 이런 시간을 보내는 것이 좀처럼없는 일이고 향후되어서는 안될라고도 생각하지만, 그래도 이런 상황에서 이런 생각과 생각이 이어졌다는 것도 있으니까요이 인연도 소중히하고 싶다고 생각합니다. 반복되지만, 마이코로 씨도 정말 몸 자애주세요. 나도 자신도 몸 조심하면서 부드럽게 강하게 자신 답게 살고 싶다고 생각합니다.
그러면군요,이 코로나 시대 여러분 정말 반복되지만, 여러가지 기분에 서 계시는 것입니다. 그리고 동북의 동일본 대지진으로부터 10 년이 지나고 있습니다. 이 일본에서는 말이죠, 그리고 지금 세계에서는 많은 사람들이 슬픔 고통과 함께 살아 가세요합니다. 그 여러분의 모든 시간을 바꿀 수는 없을지도 모릅니다 만, 그 모든 여러분의 생각에 동행 마음을 곧 곡 제공하고 싶다고 생각합니다. 오늘은 "I 'm you You 're me"를 들으며 작별입니다.

도모토 쯔요시와 Fashion & MusicBook
그러면 여러분 또 만나요입니다. 안녕히 주무세요.

♪ I 'm you You 're me

Posted by se-tapir
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